戦前の日本は暗殺が多かった。大正の終わりから昭和の初めにかけて頻発した暗殺が、戦前の日本を悪くした。大東亜戦争に敗れて再出発した戦後の日本には、戦前日本のすべてを否定的に見る歴史認識が生まれている。こうした認識は偏向した史観で、正さなければならないと私は思っているが、暗殺が多かったことだけは、戦前日本の悪いところとして否定したい。
1921年(大正10)11月4日東京駅で原敬首相が中岡艮一(こんいち、18歳)という愚かな若者に刺殺された。中岡は政治に不満をもち、同年9月28日朝日平吾という右翼の活動家が安田善次郎(安田財閥の総帥)を暗殺したことに刺激されたという。原首相の暗殺は日本に決定的な喪失をもたらした。原は日本で初めて本格的な政党内閣を組織し、平民宰相として国民に歓迎された。原は卓抜した能力と見識をもつ大政治家で、明治から現在に至る歴代の日本の首相の中で、一、二を争うほどすぐれた政治家だったと思う。原が生きていれば、日本はその後昭和になって転落していく歴史とは異なる道を歩んでいた可能性がある。
1930年(昭和5)11月14日、浜口雄幸首相が東京駅で右翼の青年に銃撃された。そのとき一命をとりとめたが、その後容体は快復せず、翌年8月16日死亡した。銃撃犯は佐郷屋留雄という青年(24歳)で、浜口は社会を不安におとしめ、天皇の統帥権を干犯したからやった、などと供述した。浜口首相は協調外交を貫き、国民に信頼された謹厳実直な政治家だった。愚かなテロとしか言いようがない。
1932年(昭和7)2月9日、前大蔵大臣井上準之助が東京本郷で小沼正(20歳)に暗殺された。また同年3月5日、三井財閥の総帥団琢磨が日本橋の三井本館入り口で菱沼五郎(19歳)に銃撃され、落命した。小沼正と菱沼五郎は血盟団というテロ組織のメンバーで、血盟団は政界や財界の大物をテロの標的としていた。愚かなテロで日本は井上準之助、団琢磨という世界レベルの第一級の人材を失った。
そして同年(1932、昭和7)5月15日、五・一五事件が起きる。海軍青年将校らが犬養毅首相を官邸に襲い暗殺した。この事件の影響は大きく、これにより日本の政党政治が途絶えた。青年将校らは政党政治家や財閥を批判し、国家改革のためにやったと主張。驚くべきことに、殺された犬養首相よりも暗殺の実行犯の方に同情が集まった。戦前の日本社会の病理である。
極めつきは1936年(昭和11)の二・二六事件である。陸軍皇道派の青年将校らが昭和維新を叫び、千余名の兵士を率いて政府要人を襲い、殺害した。斎藤実内大臣、高橋是清大蔵大臣、渡辺錠太郎陸軍教育総監は即死、鈴木貫太郎侍従長は瀕死の重傷を負ったが奇跡的に助かった。事件後、政治家は陸軍を恐れるようになった。陸軍に支配された日本は急速に転落の道を歩むことになる。
戦後の日本社会はテロとは無縁と思っていたが、安倍晋三元首相が昨年7月9日奈良市で暗殺される驚愕の事件が起きた。さらに驚愕すべきは、暗殺を肯定する意見の存在である。島田雅彦なる大学教授が今年4月14日のネット番組で、「こんなことを言うと、また顰蹙を買うかもしれないけど、今まで何ら一矢報いることができなかったリベラル市民として言えばね、せめて『暗殺して良かったな』と。まあそれしか言えない」と語った。信じられないくらい愚かな教授である。
(令和5年5月15日)
神田 淳(かんだすなお)
元高知工科大学客員教授。
著作に『すばらしい昔の日本人』(文芸社)、『持続可能文明の創造』(エネルギーフォーラム社)、『美しい日本の倫理』などがある。 |