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森西方総監、御百度参り達成 |
<第4次東ティモール派遣施設群> |
隊員の無事帰国を祈願 |
健軍神社 |
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昨年10月から東ティモールでの国際平和維持活動に派遣されている第4次派遣施設群(群長・川又弘道1佐以下405名)が5月20日以降、ディリ・マリアナ宿営地の撤収を開始し、6月下旬までに全員帰国する。
森勉西方総監は昨年10月11日、総監部庁舎前で行われた壮行会で、健軍神社(熊本市健軍本町13の1)に「御百度参りをして諸官全員の無事帰国を祈っている」と約束し、それを5月24日早期に達成した。参拝100回を成し遂げた森総監は「仕事がら早朝にしかお参りできなく、特に冬の寒くて暗い時季には大変なことを約束してしまったと思う日もあったが、灼熱の異国の地で活躍している隊員諸君に思いを馳せる貴重な時間でもあった。全員が無事帰国するまで今後も続けていく。隊員諸君には家族に笑顔で対面し、隊旗を返還する時までが任務と心え、引き続き、団結・規律・士気を維持して有終の美を飾ってもらいたい。これまで激励を受けたとおり、多くの方々が諸官を評価し無事の帰国を祈っている」と胸中を語った。 |
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第4次東ティモール派遣隊員 |
留守家族の手紙 |
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第4次東ティモール派遣施設群の留守家族が書いた手紙をご紹介します。=順不同(編集部) |
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がんばっておとうさん
(9施群345施中・都城 石井信之2曹の長女)いしい まゆ
おとうさん、げんきですか。わたしも、おとうとのともきもげんきです。まいにちさむいけど、学校にいってます。かん字もいっぱいならって、なわとびもがんばっています。
おとうさんが、いなくてさびしいけどクリスマスに、じえいたいからサンタさんがきました。ことしは、2かいサンタさんがきたから、うれしかったです。
こないだ、まめまきをして、わたしがおにになりました。おとうさんのおにじゃないと、ともきはなかなかったです。おとうさんのおにが、いいなと、おもいました。
わたしは、ねるときは、「おとうさんおやすみなさい。」と、こころの中でいっています。それを、おかあさんにいったら「えらいね。」とほめられました。
もうすこしでわたしは、2年生になります。だから、おてつだいをがんばっています。おりこうにしてたら、おとうさんが「ディズニーランドにつれていく。」と、やくそくしました。はやく、おとうさんがかえってきていきたいです。かえってきたら、いっしょにおふろにはいりたいです。わたしもがんばるから、おとうさんもがんばってください。
将史へ
(104基大311基通・健軍 川上将史3曹の父・母)川上博海・妙子
「おーい、将史元気かい、東ティモールの、国民のため、精いっぱい貢献し、任務を無事に全うする事を祈っています。」
昨年の10月11日、第4次東ティモール、派遣施設群として405名の隊員を励ます、壮行会が健軍駐屯地で開催され、早いもので4ヶ月を過ぎました。
お父さんとお母さんで将史の壮行会に出席させて頂き、又第1陣で東ティモール派遣隊員として国連機に乗り、そして夜の熊本空港を後にして、小さくなって行く飛行機を、いつまでも手を振って、見送りました。
将史が東ティモールへ行くと相談した時、正直いって、現地の治安状況や、果して無事に任務を全うする事が出来るのかが、心配でした。しかし、日が経つにつれ、そして、将史からの便りと、留守業務室の皆さんからの連絡で、いくぶん安心しています。
4ヶ月を過ぎ、将史も仕事に慣れ、現地の人々そして隊員の人達とも心を触れ合い、頑張っている姿が目に浮びます。
小学校の3年生から野球をはじめ、中学、高校と頑張って来ましたね。一番つらかった高校での野球、あの夏の厳しい暑さの中で、泥塗れになり、白球を追いかけ、傷だらけになり根性で最後までやり通した事が、今の将史に勉強になっていると、お父さんも、お母さんも思っています。
何事もくじけずそして精いっぱい努力すれば必ず、結果が出てきます。
今日本では、イラク自衛隊派遣の事が毎日のように報道されています。小さい子供さんを残し現地へ派遣されて行かれる隊員の方々の姿を目にした時、必ずや、日本国民の人々は、元気に無事で帰って来る事だけを念じておられる事と思います。そして今まで以上、自衛隊に対する見方が変ってきていると思います。将史も家族の事は心配せずに、残された、東ティモールでの任務を無事に全力投球で全うして下さい。
そして身体に暮々も注意して、元気に帰って来る日を楽しみに待っています。
帰ったら、千鶴ちゃんと一緒に、また飲みましょう。 さようなら
平成16年2月19日
博海、妙子より
お父さんへ
(2氏群304坑中飯塚 古屋敷剛2曹の長女)古やしき 百か
お父さん元気にしてますか。百かとさやかとじょうは元気です。
お父さんが東チモールに行って4ヶ月がたちました。妹のさやかは、お父さんから電話が来た時に「お父さんに会いたいよー。さびしいよー。」と2回ないたことがあります。わたしも会いたいけど、お父さんからメールが来るし、電話で話せるからあまりさびしくありません。
いっしょうけんめいおしごとしているお父さんが百かは大すきです。おしごと大へんだけどがんばってください。
あと3ヶ月したらお父さんが帰って来るので、早くお父さんにあえる日を楽しみにまってます。帰ってきたらお父さんをゆっくりさせてあげるね。
お父さんへ
(43普連対戦中・都城 都甲誠二1曹の長男)都甲 恭平
お父さんは、東ティモールの人達のために命をかけて、がんばっています。東ティモールの道路や橋を作って、働く人のために、けいびをしていて、げん地の人に、げん地のことばで、いっしょうけんめい説明しているそうです。でも子ども達も、よってくるので「あぶない」と、教えたりしてると聞いています。毎日が40度の暑さの中で、命をかけて、がんばっているお父さんを、ぼくは、すごくそんけいしています。ぼくも、おとなになったら、お父さんと同じ、自えい隊に入って、人のために、がんばりたいです。ぼくは、お父さんが行ってから、すぐは、さみしかったけど、今は少しずつなれてきました。そして、お父さんとの約束で、お母さんを、助けています。お母さんに言われなくても、おふろのそうじなど、他にも、いろいろと手伝いをしています。もちろん、竜世としゅん矢たちのめんどうもきちんと見ています。兄弟仲良くしています。お母さんが一人で家の仕事を全部しないといけないので大変そうです。ぼくは、少しでも、お母さんを、楽にしてあげたいので、手伝いをがんばっているから心配しなくても大じょうぶです。ぼくも学校の勉強や、じゅく、宿題、スイミングいろいろしっかりやっています。今は、社会が楽しくて、市町村を、暗きもして、クラスで一番早くできます。次は、都道府県を、全部暗きできるようになりたいです。スイミングは、11級だけど、お父さんが帰ってくるまでには、9級に進級できるように、練習をがんばります。お父さん、そちらで、いろいろ大変なこともあるとは、思うけどがんばってね。ぼくたちもおこられる時もあるけど、お父さんのことを、いつもいつも考えながら、いろいろなことに取り組んでいます。ぼくたちは、がんばっているから心配しないで大じょうぶですよ。ぼくたちのために、いつもいつもありがとうございます。これからも、いろいろなことに気を付けてがんばってください。大変な仕事をやって、ご苦労様です。お父さんどうか無事に帰ってきてください。帰ってきたら、旅行に行って、キャッチボールをして、サッカーなど、いろいろな事をして遊ぼうね。楽しみにしているから、早く帰って来てね。元気でがんばってね。「お父さん」都甲せい二の記念になるものいろいろ買って来てね。
元気で頑張っていこうね
(43普連1中・都城 荒牧翼3曹の妻)荒牧 さつき
元気に頑張っていますか?あなたが東ティモールへ出発してから4ヶ月が過ぎました。あっという間の4ヶ月のような気もしますが、やっぱり長い4ヶ月ですね。
日本は、ここ南国宮崎でも雪が降るぐらい寒い日が続いていましたが、最近は梅の花のつぼみも膨らみ始め、春を迎えたんだなあという気持ちになります。でもそちらは相変わらず暑い毎日なんでしょうね。日本では考えられないような過酷な日々を送っているのではないでしょうか?電話での様子は日本にいる頃と変わらないような感じですが、やっぱり心配です。体には十分注意して、怪我等しない様に気を付けて下さい。
大翔も大きくなりました。あなたが出発する頃はつたい歩きしかできなかったのに、今ではもう走り回るようになりました。毎日元気に保育園に行っています。
手遊びも上手にできるようになりました。一番大好きなのは『むすんで・ひらいて』みたいで歌ってあげると元気に歌いながら(歌っているつもりみたいです、本人は)むすんで・ひらいてをやります。言葉もだいぶ出るようになりました。『じぃじ、ばぁば、しぇんしぇい(先生)、ちゃちゃ(お茶)、しゃーい(いってらっしゃい)ばぁーい(ばいばい)、しー(おいしい)、した(靴下)などなど。書ききれないぐらいの言葉を話すようになりました。中でもあなたに伝えたいのは、あなたの写真を見て「パパ」と言えること。でもたまに「アンパン」になることも…。(どうもアンパンマンとごっちゃになっているようです。)
いつもあなたの写真を見せて「大翔のパパだよ。」と教えていたせいか「パパはどこ?」って聞くと、写真を指差します。実物を見てパパだと理解できるかどうか分からないけれど、こんなに小さい大翔でもあなたのことを忘れてはいないから安心してね。
3月末の感動の再会ツアーでは、5ヶ月振りに会う大翔を見て、ビックリすると思います。大翔も写真の中のパパが目の前にいて、きっとビックリすると思うけど…。
久しぶりの家族3人水いらず。一緒にいることが当り前なんだけれど、一緒にいられる時間っていうのがどれだけ大切なのか。お互い再認識するにはいいきっかけだったのかも知れないね。今回のPK0派遣は。
以前からもあなたや大翔のことは、とても大切な存在ではあったけれど、今回のPKO派遣で離れて生活してみて、改めて私にとってあなたも大翔も心から大切にしたいかけがえのない存在だということが身に染みて分かりました。
あなたが遠く東ティモールの地で、現地の人々のために頑張っていることを家族としてとても誇りに思います。あなたの傍で、あなたのことを支えてあげられないけれど、日本から少しでも心の支えになってあげられるように、毎日あなたの無事と任務達成を心から祈っています。
残り約3ヶ月間、まだまだ大変な思いをして勤務につかなくてはいけないでしょうが、体には十分気を付けて、元気に頑張って下さい。
私もあなたの不在の間、父となり母となり、荒牧家を守って仕事に家事に全力を尽くしたいと思います。大翔と二人、大好きなパパの帰りを首を長くして待っています。元気な笑顔で再会できるように家族3人で頑張っていこうね。
東ティモールのお父さん
(2施群368施中・湯布院 桑原早苗1曹の次女)くわ田ゆ理
わたしのお父さんは、今、東ティモールでしごとをしています。お父さんが出ぱつした夜は、しばらくあえないので、かなしくなってないてしまいました。何日かたってポストを見ると、なんと、外国からの手紙がとどいていました。それは、お父さんからの手紙でした。読んで見ると、東ティモールのようすをくわしく書いてありました。
40どぐらいのあつい国で、日本みたいにいろんなものが何でもあるところではないそうです。こどもたちのふくもきれいではなく、はだしの人も多いそうです。そして、食べものののこりやすてたものを家にもって帰ってつかったりもするそうです。そこでのお父さんは、元気で外国の人といっしょに食じのじゅんびをしたり、りょう理を手つだっているそうです。わたしは、お父さんが、外国語を話せないのに大じょうぶかなっと思ってしまいました。お父さんの手紙で、いろんなことを知ることができました。そして、しばらくすると電話もかかってくるようになりました。お父さんの声は、とってもよく聞こえます。お父さんは、いつもわたしたちのことを心ぱいして聞いてきます。でも、わたしは、東ティモールのことを聞きたいと思っています。この間、東ティモールでつかっている言ばやあいさつなどを教えてもらいました。とてもうれしかったです。時どき、自えいたいから「広ほうし」を家までもってきてもらいます。わたしは、新聞がとどいたら、すぐ見て、お父さんをさがします。たくさんの人たちが東ティモールではたらいているので、すぐには見つかりませんが、とても楽しみにしています。
まだお父さんとは、あえませんが、お父さんが帰って来た時にほめてもらえるようにがんばって3年生になっていきたいです。わたしは、大人になって東ティモールに行きたいです。
(以下、次号で) |
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