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28年度連隊ICE訓練
第37普通科連隊(信太山) 陸曹長 杉浦 正明 |
5月25日から31日までの間、川西駐屯地及び久代訓練場で実施された連隊指揮所訓練センター訓練に演第5中隊の一員として参加しました。
私は、自衛隊入隊以来、今回のような指揮所訓練に参加するのは初めてで、訓練当初は自分に何が出来るのか不安でいっぱいでしたが、中隊におけるクロノロジーの作成という任務を与えられ、中隊長、運幹等から指導やアドバイスをしていただき何とか状況終了までやり遂げることができました。
しかし、今回の訓練では、1分毎に多量の状況文が表示されそれを紙に刷りだし、運幹が処理されたものを次は私がその中から必要な事象を抽出しクロノロジーを作成するという作業でしたが、第5中隊の戦闘がはじまると抽出する事象が増えクロノロジーを作成することに必死になりすぎていたため、部隊の細部の状況や敵情がどうなっているのか理解できていなかったり、周りのサポート等ができなくなったりしていました。
そういう状況の中でしたが第5中隊が後方地域に下がり交戦が落ち着いた頃に中隊長から我と敵の状況、我の防御戦闘要領、敵の攻撃要領等を教育していただき我と敵の状況、今後の行動等を概ね理解することが出来ました。
また、今回の訓練では情報活動・情報処理・情報の共有等の情報に関することがとても重要だということを認識しました。状況終了後の共同AARではそこが焦点として取り上げられ、討議がとてもなされていたことが印象に残っています。そういったことから、情報は任務達成に大きな影響を及ぼすため、先入観に捕われず、正確な情報を正しく処理し使用しなければならないということを学びました。
今後、10月より後段で幹部候補生学校に入校しますが、そこで今回の訓練で得た教訓を活かすとともに、更に戦術や幕僚活動に関する知識・能力を高め、幹部自衛官として自分自身を成長させるとともに、中隊の任務達成や精強化に少しでも貢献できるように日々精進していきたいと思います。 |
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被災地で教えられた私のやるべき事
第43普通科連隊(都城) 2陸曹 牧野 天施 |
4月21日、私は熊本県西原村に現地入りしました。西原村は県下でも特に被害が甚大な地域の一つで、目の当たりにした景色に、自然の力への畏怖と人の非力さを思い知らされました。生活環境は一変し、避難所の体育館では小さな子供から高齢者の方まで沢山の被災者が狭い空間の中で、先の見えない不安と余震の恐怖で眠れぬ日々を過ごしていました。
任務に追われる中、数日ぶりに見たニュースで、エコノミークラス症候群で亡くなった人や心因性の体調不良の増加が取り上げられていました。私は、上級体育と上級格闘指導官の知識を活かして自分に出来る事がないか思案し、現地の役場管理者に相談したところ、ストレッチを兼ねた体操を行うことになりました。エコノミークラス症候群の未然防止と共にストレスを和らげ、思考の悪循環を改善する事と、神経系トレーニングにより脳と身体を連動させて心身を健康な状態に保てるような内容を考察し実行しました。
体操は現地の看護師や役場の人から高評価を得て続行の要請が来たので、一週間ほど継続させて頂きました。派遣最終日に多くの方が元気になって下さるよう、要領を資料にまとめ西原村主要6ヶ所の避難所に配布し、申し送ることができました。
如何なる時、如何なる場所でも自らに出来ることを見つけ実行するのが自衛官であると考えています。私の被災地派遣の上申を許可して下さった上司に感謝するとともに、これからも、常に自らの能力の向上を念頭に置き、有事の際に全力で任務を完遂できるよう、より一層努力を続けて精進していきます。 |
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予備自招集訓練に参加して
久居駐屯地 予備陸曹長 西 真生 |
約35年半の自衛隊勤務を終え、平成26年2月6日、無事に定年退官してから初めて、久居駐屯地での招集訓練に参加しました。2月上旬に明野駐屯地で2日間訓練に出頭し、今回は仕事の都合上、3月7日及び8日の2日間となりました。
その内容は基本教練、障害構成及び検問要領訓練と充実したものでしたが、教練諸動作や89式小銃取り扱い等、忘れている部分が多々あり、担当教官はじめ助教・助手の隊員皆さんに迷惑をお掛けしたことと思います。懇切丁寧にご指導、助言を頂き感謝申し上げる次第です。また、久かたぶりに先輩後輩の方々と旧交を温めうる機会にも恵まれ、有意義な時間を過ごさせて頂きました。
現役を退いてから約2年経過しましたが、今回の訓練を通じて予備自衛官の立場として自分自身がやるべき事、尽くすべき事は何なのかを認識させてもらったように感じます。
最後に隊務多忙の中、時間を割いて訓練を担当して下さった33普連第2中隊スタッフの皆さん、大変お世話になり有難うございました。28年度招集訓練にも職場先との勤務調整を行って、5日間参加を目標に努めていきたいと思っています。 |
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熊本地震災害派遣に従事して
第17普通科連隊(山口) 3陸曹 孔山 慶太 |
4月16日深夜1時過ぎ、携帯電話の警報の音と、異常な揺れで目が覚め、嫌な予感がしました。「2日前も確か熊本で地震が…」と。インターネットで調べてみると震度7、マグニチュード7・3と言う数字でした。それを見て私は即座に九州地方にいつ派遣されてもいいように準備に入りました。
私は連隊主力として同日、昼過ぎに駐屯地を出発、17日早朝から南阿蘇村において人命救助活動に従事しました。現場付近に到着すると、大きな岩が道路をふさいで車両の行く手を阻みまた、やっと到着してもその家屋は大量の土砂で埋め尽くされており、どこから手をつけて良いのかわからない状態でした。しかし、ご家族と思われる方が土砂で埋もれた家屋の前にただただ無言で立ち尽くす様子を見て、「1秒でも早く行かねば!」と焦る気持ちといら立ちが強くなったのは覚えています。今回の派遣を通して、改めて自然災害の怖さと私たち人間は自然に生かされている事を再認識し、何もない平凡な日々こそ幸せであると言うことを痛感しました。
熊本県の1日でも早い復興を心から願うばかりです。 |
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後期教育を修了して
第12普通科連隊(国分) 3陸曹 工藤 真也 |
約3ヶ月間行われた初級陸曹後期教育を終え、装輪車整備に必要な知識技術を学んできました。
入校前と比べ確実に知識と技術が向上したのは勿論ですが、自信もつき車両整備に対する意欲も沸いてきました。
今後は、次の目標でもある鍛造工作の教育入校が残っているので益々頑張って行きたいと思います。 |
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雪月花 |
先日、珍しい名前の方と名刺交換した。○○アトムさん、思わず顔を見直した。こちらから聞く前にかれの方から説明してくれた。「ペンネームではありません本名です、父が漫画のアトムのファンだったのです。出生届けを出すときは役所でびっくりされたそうですが」、アトムさんは自動車関係の会社で渉外の仕事をしているが一度名刺を交換するとほとんどの人が姓は忘れてもアトムはいっぺんで憶えてくれるそうだ。二回目からはみなさんアトムさんらしい、筆者もそう呼ばせてもらっている。子どもの頃はからかわれるのと羨ましがられるのが半々だったようだが今はお父さんに感謝しているという。続いて先月には九州の部隊に行ったとき、「サカナです」と挨拶された。押し出しの立派な広報班長さんで、名刺をよく見ると「坂名」さんとなっていた。話はわかりやすく話題も豊富なうえに名前からもとっつきやすい、メールアドレスもsakana-sakana-sakanaとくればまさに広報マンに打ってつけカナ。30年くらい前だっただろうかテレビに「珍名さんいらっしゃい」という番組があった。視聴率もよかったが「神聖な名前を笑いものにする」とかのクレームが来て消えてしまった。自分の子どもに「悪魔」とつけて出生届けを受け付けてもらえない事件も約20年前にあったがこれは別として、印象にのこる名前や楽しいものはおおいに付けたらいいと思う。ネットで珍名さんを探すと思わずにやにやして嬉しくなるような名前がドサッリのっている。(引用したお二人には了解をいただいております。) |
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