「自衛官は何かあったらすぐに行動しなければいけません。休日を含めて空いている時間は体力練成をするよう心がけています。一度に6キロ程度走っていますね」。その姿勢を自ら部下に示している。趣味はフットサルとスポーツ観戦。地元のJリーグ「清水エスパルス」を応援している。
令和3年9月に着任。職域は「補給」。これまで補給本部がある十条基地勤務は4度あるが、府中基地は今回が初めて。府中は「緑が多く、とても住みやすい。市長をはじめ多くの市民の皆さんが自衛隊を好意的に見て頂いていると感じています」。趣味はウォーキング。休日は街を散策している。日本酒が大好き。
地域貢献活動としてAED講習を行っている。自家用車には常に止血セット一式を積んでいる。昨年、ひき逃げされた男性を救助、適切に警察・救急に通報した。小・中学生の時は吹奏楽に打ち込む。府中基地へ3月に移転した空自中音に足を運んで楽器を触らせてもらうことも。
昭和15年「陸軍燃料廠」を始まりとして、米軍管理中の昭和32年、その一隅に航空集団司令部と航空保安管制気象群本部が編成されて開庁した航空自衛隊府中基地。昭和50年に米軍横田移転により基地が全面返還された。昭和58年には米軍府中基地跡地3分割が大蔵省地方審議会で決定され今の敷地となった。
府中基地には航空支援集団司令部と航空開発実験団司令部の2つの司令部、航空保安管制群、航空気象群とそれぞれの隷下部隊が所属する。近年では令和4年に宇宙作戦群が新編、同5年には航空自衛隊中央音楽隊が立川から移転する等、航空自衛隊の主要な任務を担う基地としての重要性が増している。
そんな府中基地を縁の下で支えているのが「航空気象群基地業務隊」だ。その業務は、通信、補給、施設、管理(輸送・警備)、業務(給養・厚生)、会計等など多岐に渡る。府中基地に滑走路は無いが、前述のとおり司令部が2つ所在するため、敷地面積の割に隊員の数は多く、今後もその増加が見込まれている。
一体どんな人達が府中基地を支えているのか。基地に点在する各小隊(班)を訪ねてみると、そこは若い隊員が多く明るく溌剌とした職場だった。まずは「ボス」である基地業務隊長に話を聞いてみよう。
明るく・焦らず・前向きに!
日々の業務を円滑に
基地業務隊長 江嶋康行2空佐
約190名の基地業務隊を率いるのが江嶋2佐だ。令和3年9月に着任してからその優しい眼差しで隊員たちを見守ってきた。江嶋2佐は基地業務について「正直地味な仕事ですよ。『縁の下の力持ち』と言われるように、すごく重要な役割なのに目立たない。やって当たり前だ、と思われる仕事です」と話す。「例えば家に帰ってスイッチを押したら電気が付く。蛇口をひねったら水が出る。業務隊はその『当たり前』を当たり前にできるように、常に維持している人がいる部隊なのです」と続ける。
「ちゃんと見ているよ」
しかし、特に若い隊員にとって「やりがい」を見出すことは難しいとも話す。だからこそ江嶋2佐は「毎日毎日の積み重ねを365日、円滑に継続するということこそが基地業務隊にとってはファインプレーなんだ」と隊員たちに言い続けている。そのファインプレーが自信や誇りに繋がるのだと信じている。そして時間があれば各小隊に顔を出し、修繕工事をしていると聞きつければ足を運んで「俺はちゃんと見ているよ」とメッセージを発している。「そうやって少しずつでもやりがいが生まれてくれたら嬉しい」。いつも隊長は隊員たちを気にかけている。
一人ひとりが府中基地の顔
今回の取材で各小隊を回って感じたのが「明るい」ということだ。それもそのはず、江嶋2佐の統率方針が「明るく・焦らず・前向きに」なのだ。約2年間の江嶋2佐の方針が浸透しているようだ。
府中基地は部隊の新編、移転等で、今後も基地業務隊の仕事はますます忙しくなる。しかし、「人が増えようが、規模が拡大しようが日々の業務を円滑に継続する、そこに尽きます」と江嶋2佐は言い切る。そうなのだ、やることは変わらない。ファインプレーを連発する職人集団の指揮官は最後に力強く、優しく我が部隊についてこう話してくれた。
「明るく元気な部隊です。
一人ひとりが府中基地の顔なんだという自覚・自信・誇りを胸に、部内部外問わずその意識を持って仕事をしている部隊です」と。
再入隊だからこそ伝えられること
通信小隊 伊藤康大3空曹
7月、航空自衛隊連合准曹会が開催する「令和5年度優秀若年隊員顕彰表彰」で通信小隊の伊藤康大3空曹が表彰された。これは各種活動を通じて、准曹士隊員の模範となるような顕著な功績があった2曹以下の隊員を讃えるもので、伊藤3曹は、後輩育成や地域貢献などの活動が評価されての受賞となった。伊藤3曹は他の隊員とは少し違った経歴を持つ。
最初は海自に入隊
伊藤3曹は山形県米沢市生まれの32歳。地上無線整備員として、基地のネットワーク回線の整備に従事している。叔父が習志野の空挺団員で、子供の頃はよく自衛隊の話を聞かせてもらった。そのため、幼い頃から自然と自衛官に憧れるようになり、遊びにきた叔父が帰る際は「今日も自衛隊に入れなかった!」といつも泣いていたそうだ。
高校を卒業した伊藤3曹は広報官の「島国日本の防衛の最前線は、海上自衛隊だ」という言葉に惹かれて、平成22年4月、海上自衛隊に入隊。翌年3月には東日本大震災における災害派遣活動に従事した。その時の経験と葛藤が今の伊藤3曹の活動に大きな影響を与える。
意を決して民間へ
平成24年2月に退職。「自分の力を試してみたい」その強い思いで民間企業に身を投じた。5年間、主にオフィス商材の営業職に従事した。自衛隊との違いに戸惑いながらも、毎日少なくとも50件の飛び込み営業を行う等、持ち前のガッツですぐに主任へと昇格した。順風満帆に見える民間企業での生活。しかし数年経った頃、ある思いにはっきりと気付く。
「自衛隊に戻りたい」
東日本大震災での経験を経て
実は自衛官生活最後の日、ゲートを出た瞬間に違和感を覚えた。毎年3月11日の黙とうの時間が来るたびに心苦しさを感じていた。
東日本大震災では主に御遺体の収容を担った。想像を絶する任務に「国を守るために入隊したのに、何でこんなことを…」、思い悩む日々。そんな伊藤3曹は、任務終了の日、乗艦していた護衛艦に届けられた1枚の大きな布に書かれたメッセージを見て、救われる気持ちになったという。
「娘を帰してくれてありがとうございました」。
家族が不明のまま実感がわかずに苦しんでいる御遺族がいる。そのよう方たちの役に立てているのだ、と自分の仕事に誇りを持つことができた。
再び自衛官の道へ
「自分のやりたいこと=自衛官」、はっきりした目標を見つけた伊藤3曹は加速度的に営業活動に突き進む。「中途半端は嫌だ。営業コンクールで1位を獲って辞める」そう公言し、まさに有言実行、1位を獲得して退職、再び自衛隊の門を叩いた。最後に新規顧客となった社長は大の自衛隊ファンだった。「自衛官復帰」の思いを赤裸々に話す伊藤3曹の熱意に打たれ「君に任せた」と言われた。「自衛隊は応援されている組織なのだな」、復帰に向けて思いっきり背中を押してくれた出会いだった。
平成29年2月、26歳で航空自衛隊に再入隊した。自衛官候補生として18,19歳の若い子と共に教育を受けた。地上無線整備員の仕事は、同じく再入隊した先輩から「ネットワーク周りを知ると、全体の繋がりが見えてくる」というアドバイスを受けて選んだ。全てがネットワーク化されている昨今では「この職があってこそ、他の職が生きている、そこに責任感を感じています」とやりがいをもって日々仕事と向き合っている。
今は後輩教育にも力を注ぐ
現在は、後輩育成にも力を注ぐ。これまでの自身の経験を踏まえた「退職防止」の講話を行った。指揮官クラスにも好評で、全国の若手隊員が見られるように動画配信された。伊藤3曹は「今の若い子たちは、お給料や職場環境がどうだとか、嘘も混じった情報に流されてしまいがちです。本当にやりたい事を見つけて自分の道を進んで欲しい」と話す。民間に行き、戻ってきた実体験から出る言葉は説得力を持って伝わる。「辞めないほうがいいよ」と。
後輩教育は、自分自身も得ることが多い。「今後も自分のみだけではなく、周囲にも影響を与えられるような隊員を育てていきたい」と抱負を語ってくれた伊藤3曹。地元山形の偉人・上杉鷹山のことば「為せば成る為さねば成らぬ何事も成らぬは人の為さぬなりけり」を胸に、第2の自衛官人生をまい進中だ。
無事故継続を目指す
通信小隊 小隊長 佐野洋明1空尉
秘密のかたまり、通信小隊の小隊長へのインタビューは別部屋で行われた。
基地通信インフラを担う小隊
指揮管理通信や無線、有線機器などの保守整備をはじめ、基地における通信インフラの維持管理等を24時間体制で担っているのが通信小隊だ。また、府中基地に電話をかけた際、各部署に回してくれる交換手も通信小隊の隊員である。通信小隊が機能しなくなれば、基地通信がストップし基地全体の運営に多大な影響を及ぼす。そんな非常に重要な部隊をまとめているのが小隊長の佐野洋明1尉だ。
佐野1尉は静岡出身。父が自衛隊好きで幼い頃はよく航空祭に足を運んだ。トラックに乗り込んだ隊員に笑顔で手を振ってもらったことを今でも覚えている。平成6年に新隊員として入隊してから、幹部任官後も一貫して通信一筋だ。
しっかり働いてしっかり休む
前述したように基地通信インフラ保持を担う部隊だからこそ、隊員の安全意識が非常に高い。直近5年は業務上の事故が発生していないそうだ。これについて佐野1尉は付け足す。「日頃の安全に対する啓蒙はもちろん大切ですが、ワークライフバランスに重きを置いて指導しています。仕事はしっかりとしてもらい、休む時はしっかりと休む。ストレスは仕事のパフォーマンスに影響を及ぼし、事故の可能性を高めます。しっかりリフレッシュして勤務に臨んでもらえるように心がけています」と話す。
今後についても「やはり事故の無い職場の継続を目指したいですね。事故が起きると、部隊にとってもそして起こした本人にとっても痛いですから。事故ゼロを継続していきたいですね」と抱負を語ってくれた。 |