海上自衛隊東京音楽隊(隊長・熊崎博幸2佐)は10月12日、マシュー・ツェーラー博士夫妻の表敬訪問を受けた。ツェーラー氏は、1868年に英国陸軍第10連隊第1大隊軍楽隊長として横浜に着任し、初代国歌といわれる礼式曲「君が代」を作曲した、ジョン・ウィリアム・フェントンの縁者である。
明治時代、薩英戦争で英国軍の強さに衝撃を受けた薩摩藩は、和解後にはその文化を取り入れることに積極的であった。英国軍隊研究のために横浜に派遣された藩士が、フェントンによる軍楽隊の演奏に感動して、薩摩にも編成するよう島津公に進言。その年の秋には薩摩の藩士や領民から選ばれた32名の若者が横浜に到着、軍楽伝習生として本牧山妙香寺でフェントンから指導を受けた。またフェントンは国歌の必要性を指摘し、政府からの依頼を受けて礼式曲「君が代」を作曲した。これは現在の「君が代」と旋律は異なるが同じ歌詞であり、日本で最初の国歌として式典などでしばしば演奏された。
日本の軍楽隊にとって恩人であるフェントンだが、日本を離れた後の消息は長く不明であった。音楽家で元全日本吹奏楽連盟理事長の秋山紀夫氏と、元東京音楽隊長である谷村政次郎氏は、日本における西洋音楽史の研究過程でフェントンの足取りを追い、今年ついにその終焉の地が米国カリフォルニア州であることをつきとめた。これは歴史研究家であるツェーラー夫人が、夫の家系を調べる過程で先祖にあたるフェントンにたどり着いたところ、フェントンを調査している者の存在を知り、秋山、谷村両氏に接触した結果であった。
東京音楽隊へのツェーラー夫妻の来隊も両氏の案内で実現、秋山氏は隊員に対し軍楽隊の歴史についての講話を行った。海軍軍楽隊は元薩摩藩軍楽伝習生を中心に設立されたので、東京音楽隊は言わばフェントンの教え子たちの末裔である。隊員は先人たちの話に興味深く耳を傾けた。講話の後にはツェーラー博士が隊員の暖かい拍手に迎えられ自ら東京音楽隊を指揮、フェントン作曲「君が代」が演奏された。今度はそれに応えるかたちで熊崎隊長が指揮台に立ち、「アイルランド賛歌」と南北戦争を題材にした「アメリカン・サリュート」を演奏、来隊したツェーラー夫妻と秋山、谷村両氏に捧げ、心温まる交流会は幕を閉じた。
歴史に思いを馳せる貴重な時間であった。(東音広報) |