「春は3月」ともいうが、4月はもっといい。ウグイスのさえずりを聞きながら、ジャガイモの葉にしがみついている天道虫を、少し残酷のようだが指で押しつぶす。終わると、食べ残して硬くなってしまったネギを植え替える。農家の畑を見よう見真似しての、いうなればやっつけ仕事である。秋から冬にかけておいしいネギに化けてくれるからである。しばらくして、知り合いがトウモロコシの苗をくれた。20センチほど伸びた庭の雑草を自動草刈機で刈り取った。 気がつくと庭の三つ葉が硬くなっていた。葺きはまだ柔らかいので摘んだ。菜の花は咲き終わり、青い実をつけていた。久しぶり小型の耕運機を取り出した。燃料のガソリンは1リッター119円で購入。運良く動いてくれた。小屋には結構な農機具が揃っている。東京育ちの妻が食べ盛りの子供たちのために野菜を作った名残を、いまや水飲み百姓の家に生まれた筆者が使い始めている。残念にもステンレス製の鍬は盗まれてしまった。 治安の悪化は、窓ガラスが2箇所も空気銃で破損させられていることで証明できようか。それ以外では申し分ないといいたいところだが、ただ清浄だった水道水は地下水だけでなく、河川の水も紛れ込んでしまった。贅沢な悩みかもしれない。 4月下旬の房総半島のほぼ中央の木更津市馬来田(旧馬来田村)では、田植えの季節である。昔は6月の梅雨時だった。そのころになると母は近所の大百姓の農家に頼まれて、泥まみれになって田植えを手伝っていたものだ。来月には90歳。足腰の老化で畳を這うのも仕方ない。働きずくめの人生であったのだから。子供時代の筆者も、わずかな家の水田で田植えを手伝った。中学校でも学校の田んぼでした。もちろん、秋には稲刈りも。 田植えの季節になると、俄然蛙の合唱がいたるところで聞こえてくる。騒々しいのだが、とある場所に来ると、水田の半分が休耕田になっている。気になると、それがいたるところに広がっていることがわかる。農林官僚の悪政を見聞させられるようで泣きたくなる。農水省の政策の核心・米の生産調整である。 調べると、69年(昭和44年)からだ。米の生産を減少させる。米つくりを止める農家に金を払うという、とんでもない農政を農協・農林族議員を巻き込んで強行してきている。それが現在も続いているものなのか。 地球号は気候変動と人口増も加わり、食料危機の状況に追い込まれている。貧困は先進国、この日本でも増加している。食料はいくらあっても足りない。即刻、日本は生産調整という悪政をやめなければならない。農家には自由に米作りをしてもらう。 余剰米をどうするのか。世界の貧困支援に役立てるのである。日本の人道支援・ODAの主役を米にしたらいい。日本人は米とサツマイモがあれば、餓死しなくて済むはずである。こんなことがどうしてわからないのか。不思議でならない。米生産国のタイ・インドでも米の輸出規制を始めて、輸入国のフィリピン、香港の人々に衝撃を与えているのだから。 食料自給率40%を切ってしまった日本の農政を再生させる手始めが、米の生産調整を止めさせることである。いやなら農政官僚に辞めてもらうしかないだろう。7月の主要国首脳会議(サミット)では食料危機も課題になるのだから、政府として生産調整を止めるとの決断を示したらいい。 偶然、太平洋戦争の生き残りの元日本兵が証言していたテレビを見た。「戦争する前に食べるもの、飲むものもなくて飢えて死んだ兵士が沢山いた」といって何人もの証言者が涙ながらに語っていた。日の丸弁当さえなくて飢え死にしていたのだ。 筆者の子供のころには、農家なのに白米を食べる機会などなかった。そうした貧困層は世界に今も沢山いるのである。どう転んでみても、米の生産調整は止めるべきである。