防衛ホーム新聞社・自衛隊ニュース
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自衛隊ニュース   2008年2月1日号
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スポーツよもやま話
根岸直樹
現役最年長、工藤公康投手に期待
10年ぶり日本一目指す大矢・横浜
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 厳寒の一夜、旧友と一杯やったとき、たまたまプロ野球の話となり「オレは横浜の工藤公康投手に、ひとかたならぬ期待を寄せているんだ」と話したところ、もっと他にいないのか。ピチピチした育ち盛りがいくらでもいるのに“定年"過ぎの男に注目するなんて、と一笑に付されてしまった。
 そういわれてみれば、工藤公康投手は誕生日(5月5日)が来れば45歳になる、今季で27年目の現役最年長、しかも投手。そろそろ息切れが気にならないこともないのだが、あの若々しい顔を見ていると気になって仕方がない。
 工藤とは名古屋電気高(現愛工大名電)からドラフト6位指名で西武入りしたときからの付き合いで、後ダイエー→巨人→横浜と移籍した27年間、選手・担当記者として長い関係が続いている。彼のことならすいも甘いも、喜びも悲しみも知りつくしていると自負してきた。
 その男が、この年でまだ現役、しかも先発で頑張っているのだから、気にしないわけにいかない。この数年、ピッチングにはさらに巧みさが加わり、去年は新天地・横浜で7勝(6敗、防御率3・91)もした。「今季? Aクラス進出、いやV狙い。私も工藤には大いに期待している」と、復活2年目にかける大矢監督も話していた。
 工藤の持ち味は、何といっても左投手にはまれな制球力。あれは確か1962年(昭和62年)の西武・巨人日本シリーズのことだった。西武球場で行われた優勝のかかった第6戦の9回表2死。マウンド上の工藤は、打者・篠塚に対しカウント2-1から外角低目いっぱいにスライダーを投げ込み、左中間の浅い凡飛に討ち取り、西武の日本一が決まった。
 話せばそれだけのことなのだが、実は、工藤はちゃんと計算していたのだ。「一塁・清原を見たら、涙をボロボロ流しながら突っ立っていた。あいつの前に打たれたら絶対に捕れない。ダメだと思って、左に流し打たせた。キヨはその2年前のドラフトで巨人にフラれた恨みつらみがある。その巨人に勝って日本一になれると思えば感無量となって、感情が爆発したんやと思う。外角低目のシュート、正解だった」と、後になって話してくれたのを、ふと思い出した。
 「オレがいま、この年で頑張っていられる地盤を作ってくれたのは、高校時代の中村豪監督(後にイチローを育てた)と、西武に入ってからの厳しい練習のたまもの。広岡、森監督には死ぬほど走らされた。あれがオレの財産だ」
 44歳9カ月の男は、27年目の今季も若手投手の先頭に立って自主トレ、キャンプと走りまくっている。“ハマのおじさん"は「若い連中の手本になるよう、気持ちを引き締めて投げていきたい。あと5年? それは乗れない相談だけど、いけるところまでいく。これがオレの信条、託された役目。とにかくこの一年、頑張ってみる」と、どこまでもやる気満々。超ベテランのやる気に刺激されて大矢・横浜、10年ぶりの日本一さえ見えてくる感じだ。

新成人70名誕生
《秋田駐屯地》
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 秋田駐屯地(司令・原友孝1佐)は1月11日、駐屯地体育館で、成人式を行った
 式典では、来賓・駐屯地各部隊長・各部隊の隊員等が見守る中、今年成人を迎えた70名の隊員が晴れやかな表情で式に臨み、高橋副連隊長が「成人するということの条件は『大人となったことを自覚していること』『自ら生き抜こうとしていること』です。各人は自分自身の人生における目標などをよく考えるとともに、この条件をよく理解して今後の人生を歩んでもらいたい」と式辞を述べた。引き続き、来賓祝辞・秋田県防衛協会からの記念品贈呈後、成人者を代表して第21普通科連隊第1中隊・神馬竜司士長が「やっと大人の仲間入りをした私たちに今後一層のご指導をお願い申し上げます」と力強く誓いの言葉を述べ式典を終了した。その後、隊員食堂において祝賀会食が行われ、各部隊の代表が成人にあたっての決意表明を述べるとともに、先輩隊員が、前途を祝す万歳三唱をして盛会裡に終了した。

訓練始めで一致団結!
《16普連》
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 第16普通科連隊(連隊長・河井繁樹1佐)は、新年の訓練始めを実施した。連隊の訓練始めは、連隊全隊員の参加のもと、中隊・連隊としての団結の強化と士気の高揚を図るため、毎年実施している。
 連隊長は年頭の辞として「今年は、戦闘団検閲受閲に向け、戦闘基礎動作の確行と努めて設想を排した訓練の実施による戦闘能力の向上を諸官らに要望する」と意気込みを述べた。訓練は、連隊長は先頭に掛け声を呼称しながらの駆け足を実施した後に、各中隊対抗のミニ競技会が開始された。競技会は、「断郊リレー」から始まり、次いで応急処置から搬送までを行う「救急担架搬送リレー」、更には大型トラックに炊事車を牽引した合計約10トンを各中隊の隊員が引く、「重機綱引き」へとリレーした。リレーの最後は中隊長を騎手としたラッパ先導による「騎馬走」が行われ、駆け抜ける中隊の騎馬に、多くの声援・激励が送られた。
 今回の訓練は、全ての種目が中隊旗を繋ぐリレー方式で行われ、1位の栄冠は第1中隊が手にした。

イラク派遣を終えて
《シリーズ》
航空警務隊千歳地方警務隊 1空曹 深田 理
他国軍治安機関と交流深める
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 防衛庁から防衛省に移行した平成19年、私は第12期イラク復興支援派遣輸送航空隊勤務を命ぜられ、3月中旬から7月中旬までの4カ月間イラク復興支援派遣警務隊に所属しました。
 航空自衛隊小牧基地に隣接する県営名古屋空港からチャーター機で14時間かけ、約8000km離れた灼熱の地クウェート国アリ アル・サレム基地に到着しました。最初に飛行機から降り立った時は、そんなに暑さを感じませんでしたが、時間が経つにつれ気温は上昇し、ドライヤーの風を直接肌にあてたかのような乾燥した熱風の洗礼を受けました。私はここを「砂漠地帯とラクダが歩いている」というイメージを持っていましたが、空港から基地までの移動間、整備された道路及び植樹等を見て意外に緑があることに驚き、また車の運転マナーが悪いことにも驚きました。
 私が所属していた派遣警務隊は、派遣警務隊長以下3名の少数精鋭部隊で、基地内において発生した犯罪捜査や被疑者の逮捕を行う司法警察業務と併せて派遣輸送航空隊司令の命を受け高官警護や規律違反の防止等の業務を行う保安業務を任務としていました。中東訪問中の安倍内閣総理大臣が視察された際、気温40℃の炎天下で防弾チョッキ等を装着し、警護を実施した時の暑さは、特に忘れることができません。また現地のクウェート首長国警護隊や他機関とのコミュニケーションを多く必要とする警護任務でしたが、語学習得が絶対不可欠であることや意思疎通の重要性を再認識させられ良い教訓になりました。
 アリ アル・サレム基地の外においては、外出時に隊員が交通事故や犯罪に巻き込まれないようにも気を配ります。そのためクウェート及び他国軍の治安機関と交流を深め、密接な連携及び情報交換を行うとともに、在クウェート日本大使館及び現地警察等関係部署との連絡調整を通じて、防犯活動に努めました。その甲斐もあってか事件・事故等問題もなく良好な状況が続きました。
 基地内における生活環境の厳しさについてですが、気象条件は想像どおりの暑さです。雨季がほとんどなく、容赦なく肌に突き刺さる日射しと熱風、湧き水の様に吹き出してくる汗、まぶしくて目を開けられないぐらい燦々と輝いている太陽といった感じです。特に6月には天候が荒れ、砂塵が舞い上がり、屋外ではゴーグルとマスクが手放せない状況や、屋内では、窓や換気口から細かい砂埃が入り込むといった日々が続きました。このため環境整備や掃除等で苦労が絶えませんでした。
 唯一の楽しみといえば、やはり食事です。アラブ料理を始めとするクウェート国内の全ての料理には、豚肉及び豚肉から作られたハムなどの食品、並びにアルコールは一切使用されていません(宗教上の理由)。自衛隊の食堂も同様ですが、隊員食堂「翼」の日本人シェフが作る絶妙な味はとても美味しく、またボリュームも絶妙で、食べ過ぎに気を遣いました。
 日本と違う生活環境の一つに、イスラム教における礼拝への呼びかけである「アザーン」と呼ばれる放送があります。基地内にも礼拝堂(モスク)があり、一日5回の礼拝前には、礼拝の時刻がきたことを伝える一斉放送が基地内に響き渡ります。帰国前にはすっかり馴染んだ感じでした。
 習慣、言葉の違いなどもありますが、外国(クウェート)に来て日本の素晴らしさを実感するとともに、職場の上司や同僚、家族への感謝の気持ちを思い起こすきっかけとなりました。
 最後になりますが、クウェートの地において隊員が過酷な生活環境の克服及び空輸任務を遂行しているのは、我が国の国益を守ることに他なりませんが、一人の自衛官として、日本のため、世界のために一歩前に出て、積極的に国際貢献していかなければならないと実感しました。
 私達の復興支援活動を日本で支え、応援して下さった家族や隊員の皆様にとても感謝しております。

防衛ホーム 俳句コーナー
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初旅やイスタンブール直行便 渡邊あきを
雛飾る夫婦喧嘩の果てより 渡辺 成典
尼寺の垂らし切れざる涅槃絵図 中矢 岳子
それぞれに名乗り始めし木の芽かな 江口 景舟
こゑ立てて村を巡れる雪解みず 越後 小吹
鬼やらふ武骨な夫の声潜め 原 つたえ
水温む釣堀にピザ届きけり 山崎 照子
豆を撒枡ますより鷲掴み 滝澤 緋沙
動行を済ませ吉野の寒の月 生嶋千代女
薬喰ひ片手拝みに蓋を取る 井戸田盛男
流鏑馬の砂さ塵"にまみれ菫草 江上 敏子
雪原を染めてロシアの大落暉 木通 佳子
雪像の天守の屋根を雨穿つ 坂本 順一
初メールお国訛の文届く 關 由紀夫
隙間風ありて安堵の生家かな 宮本 立男
銭湯の帰りは雪となりにけり 土谷 貞坊
しきたりの田楽作り午祭 須藤 薫子
帰るまで父待ちつづけ雛飾る 小島 芳夫
日をとどめ風の住みゐる冬木立 戸部 弘美
初午や笑顔の揃ひ百万遍 人見 ひさ
魚箱に見事鮟鱇の納まりし 榎 利美
水仙と言へそれぞれの顔を持ち 斎藤紀一郎
休日の青果市場の風寒し 神谷 正紀
御免ねと言ひつつ春の草を抜く 内井紀代子
蕗の薹より庭土の始動せり 森 荘之助
冬ざれや客二人乗せ渡船着く 松岡 魚清
板の間で義経踊る寒念佛人見 冬菜
蕎麦だけを食べにドライブ春浅し 益子 千翠
  選 者 吟
春の水日向を流れ奏でだす 成川 雅夫
(「栃の芽」誌提供)
 「栃の芽」誌をご希望の方は〈栃の芽会連絡先=畠中草史氏 電話042・796・0961〉へご連絡下さい。

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