リクルート社から陸幕に「自衛隊の中で転職経験のある人」というオファーがあり、「東部方面に松田あり」と白羽の矢が。レンジャーへの強い思いから、退官転職、そして再入隊。松田2曹を今も支えるレンジャー経験とは−−。 学校を卒業し単身で故郷を離れた。バイク整備工場に就職。そんなある日、自衛官募集のポスターを目撃。「とりあえず」と葉書で「資料請求」。2日後、職場の寮に地連の募集担当官がジープで現れ、そのまま同行。受験。入隊…。 レンジャーとの出会いは1士の時。班長がレンジャー隊員だった。そしてチャレンジ。「気合を入れすぎた」という。それは「手を抜かなかった」ということでもあった。13週のうち10週目で足をケガ。断腸の思いで原隊に復帰した。「結局、途中で止められなかった。不器用だった」。 昭和天皇の「大葬の礼」、2月の任務を最後と誓った。退官。昭和が終わった。再就職したが、やっぱり「終わらないものがあった」… 再任用制度を利用して戻ったのは、同じ部隊の同じ部屋。同じベッドという幸運に恵まれた。全てが甦り.気合を入れ直した瞬間だった。 「お前は2度目のレンジャーだというプレッシャーもありました」。みこと完遂。辛かったことは?「想定中に目が見えなくなった…数日寝ず、食事もない。3日間、缶詰ひとつを2人で分けた」。極限で人間は米一粒をめぐってでも喧嘩になるという。辛苦も笑顔で語ってくれた。 その後、助教としてレンジャー教育に参加しても「フェアで厳しく」がモットー。意味のないシゴキならいらない。「訓練中の車内で歌わせたりするが俺はやらない。俺が歌う。普段歌わされているならば、俺が歌おう」 東部方面隊第1教育団で教育隊の班長をし、今は広報陸曹。レンジャーを完遂した経験がすべてに生きる。「メディアを通じて人々に自衛隊の真姿を見せたい」。 今回の「ガテン」では、「個性を生かせる人材が集まるといい」。「職人として生きる陸曹。技を伝授したい。だから厳しくフェアに」