防衛ホーム新聞社・自衛隊ニュース
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自衛隊ニュース   2008年6月1日号
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スポーツよもやま話
根岸直樹
野村ID野球注入で生まれ変わった山崎
楽天Aクラス入りに貢献
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 「あの人、本当に変わりました」と、寿代夫人がしみじみと話してくれた。「名古屋(中日)のときもありましたけど、大阪(オリックス)時代は特にひどかったんですよ。球場に出掛ける時間になると“おなかが痛い"とか“行きたくない"とか、ブツブツひとり言みたいにいってましたからね。いま? いまは元気いっぱい“行ってくるぞ"って…」。
 東北楽天・山崎武司選手(40)の話だ。愛工大名電から1986年、D2指名で中日入り。持って生まれた才能がいつ“開花"するかと期待されながら、戦力として認められるまでに約10年もかかった。1996年に初の本塁打王(39本)を取り、そのまま突っ走るかに思えたのに、また鳴かず飛ばずの「普通の戦力」のまま過ごしてきた。
 02年にはついにオリックス移籍。そのオリックスをも2年でクビ。「拾われて…」野村克也監督で再出発の東北楽天へ。生まれ変わったのは、やはり「野村監督のおかげ」だった。「それまでかなりいい加減な野球生活を送っていたと自分でも思う。しかし、野村監督にお会いして、人生変わった。目が覚めた。野村ID野球、本当に素晴らしい。1から勉強し直した。タラ、レバの話になるけど、オレがもうちょっと頭がよくて、野村監督の10分の1でも勉強していたら、もっと早くいい成績を挙げられていたかも、とつくづく思う」と述懐する。
 野村監督に「山崎は、本当は不器用な男じゃないのか?」と聞かれたことがあったが、いま考えてみると監督と山崎、共通点がある。優れた肉体、才能、技術を持ち合わせながら、山崎の場合は特に生かすきっかけをつかめなかったのだろう。何も考えずにやってきたバッティングが、野村ID野球を注入されてから、投手の球種を読み、バッテリーとの呼吸を計り、データを重視して打席に立つようになった。
 「器用貧乏というほどじゃないけど、かなり小手先の技術でごまかしてきた面があった。そういう選手は、一芸を極めることなど絶対にできない。監督の話を聞いていて、それを痛感した。もっと早く野村監督と出会いたかった」。オリックスを解雇されたとき「もう、二度とバットは握らない。野球も見ない」といっていた男がいま、野村・楽天の主軸打者として精いっぱい、野球を満喫している。
 昨季、11年ぶりの本塁打王と初の打点王(108点)を取って「ああ、野球続けてきてよかった、とつくづく思った」。その気持ちを22年目の今季につなげ、チームのAクラス入りに貢献する山崎に、野村監督も「よう頑張っとるよ。近い将来、ええ指導者になってくれるはず」と笑顔を見せている。
 人間、40にして惑わず―「トシのことなど考えず“山崎、まだ頑張っとるな"と思ってもらえれば嬉しい。そして、何とかして日本シリーズに出て、ファンの方達と一緒に嬉し涙を流せたら…」。山崎武司、40歳。地元・仙台を、そして「後押ししてくれる」温かいファンを、こよなく愛している。

HOME's English Class
(防衛ホーム英語教室)
I HAVE BUTTERFLIES IN MY STOMACK!
胸がドキドキだよ!
アイ ハブ バタフライズ イン マイ ストマック
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 Hi! How are you doing? 皆さん、お元気でしょうか。最近、色々とコメントをいただく機会が多くなりました。ありがとうございます。92年3月1日号の「Let's start!」が最初でしたから、長いですね(笑)。その頃のイラストは上手く描けています。最近はどうなんでしょうか? あまり上達はしていないと思います。これからも宜しくお願い致します。

 さて、今回の表現は、「胸がどきどきだよ!」です。簡単な単語ばかりです。Butterfliesは蝶々のことですね。複数になっていますから、直訳は、「胃の中に蝶々がたくさんいる」ということですね。マア、落ち着かない感じを表現して妙です。人前で話をしなければならないとか、見知らぬところを訪問するとか、新しい仕事に挑戦するとか、少し不安な、落ち着かない雰囲気、あるいは好きな人の前でドキドキするとかの高揚感を表現できそうですね。綺麗な表現ですね。楽しい場面で使えそうです。

 沖縄地方は、例年より梅雨前線が遅れていましたが入梅したようですね。中国の四川の大地震後の復興もお天気が気にかかるところです。梅雨のしっとりとした雨は、作物や木々花々には恵みですね。雨の音、意外に音楽のような調べに聞こえますよ。アマガエルの鳴き声も楽しいかもしれません。湿気と暑さで、食中毒が発生しやすくなります。お気をつけください。陽気なストレスレスの生活をお楽しみください。 それでは、皆さん。See Ya!〈スワタケル〉


防衛ホーム 俳句コーナー
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桜の実零れ元町裏通り 畠中 草史
たんぽぽの絮に大きな空のあり 小川 淑子
梅雨の蝶へらへらへらと池渡る 岡野アイコ
見覚の包紙なり新茶着く ジョンズ美加子
蛍火の闇を揺らして現れし 駒野 英明
夏山に有線放送谺して 佐藤陸前子
薫風や線路を隔て手話弾む 棚橋 弘子
庄屋たりし名残りは簾障子にも 江上 敏子
暗幕を張り焼入れの太刀涼し 渡辺 刀雲
朝より片影も無し神田川 神谷 正紀
阿蘇谷の外輪山の霞みけり 一ノ瀬昭雄
太つちよで独りよがりの夫端居 人見 冬菜
青梅の尻まるまると粒揃ひ 榎本 木作
母逝きて白清々し沙羅の花 福満千登世
新茶飲む夫の白髪の目立ち来し 伊藤 天草
女下駄揃ふ若葉の写経堂 須藤 薫子
じんわりと墨跡滲み梅雨深し 熊本 美穂
茶摘女とおぼしき匂ひして過ぎぬ 松岡 魚清
父の日の花面映ゆく飾らるる 小島 芳夫
闇を止め月下美人の花薫る 疇谷 白濤
脱ぎ捨ててまだぬめぬめと蛇の衣 塩見 惇子
滝浦に巣作りをして岩燕 水島 孝雄
静かなる暮しを目指し釣忍 山? 藤雄
闊歩して駅を出てゆくサングラス 和仁 里美
歳時記をひらきしままに三尺寝 辰巳 一郎
青蔦にがんじがらめの廃虚かな 細野 清子
起してと頼む子の亡く明易し 加川 師亨
  選 者 吟
魂抜けしごと蛍火の漂へる 成川 雅夫
(「栃の芽」誌提供)

イラク派遣を終えて
シリーズ
ブルーリングは心の絆
空自第5航空団整備補給群 装備隊武器小隊 3空曹 豊田和孝
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 私は、第14期イラク復興支援派遣輸送航空隊に整備隊員として派遣されました。日本が秋から冬に変わる11月、大勢の隊員に見送られクウェートに向け出発しました。見渡す限り砂漠だらけの中東の地へ飛行機から降り立ちました。この季節のクウェートは、日本並みに寒いと聞いていたのですが、思ったより暑いという印象を受けました。
 勤務地であるアリ アル・サレム基地に到着すると、13期派遣隊の手厚い歓迎を受け少し緊張が和らいだ事を覚えています。勤務開始後は日々、寒暖の差が激しくなっていき、朝晩は日本と同様に防寒具がないと屋外での作業は辛く、昼間は気温が急激にあがり半袖で過ごせる日もありました。天候は、雨季にもかかわらず雨が降ることはほとんどありません。また時には強風で砂埃が上がり100メートル先も見えない日が幾日もありました。
 私の所属する整備隊は、飛行場地区で、実任務の遂行のため毎日勤務しております。毎朝、アリ アル・サレム基地からイラク国内の各基地に向けて飛び発つ、空色をした『幸福の青い鳥』と言われている、航空自衛隊C―130H輸送機の整備業務を隊員一丸となって実施し、イラク復興支援活動の一翼を担っています。
 私の職種は、武器弾薬整備員です。私の主な業務内容は、C―130H航空機が無事帰還できるように装備した自己防御装置(以下SPS)を最良の状態に維持することです。その為に武器分隊長として責任を持って整備を実施しています。分隊長の職務は、報告文書作成、SPSクルーチーフ、作業前ブリーフィング等であり、毎日慌ただしい日々を送りました。私にとっては初めての分隊長職でしたが、若い頃から(今でもまだまだ若いですが)計画外整備作業等に積極的に取り組み、広範囲の作業経験を積んできた御陰で、過酷な条件下でも早期判断、早期復旧を図る事ができました。これまで私を教育、指導して頂いた諸先輩方に大変感謝しています。
 勤務時間外及び休養日には、ジムのルームランナーや屋内サッカー、タッチラグビー等により健康管理及び体力維持を図りました。基地にはクウェート軍をはじめ米軍、韓国軍、オーストラリア軍が駐留しており、各国の言語や文化を学び、ソフトボール大会やサッカー大会にも参加し充実した日々を過ごすことができました。
 しかし、派遣期間中一番気がかりなことは日本に残してきた家族のことでした。今まで移動訓練等で家庭を空ける事はあっても、日本を遠く離れることはありませんでした。クウェートで勤務している期間中、家族のことを思わない日はありませんでした。4歳と2歳になる息子が、毎日どんなことをして遊んでいるのか、風邪はひいてないか、わがままを言って妻を困らせてはいないか、2人への想いはつきませんでした。そして、妻にも本当に苦労をかけました。育ち盛りでやんちゃな息子2人の世話は本当に大変だったと思います。その上、クウェートに派遣されている私への心配もしたはずです。
 家族と自分を安心させるために、頻繁に連絡を取ろうと考えましたが、業務があるため、日本への国際電話を何時間もすることはできません。家族を残して来ているのは私だけではなく、皆同じなのだと、気持ちを強く持って乗り越えました。
 私は今まで自衛隊勤務で培ってきた経験を、海外勤務においてどれだけ活かせるかと考え派遣を希望しました。派遣期間中は任務に邁進し充実した日々を送る事ができました。この派遣任務は現在も継続中です。派遣隊員は、皆、「Wings Of Peace」のブルーリングを腕に着け任務に邁進しています。現在、イラク人道復興支援活動に参加されている隊員の御活躍と御家族の御健康をお祈りするとともに、派遣経験者として、今度は日本から支援したいと考えています。

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