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自衛隊ニュース   877号 (2014年2月15日発行)
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更なる部隊の精強化のために
航空救難団ヘリ空輸隊
 航空自衛隊航空救難団(司令・杉山政樹空将補)は2月3日から6日の間「平成25年度 航空救難団空輸戦技競技会」を入間基地及び周辺空域で行った。
 参加部隊は那覇・春日・入間・三沢ヘリコプター空輸隊。これは、各部隊の空輸能力を評価し、今後の錬成訓練の重視事項及び戦技開発の方向性等の資を得、精強な部隊育成を図ることを目的に行われ、今回で6回目となる。航空総隊になって初めての戦技競技会は、入間基地を覆う降雪の影響で日程を入れ替えて行われた。
 競技は、指揮所部門・飛行部門・整備部門に分けて行われ那覇ヘリコプター空輸隊(隊長・蜂谷賢治2空佐)が第1回(平成18年度)以来2回目の優勝。蜂谷隊長は勝因として『「団結力」、「周到な準備」及び「高いプロ意識」の3つであったと考えている。機長の岩崎1尉と整備幹部の池田2尉が、隊長の意図を良く理解し、選手全員を上手にまとめてくれたことも大きかったと思う』と言う。
 前日の雪が多く残っている入間飛行場。嶺岡山まで状況付与による航法を実施後、基地に帰投し後機外懸吊を実施。ダウンウォッシュにより雪が舞い、発動発電機が入っていると仮定したリキッドローダーを掴むのも難儀そうに思えたが、難なくと見える程にクリア。機体から身を乗り出して誘導するロードマスターや「選手だけでなく、部隊に残る全隊員がそれぞれの役割を理解し、訓練のサポートをしてくれた」(蜂谷隊長談)団結力の強さを垣間見た気がした。
 貨物搭載卸下は、あらかじめパレットに搭載されている物資の点検から始まる。燃料の側に弾薬はないか、パレットの状態はどうかなど、細かい所まで入念に確認しているのには驚いた。搭載卸下の際も数センチの誘導をしながらの作業。災派の時など大量の物資輸送をする事が大変な任務なのだという事を実感した。
 競技会が終わり杉山団司令は表彰式で「今後も、本競技会で得た成果を部隊で活かし、平素の任務や訓練を通じて、隊長を核心とし、更なる部隊の精強化に取り組んでもらいたい」などと語った。杉山団司令の「戦競により4カ所に散らばっている隊員たちの団結力を上げることが出来る」と言う言葉の重みを感じた競技会だった。

空自「UH-60J用途廃止」
 航空自衛隊初のUH—60J52号機の用途廃止に伴う記念式典が、1月23日(木)新田原救難隊で行われた。
 当日は、52号機の用途廃止を祝福するかの如く雲一つ無い青空となり、記念式典には第5航空団飛行群司令西野1佐をはじめ基地所在部隊長、OB会(てげてげ会)及び協力会(助くっ会)等多数の御来賓の御臨席を賜ることができた。
 新田原救難隊長による式辞の後、祝辞において第5航空団飛行群司令西野1佐は、災害派遣における指揮所勤務経験から、海上保安庁が遂行できない任務を救難隊が完遂した際、操縦士から「UH—60Jの能力があってこその成果でした。」と聞かれた話を披露して頂いた。
 式典終了後記念撮影を実施し、出席者全員で52号機の最後の飛行となる小牧基地への空輸任務を見送り、全ての行事を無事終了した。
 空自UH—60Jは、51号機から53号機まで、米国において組み立てられ、試験飛行を行った後分解され、三菱重工小牧南工場で組み立てられ、航空自衛隊に納入された。
 本来52号機は、製造番号が一番であったが、米国での試験飛行が長引き、先に試験飛行が終了した2番機が航空自衛隊初号機として納入された経歴がある。
 52号機は、平成3年3月航空自衛隊に納入され、平成3年9月に航空救難団へ配属となり、救難教育隊において、運用試験等を行い、平成4年7月に千歳救難隊に配備された後、救難教育隊、小松救難隊、松島救難隊、百里救難隊、浜松救難隊、那覇救難隊、新田原救難隊で数々の災害派遣に出動、及び、救助ヘリコプターのパイロット養成に使用され、約23年間の任務を全うした。
 平成26年1月23日(木)新田原基地から、小牧基地に空輸された52号機は、最終任務の空輸を終え、小牧基地において用途廃止に向け、準備が始まった。

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