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自衛隊ニュース   2008年10月15日号
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彰古館往来
陸時三宿駐屯地・衛生学校
北清事変と広島病院 3
《シリーズ80》
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 明治33年(1900)7月21日、最初のフランス傷病者が宇品港に到着します。残念ながら航海中に赤痢で2名が亡くなり、宇品港内で砲創と赤痢でさらに2名が、広島の土を踏むことなく瞑目しました。
 博愛丸は、陸海軍の監督下で移動病院として、また患者輸送業務を担当しますが、ジュネーブ条約に準拠した日本赤十字社という民間団体の行動です。
 しかし、日本の地を踏み、広島陸軍予備病院に収容されたフランス負傷病兵は、日本国政府の威信をかけた治療体勢と処遇が準備されていました。
 広島陸軍予備病院では、芳賀榮次郎軍医以下、最高のスタッフと、日本赤十字社から篤志婦人会の看護婦が多数派遣されていました。
 患者の内訳は負傷者が62名、病者が60名の合計122名に上りました。そのうち2名は同じ連合国のオーストリー軍人です。
 負傷者62名のうち、銃創が40名、砲創は22名で、当時の戦闘としては砲創の占める割合が高いのが分かります。これはフランス軍が配置されていた戦闘地域の特性に起因しますが、実際の戦闘での比率ではありません。広島に後送された負傷者が、重傷者であったこともひとつの要因です。
 北清事変衛生事跡には、詳細な統計と、特異な症例が治験記事として多数記載されています。
 特に陸軍大臣桂太郎の特命で配置された芳賀軍医は当時広島陸軍予備病院に設置されたばかりのX線装置の診断を駆使して、当時としては極めて異例な処置ですが、手足の切断術をただの1例も行わず、保存的治療に徹したのでした。
 治験記事の中でも、アノイ軍団司令部参謀ギョーマ(Guilaumat)少佐は、右肘関節貫通銃創によってフランス軍医からは切断を勧告されていたところ、芳賀軍医の診断で、切断手術を中止しました。少佐は帰国後に軍務に復帰し、第一次世界大戦時には陸軍大将にまでなったということです。
 これは西南戦争の際に、順天堂出仕の佐藤進軍医によって、最新のドイツ医学のランゲンベック関節切除術で右腕切断を免れ、後に内閣総理大臣になった寺内正毅元帥に通じるエピソードです。
 芳賀軍医は、後にフランス政府から(広島において)レジオンドヌール勲章を授与されています。


活躍するOB シリーズ
「頑張っています」新しい職場
富岡自動車学校 笹岡光夫
笹岡氏は平成16年12月、小松島航空隊(現第24航空隊)本部総務室長を2海佐で定年退職。57歳
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 平成16年12月4日に海上自衛隊を定年退職し、翌日から現職の富岡自動車学校に教習指導員として勤務しております。現職は、部隊のOB会会長であり、航空学生出身の大先輩でもある方が勤務しておられましたが、その方が退職することとなり、就職援護室から援護のお話をいただきました。はじめは迷いがありましたが、先輩からの熱心な勧めもあり決意し、試験を受け採用されることとなりました。
 内定してからは猛勉強。就職までに、指導員資格に必要な自動二輪免許と燃料タンク保安監督のための危険物「乙4」資格を取り、就職後は、運転技能、教習技能、教習に関する知識(運転、法令、教育法)の資格審査に向けて、20歳頃の航空学生に戻ったような猛勉強を約6か月続けました。平成17年5月に審査に合格し、翌年4月からは、総務部長と副管理者(副校長)として勤務しております。
 小企業の総務部長は、何でも屋です。人事、営業、労働関係、補給、渉外etc。普通免許の教習の合間にこれらの業務をこなすのに、自衛隊での経験が大いに役立っています。ヘリコプター搭乗員で経験した教育法、評価法と研究の進め方、本部運用班長で培った行事の企画・実施、会議の運営法、総務室長で覚えた文書、人事、渉外、接遇能力。人生に苦労があっても無駄なものは一つもないと実感しています。
 もちろん最初は戸惑いもありました。何せ年取った新米指導員見習いですから。しかし地位や階級を忘れ、白紙から再出発する気持ちがあれば受け入れられると思います。失敗を恐れず、当たって砕けろ精神でしょう。それと、管理職に就く場合、労働基準法はよく勉強しておくべきでしょう。緩やかに力強く人生の再スタートが切れるよう祈念します。


横教で予備自訓練
2名に防衛大臣賞
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 海自横須賀教育隊(司令・永沼延1佐)は9月5日から9日までの間、県内外から117名の予備自衛官が参加した平成20年度第1回予備自衛官招集訓練を実施した。5日間の訓練では、基本教練や運動能力測定、射撃など、予備自衛官として必要な基礎的訓練を実施、参加者は現役時代の感覚を少しでも早く取り戻すため、真剣な面持ちで訓練に臨んでいた。
 今回、予備自衛官としての永年勤続年数が30年以上の予備自衛官に贈られる防衛大臣賞表彰を、加々美行春予備曹長、井藤裕三予備1曹の2名が受賞し、半田横須賀地方総監から賞状と記念品が授与された。また、予備自衛官として約10年勤務し、予備自定年退職を迎え今回の訓練が最後となった久保健作予備1尉には、地方総監褒章が贈られた。日常の仕事と招集訓練との両立が困難な中での受賞であり、受賞者の一人加々美予備曹長(山梨)は「昭和49年、予備自衛官として採用され現在に至る34年間の勤務を評価していただいたことは、感謝しても感謝し尽くせない思い。これから定年まで、まだ少し機会が残されているので、招集訓練等の際には、精一杯勤め、このたびいただいたご芳情にお応えすべく、残り少ない予備自任期を、少しでも皆様のお役に立てるよう頑張りたい」と受賞の喜びを語り、井藤予備1曹(静岡)は「年々参加は難しくなってきているが、ここまで続けられたのも、家族や会社の理解と協力があってこそ、努力が報われ大変感謝しています」と感謝の意を述べた。また、総監褒章を受章した久保予備1尉は、「短い予備自期間ではあったが、毎回充実した訓練だった。年々参加が難しくなってはいるが、出来るだけ参加し、少しでも国防の一翼を担えるよう頑張ってもらいたい」と後輩予備自衛官にエールを送った。


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