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銃剣道日本一に 赤平2曹(20普連) 全日本選手権大会
根本元准尉ら演武 |
「第31回全日本銃剣道選手権大会」が8月4日、東京・九段の日本武道館で開催され、赤平翔太2陸曹(20普連)が初優勝、「銃剣道日本一」に輝いた。
大会は全日本銃剣道連盟(番匠幸一郎会長)が主催。各都道府県を代表する高段者63人が出場、練成成果を競った。
決勝戦は初優勝を狙う赤平2曹と前回優勝の藤原考貴2陸曹(東方特科連隊)の対戦に。赤平2曹が上胴で一本を先取、さらに一瞬のすきを逃さずのどを突いて2本目を奪い勝利。試合後、「自分が磨き上げてきた剣を信じて、出し切れた」と語った。
一方、決勝戦前には第6回大会(1998年)優勝者の根本和男教士7段(元准陸尉、元陸自最先任上級曹長)が笠井伸好教士8段と共に演武を披露。「恩師の故桑原(正治)先生、脇元(保治)先生の教えを振り返り、笠井教士8段の胸を借りて剣先に全身全霊を込めた」と気迫あふれる技を見せた。
また、選手権大会前日の8月3日には、「第54回全日本青年銃剣道大会」が開催された。団体戦(3人制)成績は次の通り。▽青年1部(1)16普連(大村)(2)40普連A(小倉)(3)12普連A(国分)、普教連A(滝ヶ原)▽同2部(1)16普連A(2)防大A(3)35普連A(守山)、50普連A(高知) |
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関東大会制す 32普連 銃剣道 |
東京都練馬区立総合体育館で7月15日に実施された「第18回全関東青少年銃剣道大会」に第32普通科連隊銃剣道訓練隊が参加し、青年1部において見事優勝、同2部で第3位の成績を収めた。
青年1部は先鋒小柏3曹、次鋒杉山士長、大将小宮士長で出場。小宮士長は大会に挑むにあたり「優勝旗を必ず守ります」と意気込みを語り、その言葉通り一丸となって優勝した。
青年2部は先鋒藤田士長、次鋒柳川士長、大将山田士長で挑んだ。第3位の成績を収め、山田士長は「次の大会では必ず優勝する」と決意を新たにした。
銃剣道訓練隊監督の田山曹長は、「今回の成績を収められたことをとてもうれしく思います」と語った。 |
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園児たち元気に跳ねる
2術校託児所で運動会 |
海上自衛隊第2術科学校(学校長・石巻義康海将補)の庁内託児所「田浦このはな保育園」はこのほど、2術校体育館において第13回運動会を開催した。
今年は3年ぶりに学校長をはじめ2術校職員の有志が参加した。「父兄・学童リレー」では父兄、卒園児及び2術校職員が走者として参加し、園児よりも闘志を燃やした。園児の声援もあり、抜きつ抜かれつの大接戦で、競技は大いに盛り上がった。
最後を飾る3歳〜5歳児の手旗演技では、一糸乱れぬフォーメーションが披露され、そのたびに保護者席から拍手が沸き起こった。園児は、やり遂げた達成感で笑顔を見せていた。
「田浦このはな保育園」は平成22年4月に開設された海上自衛隊唯一の庁内託児所。運営はキンダーナーサリー株式会社に委託している。2術校としても園の行事を積極的に支援して、自衛隊と託児所との一体感を醸成し、園児育成の一助とするとともに、託児所の一層の利用促進を図っている。 |
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水上で競う 6即連 火支中 |
「第48回めまんべつ観光夏まつり」が7月29、30の両日、4年ぶりに開催され、30日には網走湖女満別湖畔で「第26回北海道ドラゴンボート競技会」が実施された。
今年度新編された第6即応機動連隊火力支援中隊は前第101特科大隊の隊区である大空町を引継ぎ、町が主催するイベントに「ファイヤーサポート」、「小泉海賊団」の2チームで出場、会場を沸かせた。
競技は1チーム10名(女性2名を含む)で行われ、直線100メートルを往復し、予選は2艇でレーンを変えて2回戦行い、合計タイムが早いチームが本戦への出場権を勝ち取る。
「小泉海賊団」は本戦1回戦でコースアウトし敗退。「ファイヤーサポート」は予選1回戦で第2位のタイムを出したが、同2回戦でコースアウトし予選敗退となった。
当日は、時折小雨が降る中、女満別湖畔に14チームが集まり熱いレース展開を繰り広げた。参加隊員は今回の雪辱を果たすべく、来年も参加することを決意していた。 |
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遠軽町の姉妹都市、伯・バストス市渡航記
がんぼう太鼓指導顧問 生駒 弘幸(遠軽OB)
「日本の太鼓は違う!」迫力の演奏も披露 数万人が沸く |
めざそう日本一の遠軽自衛隊をモットーに、日々遠軽自衛隊との絆を深く考え行政に取り組んでいる佐々木修一遠軽町長から遠軽自衛隊太鼓隊に北海道遠軽町の姉妹都市、ブラジル・バストス市への派遣要請があり、自衛隊側の好意で8名の隊員を選抜しました。
佐々木町長を筆頭に杉本信一町議会議長、佐藤祐治町教育部長、中原誉町総務部企画課長、遠軽高校在校生から高井久遠さん、中南秀也さん、佐藤陽菜子さんの3名、遠軽自衛隊に所属する「遠軽町郷土芸能遠軽がんぼう太鼓同好会・遠軽自衛隊太鼓隊」から遠軽自衛隊OBで「がんぼう太鼓」創設者の生駒弘幸を筆頭に重迫中隊の太鼓隊長・平間喜弘陸曹長、鈴木真吾1陸曹、川村徹1陸曹、永井究3陸曹、本部管理中隊の遠藤彰久3陸曹、第2中隊の水野勇一3陸曹、第3中隊の山本雄太3陸曹、羽賀卓夢3陸曹が訪問団に参加しました。
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7月9日午前11時半、遠軽町役場前に集合。遠軽町役場の大型バスで女満別空港に向けて出発。
7月14日午前8時、バストス市議会、バストス市役所、市長室を訪問。参加者全員がバストス市議会から公式訪問者の証書を受け取りました。
同日20時半、「第62回バストス卵祭り」の芸能ステージで太鼓演奏を披露。
36年前にサンパウロで開かれた「ブラジル日本移民80周年記念式典」で公演するため渡伯し、その後姉妹都市であるバストスを訪問して太鼓を演奏した経緯があります。その後、バストスでは有志により太鼓チームが結成されました。
今回の卵祭りにはバストスの太鼓チームのほか、国内2チームが集まりました。ブラジル太鼓フェスティバルで7度の優勝経験を持つロンドリーナ市の「一心太鼓」、マリンガ市は「若太鼓」、そしてバストス市は50名もの会員を数える「昇龍太鼓」がそれです。
がんぼう太鼓は、2日間会場で演奏しましたが今年の卵祭りは5日間の期間中、18万人が訪れたとのことで、数万人の観衆の前で打つ太鼓は格別なものがありました。
ブラジルの太鼓チームの演奏については、威勢はいいものの、サンバ的なリズムで、曲にストーリー性が感じられない印象を持ちました。
がんぼう太鼓は6曲演奏しましたが、1曲ごとにすごい声援を受け、演奏終了後、熱狂的な拍手をもらい、バストス市の昇龍太鼓の支援者からは、「バストスに残って太鼓を指導してほしい」、最後には「3日間でもいい」とまで喰いつかれ、困惑する場面もありました。また、演奏終了後、「バストスの資料館にがんぼう太鼓のユニフォームを展示したい」からと、3着のユニフォームを脱がされました。町長が「後で買ってやるから…」と言うので渡しましたが(笑)。
こちらからは太鼓を持って行かずにバストスチームの太鼓を借用して演奏しましたが、太鼓が軽く、隊員の力で打つと太鼓が浮き上がるので演奏に苦労しました。それでも、観衆には「日本の太鼓は違う」という感触を持っていただけたようで、演奏の成功を確認したところです。
私個人としては、36年前のバストス訪問から文通していた方のお子さん(当時11歳の女の子、シンチィアさん)が今は47歳の3児の母となっていて、再会を果たせたことに感無量でした。最後の日に写真を撮ってと言われ、本当に文通をしていて良かった、姉妹都市とのつながりを引き続き継続していこう、と心に誓いました。
7月21日午後2時半、女満別空港到着。同4時半、遠軽町役場で職員、町民多数から出迎えを受け、ここでやっと大任を果たしたという実感が湧きました。
ブラジルでは、日系の皆さんの母国・日本に対する思い入れが私たちの思っている以上に強く、日本の歴史を子々孫々に受け継がそうとする姿勢が手に取るように分かりました。
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日本移民資料館を見学しましたが、国の政策により笠戸丸で入植が始まってからの時系列がしっかり分かるようにしてあり、今の日本人には分からないようなことまで展示説明してあったのには驚きました。
参加した隊員8名は、貴重な体験をしたほか、遠軽町の事業に最大の貢献ができたものと思います。遠軽町と自衛隊の絆がますます強くなるような活動を続けていく誓いを新たにした次第です。今回の渡航に対して、遠軽自衛隊各部中隊のご支援に心から感謝申し上げます。 |
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