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スペーサー
自衛隊ニュース   1111号 (2023年11月15日発行)
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読史随感
神田淳
<第137回>

パレスチナ・イスラエル戦争に思う

 10月7日、パレスチナのガザ地区を支配するイスラム主義組織ハマスがイスラエルを奇襲攻撃し、イスラエル領内に2千発を超えるミサイル弾を打ち込んだ。イスラエルはただちに報復の軍事行動を開始、戦争状態となった。一ヶ月たった今、戦死者は1万1千人(ガザ地区1万人強、イスラエル側1,400人)を超えたが、イスラエル軍はガザ市での市街戦を本格化させ、戦争はまだ続いているので(11月8日時点)、犠牲者数はさらに増えることが懸念されている。
 昨年2月ロシアの侵略によるウクライナ戦争が始まって1年8ヶ月。戦争の終わる見通しは立っていない。ウクライナの戦争も終わらないところにもう一つ戦争が発生し、世界は戦争の拡大する悪い時代に入っているのではないかとの不安が広がっている。
 人類史は戦争に満ちている。自らの生存のため(生存圏を守るため、拡張するため)に、共同体、民族、国家は戦争し、また平和に共存してきた。世界の歴史は、異なる一神教を信じる共同体や民族間の平和共存は極めて難しいことを示している。パレスチナ(イスラム教)とイスラエル(ユダヤ教)は、異なる一神教のもと、両者の複雑な歴史が積み重なって平和共存が絶望的になっている。
 2千年間ディアスポラ(民族離散)で生きてきたユダヤ人は、第二次世界大戦後パレスチナの地に悲願の自国イスラエルをつくることができた。1947年国連が主導し、パレスチナの地をユダヤ人とパレスチナに住むアラブ人(=パレスチナ人)の2国に分け、国際管理のもとに置いた。パレスチナの土地でユダヤ人が占める割合は全人口の3分の1だったが、56%の土地が与えられた。
 翌1948年ユダヤ人がイスラエル建国を宣言。パレスチナの土地を取られ、勝手に国をつくられたと思う周辺のアラブ諸国は建国の翌日イスラエルに攻め込み、第一次中東戦争となった。戦争はイスラエルが勝ち、国連で認められた土地を死守した。1967年第三次中東戦争に圧勝したイスラエルは、パレスチナの土地のすべてを事実上支配下に置いた(国連は認めていない)。イスラエルの支配下にあるパレスチナ人の解放を目的に設立されたPLOの第3代議長アラファートは、武装闘争路線を放棄し、1993年イスラエルとの間に暫定自治協定を結んだ。こうしてヨルダン川西岸地区とガザ地区はパレスチナ暫定自治政府の統治する自治区となった。その後ガザ地区ではイスラム主義組織ハマスが政治力を強め、ガザ地区を実効支配するようになって今日に至っている。
 イスラエルとパレスチナ人との争いはイスラエルが勝ち続けてきた。私はどうしても敗者のパレスチナ人の歴史に同情する気持ちが沸く。そして、過去中東地域を支配した欧州帝国主義国のエゴを強く感じている。
 ところで、イスラム教徒の人々は日本人をどう思っているのだろうか。意外に思うかもしれないが、イスラム諸国は概して日本人に親近感をもち、近代日本のやってきたことを肯定的に評価し、敬意さえ懐いている。イスラムで最も大切な善は誠実であり、日本人は誠実と評価されている。
 イスラムの人々の肯定的な日本人観は貴重だと思う。悲惨なパレスチナ・イスラエル戦争を見て、日本が何かできることはないものかと思う。
(令和5年11月15日)

神田 淳(かんだすなお)
 元高知工科大学客員教授。
 著作に『すばらしい昔の日本人』(文芸社)、『持続可能文明の創造』(エネルギーフォーラム社)、『美しい日本の倫理』などがある。


ノーサイド
北原巖男
ASEANとの連携

 1973年の合成ゴムを巡って対話を行って以来、日本とASEANの友好協力関係は、政治・安全保障、経済協力、新たな経済・社会問題、人と人との交流など、多分野にわたる強固なパートナーシップを基礎に発展し、早や半世紀を迎えています。
 「世界の成長センター」とも言われるような経済成長を遂げ、グローバル・サウスとしての力を付けて来ているASEAN。そのASEANについて常に思うのは、わが国の生存にとって死活的に重要なシーレーンの要衝の地を占めていることです。
 来月12月16日〜18日には、東京にて「日本ASEAN友好協力50周年特別首脳会議」が開催されます。(未だ正式なASEANメンバー国ではありませんが、東ティモールの首脳も参加します。)
 ASEANとの関係を巡って思い出されるのは、1977年8月17日に福田赳夫総理大臣(当時)が、ASEAN諸国歴訪の最後の訪問国フィリピンにて発表した三つの原則。その後の、わが国のASEAN外交原則となっている「福田ドクトリン」です。ちなみに、この年、わが国は他国に先駆けて、初めて日ASEAN首脳会議をマレーシアのクアラルンプールで開催しています。
(一)わが国は、平和に徹し軍事大国にはならないことを決意しており、そのような立場から、東南アジアひいては世界の平和と繁栄に貢献する。
(二)わが国は、東南アジアの国々との間に、政治、経済のみならず社会、文化等、広範な分野において、真の友人として心と心のふれ合う相互信頼関係を築きあげる。
(三)わが国は、「対等な協力者」の立場に立って、ASEAN及びその加盟国の連帯と強靭性強化の自主的努力に対し、志を同じくする他の域外諸国とともに積極的に協力し、また、インドシナ諸国との間には相互理解に基づく関係の醸成をはかり、もって東南アジア全域にわたる平和と繁栄の構築に寄与する。
(注)現在、東南アジアはASEAN、「対等な協力者」は「対等なパートナー」と表現されています。
 それから46年後の2023年11月3日〜5日、岸田文雄総理大臣はフィリピンとマレーシアを訪問されました。11月4日、フィリピン国会の下院議場にて岸田総理が行った「次世代に繋ぐ心と心の絆」と題する政策スピーチ。(筆者抜粋)
「1977年、当時の福田赳夫総理は、・・・マニラで演説を行いました。その中で福田元総理は、フィリピンをはじめとする東南アジアとの間で、対等なパートナーとして、心と心のふれ合う信頼関係を構築する考えを示したことを思い起こします。」
「今から50年前、日本は、世界に先んじてASEANとの対話を開始しました。それ以来、日本とASEANは、困難に際しては助け合い、国民間の幅広い交流を通じて、心と心の繋がる信頼関係を育んできました。」
「12月の特別首脳会議では、「信頼」を次世代に繋げ、持続可能で繁栄した新たな時代を共に創るためのビジョンをASEANと共に打ち出したいと考えています。」
「日ASEAN友好協力50周年のキャッチフレーズは、「輝ける友情、輝ける機会」です。12月の日ASEAN特別首脳会議では、日本とASEANの「輝ける友情」が次世代に繋がる「輝ける機会」となるよう、マルコス大統領はじめ、ASEAN各国のリーダーたちと連携していく考えです。」
 ・・・ロシアのウクライナ侵略、イスラエル・ガザ情勢、北朝鮮の核・ミサイル増強、中国の東シナ海や南シナ海における覇権主義的な一方的行動に対する海洋の安全保障、ミャンマーの軍事政権の動向など、深刻な懸念に直面している一方において、ASEANの中国に対する経済的依存度は顕著になって来ています。また具体的な加盟時期は未定ですが、アジアで一番新しい国・東ティモールを11番目のASEANメンバー国として迎えることを決定しています。更には、日本の国力の相対的低下があります。飛躍を続けるASEANは、日本の「対等な協力者(対等のパートナー)」になりつつあると言っても過言ではありません。
 こうした中で、間もなく岸田総理が主宰する「日ASEAN友好協力50周年特別首脳会議」が開催されます。
 同首脳会議が、未来志向の新たなビジョンを打ち出し、これからも日本とASEANが相互に信頼する対等なパートナーとして、新たな友好協力関係を構築し、連帯の強化を実現して行くスタートになることを願って止みません。
 「先人が築いてきた「心と心の絆」を新たな高みに引き上げ、次世代に引き継いでいくことが、今を生きる我々の責務だと思います。」(前掲、フィリピン下院議場における岸田総理スピーチ。)

北原 巖男(きたはらいわお) 元防衛施設庁長官。元東ティモール大使。現日本東ティモール協会会長。(公社)隊友会理事


雪月花

 10月15日号で防衛ホーム新聞は創刊50周年を迎えることが出来ました。元防衛大臣の中谷元 衆議院議員よりの祝電をご紹介します。

 このたびは、「防衛ホーム」が創刊50年を迎えられ、誠におめでとうございます。所谷尚武会長は、私と同じ高知県の出身であり、発行された昭和48年は、ベトナム戦争による反戦、反安保運動が盛んで、自衛隊に対する反感や偏見もあり、自衛隊や家族への風当たりは強かった時期であったと思いますが、そんな折、自衛隊を支え、応援するために、普段は見えにくい隊員の活動や真の声を紹介、そして自衛隊員が誇りを持って働けるように、自衛官の士気の上がる新聞を発行・継続されてこられ、誠にありがとうございます。経営、運営には、大変なご苦労があったことと拝察申し上げます。
 平成になって、冷戦が崩壊し、湾岸戦争後、ペルシャ湾に掃海艇が派遣され、自衛隊がカンボジアでの国連平和維持活動(PKO)に参加した時も、現地まで同行取材されて、派遣家族に対し、現地の自衛官の肉声を伝えていただきました。2001年に、私が小泉内閣で防衛庁長官に就任した時も、初の自衛隊出身の大臣として取材いただき、911の米国同時多発テロによるインド洋での補給支援活動や海兵隊との日米合同富士登山に同行いただき、同行での登頂写真や山頂でのインタビューなど、大手マスコミでは伝わらない記事を配信いただきました。
 2014年に安倍内閣で防衛大臣に就任した時、国会で平和安全法制の議論をしましたが、国会論戦や法案の詳細や外国要人との会談や部隊視察などの動きも掲載していただき、本当にありがとうございました。
 令和になり、世界のパワーバランスも変化し、自衛隊を取り巻く環境はこの半世紀で大きく変わってきました。岸田政権による国家防衛戦略や防衛計画も作成強化され、また地震や風水害など、都道府県からの災害派遣要請も多くなり、行方不明者の捜索や救助、物資の輸送など国防以外の活動も多くなりました。我が国周辺での中国やロシア、北朝鮮の動きも活発になっており、海外では、ウクライへのロシアの侵略、イスラエル・パレスチ紛争、ミャンマーでの軍事クーデター、中国の覇権主義による軍事増強、北朝鮮のミサイル発射、ウイグルなど、力による現状変更が続いており、国連も機能できなくなっています。しかし、こんな時だからこそ、しっかりとした国防体制をとって、自衛隊が機能して、国を守り、世界平和に貢献していかねばなりません。これからも防衛ホームが、さまざまな自衛隊の動きを伝えていただき、自衛隊の支えとなり、家族の安心、国防意識の浮揚につながり、末永く発刊がご発展されますことを、心よりお祈り申し上げ祝辞とします。
衆議院議員 中谷 元


「ますみ会」から「ともしび会」へ寄付金を贈呈
 空自幹部自衛官の配偶者でつくる親睦団体「ますみ会」(内倉志保美会長=空幕長夫人=他70名)は、10月25日、ホテルグランドヒル市ヶ谷において、自衛隊遺族会航空部会「ともしび会」の事務局長を務める空幕厚生課長の聖徳麻未1佐に寄付金を贈呈した。
 当日、同所において開催されたますみ会総会に先立ち、参加者35名が見守る中、贈呈式が行われた。
 ますみ会は、空自隊員とその家族の支援を目的とした団体で、ともしび会への寄付は昭和51年から例年行われている。
 内倉会長は「ますみ会としてご遺族の心に寄り添うとともに、皆さまがつつがなく過ごせるように願っております」と話した。
 聖徳事務局長は「皆さまからの心温まる寄付ありがとうございます。確かにお預かりし、ともしび会へお届けします。ご遺族が少しでも前向きに少しでも温かい気持ちで生活されるよう精一杯ご支援いたします」と謝意を示すとともに、自衛隊殉職隊員追悼式の様子などを紹介した。

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