日本は平安時代末期(12世紀中頃)から明治の始め(19世紀後半)までの約7百年間、武士の支配する国だった。その間生まれた武士の道徳規範が武士道である。武士道は平安時代「弓矢取る身の習い」として発生した。勇敢に戦う強い武士のあり方を基本とし、命よりも名を惜しむ武士の生き方が生まれた。強さと同時に情けを知る武士が理想とされた。
武士道は江戸時代に武士階級の道徳規範として完成した。その要点は、義に生きる(利益は軽んじる)、恥を知り名誉を重んじる、戦場で勇敢に戦う、主君に忠義を尽くす、嘘を言わない、約諾は命にかけて守る、卑怯なことをしない、惻隠の情をもつ、切腹して責任をとる、などである。
明治維新(1868年)後武士階級は消滅したが、武士道の精神は残ってむしろ国民全体に広がった。昭和の敗戦(1945年)後武士道の精神はほとんどなくなったが、完全に失われることなく、なお日本人の心に残っていると私は思っている。新渡戸稲造は1899年(明治32)著わした名著『武士道』に武士道の将来について述べる。武士道は一つの独立した道徳の掟として消滅するかもしれない。その武勇と文徳の教訓は解体されるかもしれない。しかしその力はこの地上から消え去ることはなく、その光と栄光はその廃墟を超えて蘇生するに違いない、と。
新渡戸が武士道の道徳項目の最初に「義」を挙げるように、義に生きるのが武士道の基本である。義は不正をしないこと、不正な手段で利益を得ないこと、卑怯なやりかたをしないこと、義理を重んじ道理に従うこと、約諾は死守すること、人の苦境を見捨てないこと、などである。そして武士道の義の顕著な特色に利(利益)を軽く見ることがある。特に私利を否定するのが武士道の義であった。武士は義と利に葛藤するとき、自分が利益を得ないことの方に義があると考えた。この武士道の感覚は、現代日本から完全には消えていないように私には思われる。損得勘定に重きを置かず、金持ちをあまり尊敬せず、利益を得た側よりも利益を得なかった側に義があると思う感覚が、現代日本にまだ残っているのではなかろうか。
次に、日本人は現代なお一生懸命に生きるのをよしとし、組織内で自分の使命を懸命に果たそうとする。これも武士道の生き方である。一生懸命はもともと一所懸命であり、一所懸命は所領を命懸けで守った武士の生き方に他ならない。
また武士道は、世間的にも、内面的にも恥ずかしくない生き方を旨とする。これも現代日本人に生きているように思われる。また、卑怯を嫌い、正直で嘘をつかず、約諾は守らなければならないと考える武士道の道徳規範も生きているのではないだろうか。嘘やうろんなことを嫌い、事実本位で実際的、現実的に処するのが武士道の特色であるが、これも、現実的で、観念論・抽象論をあまり好まない日本人の傾向としてなお生きているように思われる。
武士道は封建時代に武士階級が培った道徳規範であり、民主的な現代社会において通用しない道徳を多く含むことは確かである。しかし武士道は時代と社会体制を越えた、人間の大切な道徳を含んでいるように思われる。戦いの世界に生き、戦いに勝つために何でもありの環境を生きた武士のつくり上げてきた武士道が、一見平凡な、嘘をつかないこと、正直であること、約諾を守ることなどを最重要視する道徳になっていることに、私は深い意味を見いだしたい。
(令和5年9月1日)
神田 淳(かんだすなお)
元高知工科大学客員教授。
著作に『すばらしい昔の日本人』(文芸社)、『持続可能文明の創造』(エネルギーフォーラム社)、『美しい日本の倫理』)などがある。 |