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   2004年3月1日号
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<寄せ書き>
剣道8段審査合格
6特連5大本管中隊 曹長 石井勝義
 平成15年11月25日。私にとって生涯忘れられない1日になりました。場所は日本武道館、剣道8段審査の日です。私は今回で受審5回目になりました。2月13日、私の生涯の師・北海道の瀧澤範士8段が他界された時、先生の健在時に8段合格を報告出来なかった事を悔い、私はなんと不肖の弟子なんだろうと師を前に号泣してしまいました。そして心の底から自分自身に覚悟と誓いを立てました。それから埼玉の根岸8段(埼玉県警名誉師範)に弟子入りしどんなに苦しい稽古でも、どんなに身体が疲れていても自分の弱い心との真っ向勝負を始めました。今日は身体がクタクタだから夜の稽古は休んでもいいよなーと、弱い自分に何度も何度も苦しめられ何度か負けてしまった事もありました。5月に京都で4回目の挑戦、自分自身に精一杯稽古してきたんだと言い聞かせながら集中していました。審査が始まると相手の方をどう打とうと組み立てを考えていましたが相手を打つ気が先立って両肩に力が入り過ぎ力んだ剣道になってしまいました。結果は、一目瞭然の不合格。
 帰り際、警視庁の西川8段(全日本選手権優勝4回)に「相手が動いたら打つのではなく相手を動かして打つ自分との戦いですね」とアドバイスを頂き自分の剣道が定まりました。休日は前日から東京に出て午前、午後、夜の1日3回稽古と師匠の根岸先生から的確な指導を頂き、部隊では東北方面の剣道教官を命じて頂き訓練で埼玉、青森、秋田、岩手、各県警機動隊の先生方に指導を頂き、方面の選手共々鍛えて頂きました。
 私の母隊である郡山駐屯地で課業外、剣道部員と稽古を重ね1度たりとも自分に負けることなく当日を迎え1次に合格することが出来ました。2次審査では、2番目の立ち会いで今まさに始まろうとした時、目の前に瀧澤先生が現れ「お前さん頑張りなさいよ」と、ニッコリ笑い次に郡山駐屯地の剣道部員、方面剣道基幹要員の応援する顔が時間にして数秒の内に現れスーと力が丹田に降りてきて全く緊張がなくなり気力が漲り充実の中で雑念のない無心の剣道「今!」と思った時、相手の方を打ち終えていました。
 諸先生諸先輩そして、今まで一緒に稽古してきた剣友が私を後押ししてくれたことと確信しています。全てが終わった時会場に礼をし正座した瞬間に涙が溢れ合否よりも皆さんに感謝したい気持ちでいっぱいでした。
 今後は、剣道8段に恥じぬよう自衛官として、社会人として初心を忘れずに生涯精進努力致します。そして剣道を理解してくれた妻と家族に心より感謝しています。また、紙面をお借りして自衛隊および関係各位の皆様に心より深く感謝いたします。「ありがとうございました」
わたしのパパ
6特連本部中隊・松原2曹 まつばら みさき
 わたしのパパは、ことしの3がつからおしごとを、するところがかわりました。まえは、かえってくるのもはやかったので、おふろにもいっしょにはいっていたけど、いまは、ときどきしかはいれないです。休みもまえよりすくないので、みんなででかけることもすくなくなりました。たまのお休みには、あさ2人で、じてんしゃで、サイクリングにいったりします。このまえのお休みには、みんなでぶどうがりにいきました。じぶんでハサミをつかってとってたべました。とてもおしかったです。またいきたいなあ。
 つぎに、パパがおうちにいるときのことをかきたいとおもいます。パパは、あさは、とてもはやくおきます。わたしもときどきおこしてもらうけど、なかなかおきれなくて、しかられることもあります。どうしたらパパみたいに、はやくおきれるのかなあとおもいます。ごはんをたべているとき右手だけで左手をださないでたべているとかならずおこられます。おうちでは、しかられることも多いけどやさしいところもたくさんあってわたしは、とてもだいすきです。

「頑張っています」 新しい職場
活躍するOB シリーズ
セーフティガード警備(株)  樋口 忠士
樋口氏は平成14年10月、北部方面調査隊(真駒内)を3陸佐で定年退職。55歳
 現職の頃は、再就職は何とかなると思っていましたが定年6ヵ月前になって就職先を選べる時代ではなく本当に雇用状況が厳しいという現実を実感して、初めて「何でもやらないと仕事はないという認識」を持てました。勤務先は、交通誘導・施設警備を主体とする警備会社で、北海道地場企業としては業界トップの会社です。
 入社して6カ月が過ぎました。この間交通誘導、営業を経験し、現在は、約300名の警備員に日々の勤務配置を指令する管制課長業務を勉強中です。管制とは警備会社における中枢的機能で、派遣する会社や現場のニーズに応えるほか、警備員の能力、性格、居住地、警備員同士の相性などを考慮して警備員をいかに効率的に運用するかが問われる重要恋職務です。
 管制課長業務では、受注確認漏れや配置ミスなどが相手先の信頼を失い、会社の業績に影響するほか、人を派遣して成り立つ警備会社の根本である警備隊員との信頼関係も壊れることになるので、大変な仕事を任されたと思っています。現在、休日ものんびり出来ず不安と失敗の連続ですが、早く自分のスタイルで管制出来るように努力しています。
 警備隊員を見ていて感じることは、自衛官らしい人は優秀な警備隊員・即戦力になれると思います。自衛官らしさとは、服装態度に節度があり礼儀正しい。時間や約束を守る責任感・規律心がある。団体の中で行動できるなどです。たくさんある自衛官らしさ、長所を失わないことが必要だと思います。任期制隊員に限らず定年予定隊員の方も企業がこういう自衛官を求めているんだということを知ってほしいと思います。
 また、自分自身の反省から感じることですが、現職時代は大した苦労らしいものもせず常に周囲の人に支えられて過ごしてきたと思っています。苦労をしなかった分、現在苦労しています。現職の人は、周りから見て思う苦労ではなく、いわゆる「自分自身が苦労と思う苦労」をたくさんしてほしいと思います。自分自身が真に苦労したことや失敗は忘れず、必ず経験となり後に活きます。これが、いろんな場面における判断や創造力につながると思います。

回想の70年代 (27)
卒業シーズン/カネボウの凋落
 だいき 今回はネタが二つもあって何から話そうかと迷うほどです。
 ひろか まず、2月14日の「ポップジャム」(NHK)という番組でゾーンという女の子4人のグループが歌う「卒業」(詞・曲 町田紀彦)という曲を聴いて、ああ今年もそういうシーズンが来たんだなとしみじみ感じました。
 だいき 時が移り世が変わっても卒業というのが人生の一つの節目であることは違いないでしょうからね。しかし、今の若い人はゾーンの曲に素直に感情移入して、後々まで卒業といえばこの曲が重ね合わさって思い出されるとしても…
 ひろか 卒業をテーマにした曲ってたくさんあるということを知っているパパなんか、ああこの作詞した人は過去の曲のパクリにならないようかなり気を使って詞を書いたんだろうなとか言ってた。
 だいき とは言え、70年代において「卒業」というテーマをストレートに作品に作り上げたのはユーミンくらいではないでしょうか。ハイ・ファイ・セットが歌って注目を集めた「卒業写真」、「最後の春休み」、それと呉田軽穂の名で82年に松田聖子に提供した「卒業」(曲名にやや自信なし、「赤いスイートピー」のB面)−−これが70年代の3大作と言えましょう。
 ひろか まあ、音楽という物差しでは82年初頭なんて、70年代に入りますよね。そこで、ちゃんとした(?)80年代に入るといろんな歌手が「卒業」というテーマで歌うようになったんじゃないかな。
 だいき 菊池桃子、斉藤由貴、それに尾崎豊。卒業の時期が交際の切れ目という男女の関係を歌った柏原芳恵「春なのに」もありますね。
 ひろか ちょっとこの斉藤サンと尾崎サンというのは脇道にそれて話題にしたい人たちですが、どうしても攻撃的になっちゃいますから、ここではよしましょう。
 だいき そう。パパみたいに中年になったら、若い人たちがみんなよい思い出をもって学び舎−−もしかしたらクラブ舎とか恋愛舎だったり人それぞれいろいろなとらえ方があるでしょうが−−を卒業して、そして次の場所で更によい思い出作りをしていけたらいいなと願ってあげるのみです。
 ひろか ゾーンの女の子たちの顔をテレビで見たら、若いというのはもうそれだけで宝石みたいに輝いているだって。
  ◇ ◇
 〈カネボウの凋落〉かつて70年代後半から80年代前半にかけて資生堂と四季折々に派手なキャンペーン競争を繰り広げ、キャンペーン曲としてあまたの名曲を生み出したカネボウfor beautiful human lifeが産業再生法を適用して再建を図るというニュースは、事情に疎い者としては大きな驚きでした。(つづく)

<部外者の声>
自衛隊へのメッセージ
教育システムの提供と資料の充実を
元富岡高等学校校長 戸塚雅宏
 「受けても、受かりませんよ!もう難しくって…」と、進路指導担当の先生は嘆いている。昨年、14年度県下高卒の自衛隊2士入隊者は97名、かつての最多は530名と、年々難関の度は高まるばかりだが、かつて多数採用の時代には、合格者の中に課題を抱えていた生徒がいた事もあった。
 しかしそうした生徒も、新町駐屯地などの数週間の初期訓練を経ただけで、見違えるように立派になって、その変わりようと自衛隊の持つ組織的な実践的教育力の高さに驚かされる。
 課題を抱えた生徒の変わり方がこの様であるから、大多数の普通の入隊者にとって、その後の自衛隊生活による人格形成の水準の高さが偲ばれる。加えて不断の練磨、精進と相まって、例えば諸外国の軍隊と比べ、犯罪発生率の極端な低さなど、多くの指標となって現れ、「自衛隊は世界一強い軍隊」(長谷川慶太郎「組織の戦闘力」東洋経済・昭61)とする評価にも成ることは、十分にうなずける。ひるがえって、新入隊員を送り出している学校の現状はと言うと、文科省、教委を中心に努力を重ね、成果が挙がっている面も多いが、反面、例年の全国の成人式の一部青年の態度に見られるように、日本の教育は重大な危機を内包し、その成果は芳しいものではない。このままでは、日本が崩れてしまう。
 解決の決め手の1つは、青年期に、1度は必ず、組織的な自衛隊教育の洗礼を受けさせることが必要であると、昨今思いを致している。こうした制度をぜひ実現させたいと念願するとともに、それらを中心に自衛隊に対して、更なる協力をと考える毎日である。
 また、この際、全国にある自衛隊の各種資料館などにおかれては、国民の精神支柱確立の面からも、例えばトヨタ「産業技術記念館総合案内」などに見られる充実した資料を有料であっても、ぜひ作成して欲しいと強くお願い申し上げたい。
P-3Cに体験搭乗して
大分県 宮里将史
 海上自衛隊P-3Cの体験搭乗の話がきた当初は大学生活の思い出として遊覧飛行程度にしか考えておらず、即答で申し込んだ。
 搭乗当日、雨上がりの空を気にしながら大分空港へと着いた。早々、機体の概要や乗る際の注意などが説明されたが、私の頭の中は既に乗った時の事しか考えておらず、話の内容はあまり覚えていない。ようやく私の順番となり滑走路へ出てみると、レシプロエンジンが4個付いたP-3Cが轟音を響かせながら大分空港へと降りたってきた。早速乗り込むと機内にはいたる所に索敵用の器機が搭載されており、日本を他国の侵略から守ることや遭難者の救出に役立てている場面が頭に浮かんできた。
 大分空港へ戻ってきてP-3Cを降りる時、自衛隊の任務がいかに重大でやりがいのある仕事であるかを痛感した。

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