夏も近づく八十八夜。節分から数えて88日目、昔からこの日に摘んだお茶が一番美味しいと言われている。ことしは連休中の5月2日だった。筆者は毎年この時期に生家に帰るので新茶を作る。朝露の上がるのを待って家人と二人で鶯の声を真じかに聞きながら新芽を摘み始める。生垣を兼ねたお茶の木は1メーターくらいに揃っている、これを植えたときの祖父の言葉を思い出す。「おじいさんの時代には摘むほどにはならないけどお前の時代には美味しいお茶が飲めるからね」。祖父の遺産の一つである。当時はどこの家でも茶摘みは年中行事だった。家族総出で摘んだ新芽を大きな釜で煎り、手で揉んで柔らかくする、この工程を5回ほど繰り返し、むしろに広げて天日で乾かす。あっちからもこっちからもお茶の香りが漂っていたものだった。この製造方式をことしもそっくり再現した。大釜の代わりにステンレス製の手鍋、薪はプロパンガスになり随分楽にはなったが、それでも5時間も煎って手もみをするとかなりの重労働になる、4、5日は手首が痛い。老夫婦の作業だからまことに静かである、昔のような賑わいや威勢はもちろんない。昨年飲んでもらった人に美味しかったと言われたことを励ましにもくもくと続ける。お茶の名産地では摘むのも機械になり乾燥も電気になっているようだが、手作りのうちのお茶が一番美味しいねと言う嫁いだ子供たちの分もあわせてこれだけあれば充分1年のお茶になる。 |