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自衛隊ニュース   1092号 (2023年2月1日発行)
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知恩報恩
<15>
株式会社神戸製鋼所顧問 田浦 正人
誇りと感謝!

 「中国に残された化学兵器をなぜ日本が処理しなくてはならないの?」
 陸上幕僚監部運用支援課長時代の私の疑問です。
 条約により、持ち込んだ国が処理する事と定められているからなのですが、再就職した神戸製鋼所で中国遺棄化学兵器処理事業のお手伝いをするとは、当時夢にも思っていませんでした。
 神戸製鋼所は潜水艦や浄水セットなどで自衛隊と関係がありますが、実は、中国に旧日本軍が残した化学兵器の爆破処理も行っています。
 中国で発見・保管された化学弾を、人が立って入ることができるくらい大きな鋼鉄製の密閉容器の中で爆破処理して安全化する事業です。
 この事業には、幹部自衛官や隊員の退官者が百数十名かかわっています。
 また、沖縄の関係機関などのニーズを受けて始められたものとして、中国での爆破処理のノウハウを活用し、トラックの荷台に乗るくらいの耐爆容器を開発して、沖縄の不発弾処理にも貢献しようとしています。
 これは、耐爆容器という密閉した鋼鉄製のチャンバーの中で、不発弾の信管を物理的に破壊するもので、万が一、不発弾が誤爆しても耐爆容器の外は安全だという優れものです。
 時折、地中深く穴を掘って自衛隊が不発弾の処理をするニュースが流れますが、あの作業を安全に行おうとするものです。
 これにより、不発弾処理時の避難地域を十分の一以下にする事が期待できます。
 このように、退官してからも社会貢献ができる仕事ができ、大変充実しています。

 この社会貢献を可能にしているのは、現役時代の知識や経験、またそこから広がった人脈によるところが大きいと考えています。
 現役時代、機甲科であった私は、第12戦車大隊で61式戦車、第3戦車大隊で74式戦車、第72戦車連隊で90式戦車、第7師団で10式戦車と国産戦車すべてに乗ることが叶い、戦車乗りとして大変恵まれました。
 また、イラク復興業務支援隊長や福島原発対処現地調整所長などの任務に就き、まさに知識や経験、そして貴重な人脈を得ることができました。
 この宝ともいえる知識、経験、人脈が、中国遺棄化学兵器処理事業の内閣府への説明、退職自衛官のリクルート、沖縄の不発弾処理事業などのお手伝いに活かされていると考えています。
 更に、この宝を授けていただいた自衛隊への恩返しとして、自衛隊家族会で家族支援のお手伝いをしています。
 このようなボランティア活動は、永年自衛隊にお世話になった者の使命であるとも考えています。
 お世話になった自衛隊のため、隊員とその家族を繋ぐ役目を果たしていければと思います。

 退官後、活き活きと遣り甲斐をもって働くためには、健康は勿論のこと、現役時代に一生懸命任務に邁進する事が大事であると思います。
 端的に言えば、部隊を強くすることと、隊員を幸せにすることを念頭に、自ら考えて仕事をすれば、貴重な知識、経験を積むことができ、結果的に良い人脈を
形成できると考えています。
 その際のキーワードは、「誇りと感謝」です。
 自らの任務に誇りをもって邁進し、それを支えてくれる同僚、隊員、家族、応援団の皆さんに感謝することです。
 私は今、神戸製鋼所で中国遺棄化学兵器処理事業や沖縄の耐爆容器提案により社会貢献できることを誇りに思うとともに、自衛隊や現役隊員に感謝の念をもってボランティア活動で恩返しを実践しています。
 誇りと感謝の念をもって日々精進する事が、明るい未来に繋がっていると信じています。

(著者略歴)
 防大28期・第3戦車大隊長(今津)・イラク復興業務支援隊長(サマーワ)・第72戦車連隊長(北恵庭)・福島原発対処現地調整所長(Jビレッジ)・幹部候補生学校長(前川原)・第7師団長(東千歳)・北部方面総監(札幌)


読史随感
神田淳
<第118回>

日本の国家戦略ーアングロ・サクソンとの協調

 日本の近現代史をふり返ると、日本はアングロ・サクソン(英米)と協調しているときはうまく行き、そうでないときは失敗していると、外交史家/戦略思想家・岡崎久彦氏(1930-2014、元外務省情報調査局長、元駐タイ大使)は言う。
 明治時代の日本は日英同盟を結び、これを後ろ盾として南下するロシアと戦い(日露戦争)、勝つことができた。米国との関係も良好だった。奉天会戦でロシア軍は退却したものの陸軍の戦闘力は完全に尽き、日露戦争は長引けば負ける戦争だったが、ルーズベルト大統領の好意的な斡旋を得て、勝っている状態で戦争を終結させることができた。日本は国際連盟の常任理事国となり、五大国の一つとして国際的地位を得た。
 日露戦争後米英との関係が次第に悪化していく。米国の力が非常に強くなり、英国は米国の力と意見を尊重せずには世界政策を遂行できなくなった。1921年日英同盟が廃棄された。大陸へ積極的に進出する日本は、中国のナショナリズムに同情を寄せる米国に敵視されるようになった。1940年日本は日独伊三国同盟を結び、米英との決定的な対立関係に入った。米英と戦い(太平洋戦争)、徹底的な敗北を喫した。
 戦後の日本は民主主義の試行錯誤も多く、強力な指導者に恵まれたわけでもなかったが、何とかうまくやってこれたのは、サンフランシスコ講和条約、日米安全保障条約という国家戦略が基本的に良かったからである、と岡崎氏は言う。
 また、氏は言う。力の関係だけを考えてもアングロ・サクソンは過去四百年の大きな戦争には全部勝っている。英米は同根であり、我々が現在信奉しているデモクラシーも、英米仏いかに違っているように見えても、結局はアングロ・サクソン的制度である。日本の国家の安全な存立のために、アングロ・サクソンとの協調が決定的に重要である。日英同盟の期間中とか、戦後の日米安保体制の日本とか、アングロ・サクソンと同盟しているあいだの日本はあまり素頓狂な間違いをおかさない。いったんこれが切れると1930年代のように、もう世界の情勢がどうなっているか常識的な判断を失い、八紘一宇だとかを口走るようになった、と。
 戦前日本の米国との協調関係のつまずきは、日露戦争後の満州問題の処理から始まった。戦争の結果、東清鉄道の南半が日本のものとなるが、米国の鉄道王ハリマンが来日し、米国資本を参加させる日米共同経営を申し入れた。元老井上馨はこれにとびつき、桂首相の同意も得た。今後予想されるロシアの復仇と中国の国権回復運動を考慮するとき、満州に米国と中国の両方の資本を入れておくのがよいとする井上の考えは、極東の力関係の将来を見通した卓見であった。ポーツマス条約を締結して帰国した小村寿太郎外相は、この話を聞いて憤然とし、政府内を工作して桂首相がハリマンに与えていた仮了解を取り消させてしまった。大いに失望したハリマンは後日、「日本は十年後に後悔することがあるだろう」と語った。その後の歴史はハリマンや井上が正しかったことを示している。
 岡崎久彦氏は日本の存立と安全を考え抜き、国家戦略としてアングロ・サクソンとの協調を主張した。2014年死去した氏は、習近平時代の最近の中国の変化を見ていない。ご存命であれば、中国が強大化して一方の力の極になろうとも、日本はぶれることなく米英と協調するのがベストであり、国家戦略として日米安保条約の強化を主張すると思う。
(令和5年2月1日)

神田 淳(かんだすなお)
 元高知工科大学客員教授。
 著作に『すばらしい昔の日本人』(文芸社)、『持続可能文明の創造』(エネルギーフォーラム社)、『美しい日本の倫理』などがある。


高知県防衛協力10団体
新年互礼会を開催
 高知県の防衛協力団体主催による新年互礼会が、1月15日高知市のホテル三翠園で開かれた。
 コロナ禍による2年間の空白があったため久しぶりに参加した面々はお互いの健康を確認しあって再会を喜んだ。会場には30基のテーブルが並べられており、感染防止を考慮して以前の12人座りから6人座りにしていたものの、国会議員や県議会議員、市町村長をはじめ各団体の会員ら200人強が参加して大変賑やかな会となった。
 会は下元弥生さん(高知地本)の流暢な司会で始まり、高知県防衛協会会長の山本文明氏(四国銀行頭取)が主催10団体を代表して挨拶を行った。続いて尾崎正直衆議院議員ら4人の国会議員、浜田省司高知県知事、遠藤充第14旅団長らが祝辞を述べた。防衛予算の増額、安保3文書など注目の時期だったためこの問題に触れる内容が多く聞く方も熱心だった。そして桑名龍吾氏(高知県議会議員)ら10名による鏡開き、今村功氏(高知県隊友会会長)の乾杯の音頭の後、テーブルを回りながら酒を酌み交わす高知県独特の宴席風景での新年のスタートとなった。
 約2時間と短い時間ではあったが原洋吾氏(高知県自衛隊家族会会長)の閉会の挨拶で3年ぶりの互礼会は全員納得の下で終わりとなった。
 <10団体>偕行会、海洋会、郷友連盟、水交会、土佐桜友会、自衛隊退職者雇用協議会、高知県隊友会、高知県自衛隊家族会、高知県防衛議員連盟、高知県防衛協会

日印戦闘機共同訓練
戦闘機を報道公開
 1月16日から航空自衛隊はインド空軍と戦闘機共同訓練「ヴィーア・ガーディアン23」を行った。両国が日本で戦闘機の共同訓練を行うのは初めてのこと。23日には百里基地において、訓練に参加中のインド空軍西部航空コマンド第220飛行隊所属Su30MKIが、空自第7航空団(百里)所属F2、同じく航空戦術教導団(小松)所属F15とともに報道陣に公開された。
 悪天候のためSu30の飛行は中止されたが、F2には西部航空コマンド司令官のパンカジ・モーハン・シンハ中将が後部座席に同乗して飛行を行った。

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