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   2006年7月1日号
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第42期レンジャー帰還式
21名が栄光の凱旋
<信太山>
 第37普通科連隊(連隊長・川原光雄1佐)は6月16日、「第42期レンジャー帰還式」を隊員家族及び協力者等約120名を招いて盛大に実施した。
 4月11日に養成教育が開始されて以来「愚痴と悲鳴は止めよ」を合言葉に、約2カ月にわたり駐屯地での基本訓練を始めた。金剛、葛城、和泉、紀伊山系及び加太湾等南近畿一円の地域を使用した想定訓練を行い、レンジャーとして必要な不撓不屈の精神力と強靭な体力を養うとともに、体力と気力の限界に挑戦した。
 午後1時、中央営庭に部外者、家族及び駐屯地全隊員がアーチのトンネルで出迎え態勢をとり駐屯地音楽同好会が「第3師団歌」を演奏するなか、勇躍、精悍な顔つきの21名のレンジャー学生がレンジャー旗を先頭に凱旋帰還した。
 学生長・平野将臣3曹(37普連本管中)が「第42期レンジャー戦闘隊は、任務を完遂し無事帰還しました」と連隊長に報告。続いて、連隊長から学生一人ひとりに対し、勝利の証の月桂樹に強固な意志を表すダイヤモンドをかたどった栄光のレンジャーバッジが授与された。その瞬間、21名の新たなレンジャーが誕生し、参加者からは惜しみない拍手と賛辞が送られた。連隊長は、「これからダイヤモンドを磨くのが使命だ。今後の健闘を祈る」と訓示した。
 その後、各中隊は趣向を凝らした手厚い祝福行事を行い、労をねぎらった。我が子の晴れ姿を一目見ようと鹿児島県から駆けつけたレンジャー山崎団3曹(3施大3中)の両親は、「息子の元気な姿を見て感無量です。遠くから来た甲斐がありました」と語っていた。

徒歩行進訓練を実施
<松山>
 第14特科隊第1中隊(隊長・上ノ瀬直樹1陸尉)は5月31日、防災・広報担当地域の西条市で徒歩行進訓練(往復約20km)を実施した。
 中隊は、午前7時に駐屯地を出発、加茂川上流の黒瀬ダムを目指して徒歩行進を開始した。前半は約10kmの登りであったが、予定時刻を上回るスピードで折り返し地点に到着。昼食後、平成16年の台風21号に伴う行方不明者捜索の災害派遣に参加した隊員から活動内容や地点指示が行われ、今もなお地盤がゆるんだ地域等を確認するとともに、防災意識の向上を図った。
 後半は、小学生の下校時刻と重なり、児童の黄色い声で隊員たちは元気をもらっていた。気温26度、ダム折り返し道のりは足腰に負担のかかるコースだったが、隊員たちは疲れも見せず本訓練を終了した。

雪月花
 カリブ海のドミニカ共和国への移住で国の提示した内容が違うとして、関係者たちが起こした「ドミニカ移民訴訟」で東京地裁は、6月7日、国の責任は認めたものの提訴期限の20年が過ぎているとして損害賠償は認めない判決を下した。移住したのは249家族1319人で、すぐに他の国へ再移住した人と日本に帰った人が約<CODE NUM=024B>。残った人たちは、前もっての現地調査を欠き、年中水不足で塩水の出る土地を勧めた日本政府でありながらも国を信じて訴えるのはしのびないとして、訴訟にも踏み切れず、大変な苦労を強いられた。移民から50年、この人たちにこの判決である。関係者の多い鹿児島県では、ドミニカを応援しようとの声が大きくなってきている。コーヒー豆はコーヒー園を営む移民の農園から仕入れ、さらに鹿児島を拠点として全国に広げようとする人、政治的手段を模索する人たちもいる。今年の遠洋航海でも移住50周年を記念してドミニカに寄港するのでこのことに関心をもった。1978年に遠航部隊が初寄港した当時は、他の国では接遇はうけてもドミニカではこちらが接遇するようにと日本を出るときから指示を受けていた。入港して移民の方々を艦隊に招待し、故国の味を堪能していただいたが、移民から20年、壮絶な苦労話を聞いた。出航するときには子どもたちが岸壁に並んで行ったことのない故国の「こいのぼり」や「富士山」を歌ってくれ、デッキに並んだ隊員たちもこの子どもたちの将来を案じ泣きながら手を振り返したそうだ。ことしの遠航隊員たちが帰ってきたら話しを聞いてみたい。その後、小泉首相は「原告側と話し合いを持ち、どのような対応策があるか考えていくべきだ」と語っている。

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