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   2004年1月15日号
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成人おめでとう!!
これからの抱負
二つの必成目標
第12普連隊第1中隊 陸士長  古川祐二
 私は、今年成人を迎えるにあたり2つの目標を立てた。
 1つ目は、「何事にも目標を持つ」という事だ。今までは、未成年という事でやらないで良かった事、許されてきた事も成人になれば責任がかかってくる。今までの考え方を改めて、自分の行動、考えに自信を持ち、責任が持てるようになりたい。
 2つ目は、早く陸曹になる事だ。私は永続希望なので、1日も早く陸曹になり、沢山の経験をつんで立派な上級陸曹になり、部下を引っ張っていきたい。その為、第1関門である陸曹候補生1次試験合格に向けて全力で取り組んでいく覚悟だ。
 成人を迎えるにあたり、この2つを私の必成目標として努力していきたい。
成人を迎えての決意
第4特科群本部中隊 陸士長  照井 麻里
 入隊当初は、何も分からず無我夢中でしたが、教育も修了に近づいてくると「私は本当に自衛隊でやっていけるのか…」と、悩んだことがありました。そして教育も修了し、有線通信手として、中隊の通信小隊へ配置されましたが、中隊の先輩方は、分からないことがあると優しく指導してくれ、悩み事も親身になって考えてくれて、この中隊に入って本当に良かったと思いました。また、今では本当に自衛隊に入って良かったと思っています。
 これまで何も考えずに何となく暮らしてきた私ですが、成人を迎え大人の仲間入りをしたので、自覚ある行動をとらなければならないと思っています。そして、今年から私の目標である有線陸曹を目指して頑張りたいと思っています。
父を越える大人に
第12普連隊第2中隊 陸士長  甲斐 晃平
 高校を卒業して自衛隊に入隊し2年という時間が経ち、私はもう20歳になろうとしている。
 「成人」という言葉を調べてみると、大人になること、一人前に成ることと書いてあった。
 私が年少の頃に思い描いていた20歳の自分の姿とは、やはり、自分の一番身近にいた父の姿である。
 私も父と同じ自衛官という職業に就くことが出来たが、人として自衛官としても父には遠く及ばない。
 これから、20歳を迎え「成人」になるが、今まで以上に何事にも一生懸命取り組み、父を越えるような立派な自衛官を目指し頑張っていきたい。
成人を迎えるにあたって
第2偵察隊 陸士長  加藤 仁人
 私は今年度をもって、成人を迎えることになりました。私が中・高生の時に想像していた成人というのは、親元を離れて一人で生活をしているというイメージでした。
 しかし、実際に成人になっての実感は、想像とは全く違うというよりももっと複雑な感じで、本当にこのまま成人を迎えていいのだろうか、私自身成人を迎えた事で子供から大人に変われるのか、大丈夫なのだろうかと考えてしまいとても不安です。ですが、成人を迎えるにあたって、私はこれだけは守っていこうと思っている事があります。
 それは、私が生まれてからこの20年という時間、私を育ててくれた両親に精一杯の親孝行すること、どんなささいな事でも絶対に迷惑を掛けず自分でしっかり対処していくということです。至って当たり前のことなのですが、先ずはこれをしっかり守って頑張っていこうと思います。
新成人の決意
第305基地通信中隊 陸士長  高橋蘭
 今年20歳を迎えるにあたっての抱負は、まず、仕事を覚える事です。早く環境や仕事に慣れて、部隊の役に立ちたいと思っています。また、何に対しても意欲を持って取り組み、社会にもっと目を向け、新聞・ニュースなどを見て、自分の考えをしっかり持った大人になりたいと思います。20歳を迎えたのをきっかけに、今までやったことのない事や、やってみたい事に積極的に挑戦していこうと思います。私のモットーは「何でも楽しく」です。それはふざけるのではなく、つまらない事柄でもその中に自分なりに楽しみを見つけられれば毎日楽しく過ごしていけるんじゃないかなという私なりの考えです。
 20歳になって、今までよりももっと知識を増やし、沢山努力して、この弘前駐屯地で頑張っていきたいと思っています。
新成人の抱負
第39普連本部管理中隊 陸士長  吉田友幸
 新成人になるにあたって決意した事は「前に進む」事です。しかしながら失敗や悩みなどでなかなか前に進む事が困難な場合が数多くあります。ある本にこんな言葉が書かれていました。
 「失敗とは、失敗を恐れて挑戦しない事」私は、この言葉から勇気をもらいました。たとえ失敗して2歩下がったとしても、その後に3歩すすめばいいじゃないかと。そして何事にもポジティブに考えていこうと思いました。
 中隊配偶になって数ヶ月がたちますが、これから先まだまだ沢山の困難が待ち受けている事だと思います。失敗する事を恐れず、また失敗してもその倍くらい前に進める強さを身につけたいと思います。前へ前へ…。

「頑張っています」 新しい職場
活躍するOB シリーズ
(株)阿波銀行  加藤 泰
加藤氏は昨年7月、徳島航空基地隊を1海尉で定年退職。54歳
 私は再就職先に寮の管理人を希望していました。退職の2年程前、銀行の研修所管理人をされている先輩の方が職場にこられて、雑談の中で仕事をやめられるという話が出たので、銀行に紹介していただくようお願いしました。就職援護室長にこの事を話し、就職援護室からもお話していただくようお願いしました。1年程前に、住み込みが条件なので妻と面接・身体検査を受け、内定、そして採用となりました。
 研修所は人事部研修課に属し、建物は研修棟と宿泊棟に分かれ、運動施設として野球場とテニスコートが2面あります。
 勤務内容は、研修時は、研修課の手伝い、宿泊の準備等を行い、研修が終了すれば、研修棟、宿泊棟を妻と手分けをして清掃を行います。研修がない時は、屋内外の環境整備を行っています。敷地面積が結構広く、樹木が多いので刈り込み、落葉集め、雑草の除草等忙しい毎日です。研修日が近づけば研修棟・宿泊棟の清掃と宿泊準備をし、土曜日・日曜日は野球場の貸し出しをします。難しい仕事ではなく、自衛隊で日頃行ってきた事をそのまま仕事に当てはめればできることばかりです。
 戸惑ったことは、電話の応対でした。自衛隊では「簡潔明瞭に」でしたが、ここでは、慣れない敬語を使わなくてはいけないので、大変でした。
 管理人の仕事は、生活の場と職場が同じなので、ともすれば日常の生活と仕事にけじめが無くなってしまうので、生活にリズムを付けるよう心掛けています。
 また、妻と2人で採用されているので、どちらかが病気や怪我で働くことができなくなる事のないよう、2人で健康や怪我には十分気をつけています。
 最後に、再就職に際しては、まず健康であることが大事です。現職のうちに体の悪いところは、治療して直しておくことが大切です。そして就職後は「階級」を忘れ、「謙虚な気持ち」で、「健康管理」に十分注意して頑張っていただきたいと思います。

回想の70年代音楽 (24)
年末年始のうた番組から
夢の紅白歌合戦(12・27 TBS系)
 だいき 60、70年代に活躍した懐かしい顔ぶれがそろい、その隠れたエピソードも披露された好企画だった。アイドルの松本ちえこ、黒木真由美、あいざき進也、フォークのはしだのりひこ、前田貢(マイ・ぺース)、ニューミュージックの小坂恭子、ポップスの朱里エイコ、本郷直樹、ムード歌謡系の平浩二、それに今回の目玉、復活したじゅんとネネ、フィンガー・ファイブ…
 ひろか 司会の久本雅美が質・量ともに度を超したしゃべりで場を壊す場面もあったのは興ざめで、もうひとりの司会の薬丸裕英がかわいそう。
 だいき 登場する歌手ごとに語りたいことはあるが、前田貢、朱里エイコ、本郷直樹の3人のことに限って述べましょう。
 ひろか マイ・ペースの代表曲「東京」のことは以前に取り上げましたが、その真相が分かったのは収穫と言うべきか、前に書いたのが的はずれで恥ずかしいと言うべきか。東京に住む恋人のルミちゃんと名古屋で音楽活動をやっていた前田氏の長距離恋愛がもとだったんですって。ただし、その恋愛がゴールインに至らなかったのはセオリーどおりよ!
 だいき そんなに強調するなよ。ところであとの二人、朱里エイコ「北国行きで」「愛の衝撃」と和製プレスリーと称された本郷直樹「???」は70年代初頭にそれまでにないパワフルな歌唱力で大人気の歌手だった。
 ひろか パパ(当時、中学2年)の田舎にあったスケート場に昭和48年の冬、当時人気絶頂の3組の歌手が来てラジオの公開録音があったんですが、その時来たのが朱里エイコと麻丘めぐみ、平田隆夫とセルスターズだそうで、パパにとってはこれがはじめて人気者をナマで見る機会だったんだって。
 だいき 田舎の中学生だから当時評判だった朱里エイコの脚線美なんて関心なかったのさ。
 ところで、本郷直樹が歌手になる前に自衛隊にいたことは知っていたが、少年工料学校というのははじめて知った。番組では「横須賀少年工科学校」なんて紹介していたが、卒業生にしてみれば面白くないだろうな。
 ひろか 脳内出血による半身不随から自殺未遂まで思い詰めた壮絶な体験も初めて知り、よくここまで蘇ったなと感動しました。ますますの活躍を祈りたいと思います。
 −−ザ・ベストテン2003(12・30 TBS系)
 ひろか こちらは黒柳徹子の好き勝手なしゃべりをコントロールできていなかったし、高額の商品を取り合うクイズも場違い。視聴者は歌を聴きたいんだよ。
 −−紅白歌合戦(12・31 NHK)
 SMAPはやっぱりすごい。「はなわ」がよく動いて、声を出していたのも○。

寄せ書き
即応予備自の職場訪問
長野地連部長 1陸佐  川口博司
 12月22日、長野県下高井郡にある渋温泉の「ホテルさかえや」を訪問した。即応予備自衛官が勤務していると聞いての訪問である。どんな人だろうか、頑張っているんだろうか、と思いつつホテルに到着すると「さかえやによくおいで下さいました」と一人の青年が出迎えてくれた。「私、即応予備自衛官の客本です」。その対応ぶりは実に堂に入っている。第48普通科連隊第2中隊に所属する即応予備陸士長の客本(きゃくもと)秀幸君(29才)である。
 夕食時、女将の湯本育子さんが色々と話をしてくれた。「時間にも正確だし、頼んだこと以上にやってくれます。専務取締役(女将のご息子)や料理長も若く、彼らの良い刺激にもなっているようです」
 本人も「私は長野の出身ではありません。当初北海道の人材派遣会社から長野で働いてくれと言われてここに来たが、すっかり気に入って正社員になりました。仕事は当然ながら、訓練も頑張ります。でもまだ女将に訓練の風景を見てもらったことはありません。近く是非その機会を設けたい」と話していた。
 即応予備自衛官制度の普及と自衛隊のOBの素晴らしさをご理解頂くための一助になれば最高である。職場での女将のご理解と良き同僚に恵まれ、今後ともますますのご活躍を期待したい。私にとっても久しぶりの楽しい一時であった。
ホームビジットの所管
予備自衛官補2期生 診療放射線技師  中谷泰雄
 予備自衛官補訓練期間中に、日米合同演習で今津駐屯地に来ている米兵を、我が家に招いてみたいとアンケートに書いたところ、大津駐屯地の配慮により受け入れることが出来るようになりました。
 受け入れ当日は、海兵隊員3名に駐屯地からの通訳の方1名の他に、予備自衛官補の訓練を一緒におこなった方2名をお招きしての宴会となりました。海兵隊の方は20歳そこそこの若い隊員達で、沢山食べるだろうと予測していたのですが、それ程でもなく「なぜあまり食べないのか」と聞くと、ほとんど食べたことのない物ばかりだそうで、美味しいと言っていた割には小食のように思いました。
 お箸もうまく使っていたのですが、「フォークを出しましょうか」と言うと「いらない」と言っていました。正座をするのが苦手らしく「膝を崩してください」と言うと、助かったような感じを見せました。自己主張するのかと思っていたのですが、すごくおとなしい人達で、私が持つ海兵隊のイメージとはぜんぜん違う人達でした。
 家内がどんな食事を出したらいいのか悩んでいましたが、すき焼きと寿司を中心に、餃子、天ぷら、チキンのフライなどになりました。ゆっくりしてもらえる時間は2時間ほどで、食事が済んだ後は子供達とTVゲームで盛り上がる組と話し込む組とに分かれ、それぞれ楽しんでいたように思います。
 時間が経つのは早いものでこれなら1泊2日ぐらいあってもいいかなと思いました。また子供達もすごく気に入っていたようで、ホームビジットを毎年やってくれとせがまれました。英語に興味を持ち始めたことは非常に良い事だったと感じました。来年は、米軍基地のフレンドシップデーに行ってみようかということになりました。

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