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自衛隊ニュース   1044号 (2021年2月1日発行)
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読史随感
神田淳
<第70回>

半藤一利と反薩長史観

 小説よりも面白く読める『昭和史1926-1945』、『昭和史 戦後編1945-1989』、『日本の一番長い日』、『幕末史』など、日本近現代史に関する多くのベストセラーを著してきた半藤一利さんが亡くなった。
 半藤さんは反薩長史観をもっていた。日本の近現代史は、幕末の権力闘争の勝者である薩長史観で全国民に教えられてきた。薩長が正義の改革派であり、幕府は頑迷固陋な守旧派としてえがかれる。半藤さんは、これは公平な史観ではないと異議を唱える。
 半藤さんは故郷新潟県長岡市で子供の頃、祖母から「明治新政府だの、勲一等や二等の高位高官だのとエバッテおるやつが、東京サにはいっぺえおるがの、あの薩長なんて連中はそもそもが泥棒そのものなんだて。7万5千石の長岡藩に無理やり喧嘩しかけおって、5万石を奪い取っていってしもうた。連中のいう尊皇だなんて、泥棒の屁みたいな理屈さネ」と、何度も聞かされた。
 確かに、幕末の1867年幕府はすでに大政を奉還しており、朝廷も攘夷から開国の方針に変えていたので、開国の統一した国策のもと、幕府を倒さなくても共和制による新しい国づくりが可能だった。しかし、薩長はあくまで武力によって政権を奪おうとした。薩長は鳥羽・伏見の局地戦に勝ったが、将軍慶喜が恭順に徹底したため、幕府と本格的に戦えず、会津、長岡等東北の諸藩に無理やりに戦争をしかけた。この戊辰戦争はしなくてもよかっただろう。東北の諸藩はいつのまにか賊軍とされ、恨みのみ残った。
 半藤さんは東京生まれの作家永井荷風の薩長罵倒のことばを紹介している。「薩長土肥の浪士は実行すべからざる攘夷論を称え、巧みに錦旗を擁して江戸幕府を顛覆したれども、もとこれ文華を有せざる蛮族なり」、「明治以後日本人の悪くなりし原因は権謀に富みし薩長人の天下を取りし為なること、今更のように痛歎せられるなり」、「大日本帝国は薩長がつくり、薩長が滅ぼした」など。
 吉田松陰の門下生とその思想の流れを汲む者たちによってつくられた明治国家が、松陰の教えを忠実に実現せんと、アジアの諸国を侵略し、それが仇となって昭和には国を滅ぼしてしまった。しかもそれはたった90年間であったと半藤さんは言う。松陰は獄中で『幽囚録』に「蝦夷を開墾して諸侯を封建し、カムチャッカ、オホーツクを奪い、琉球を諭して国内諸侯と同じように参勤させ、朝鮮を攻めて古代のように質と貢を納めさせ、北は満州の地を割(さ)き、南は台湾、ルソンの諸島を収め、漸に進取の勢いを示すべし」と書き残している。
 戦争中は排外的な神国思想があり、世界に冠たる民族意識があり、八紘一宇の理想の下にアジアの盟主たるべく運命づけられた国民という思い上がった考えがあった。それが「薩長史観」の行きつくところであった、と半藤さんは言う。
 そして、強い外圧を受けて既存の流儀で立ち行かなくなったとき、日本人は高揚し、一つの方向に意志を統一するが、きまってそれは攘夷の精神となって現れる。それがいかに危険なことかは幕末史、そして昭和の戦前史がきちっと語ってくれている。今後の日本を考えるとき、われわれは、感情的情緒的にならず、情報や情勢を冷静に分析し、日本という国の国力の限界をしっかりと見定め、今は何がいちばん大切か判断するリアリズムに徹しなければならない、私の好きな勝海舟のように、と半藤さんは言い残している。
(令和3年2月1日)

神田 淳(かんだすなお)
 高知工科大学客員教授著作に『すばらしい昔の日本人』(文芸社)、『持続可能文明の創造』(エネルギーフォーラム社)、『美しい日本の倫理』などがある。


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