中部方面衛生隊 1陸尉 座波清誉
平成23年2月より約半年間、ハイチ派遣国際救援隊衛生班医官として勤務した。最初の任務は、CTC(コレラ治療センター)において、コレラ疑いの現地住民2名を治療することだった。この時は、患者と言葉がほとんど通じず、処方箋の様式も日本と違い、医療活動における言葉の壁を思い知らされた。また、ドミニカに患者を緊急搬送した時は、輸血のストックがなく、その場で献血者のボランティアを募るなど日本の医療体制との相違に驚かされた。その他、国連ハイチ安定化ミッション参加国医官との交流、各国の隊員に対する診療支援及び各種検査支援を通じ、日本の医療のきめ細かさを実感した。このような海外における貴重な経験を今後の勤務に活かしていきたい。
最後に、派遣されてすぐ発生した東日本大震災において日本も大きな被害を出し、各国から多くの支援を頂いた。今回及び今後のハイチにおける我々の活動が、少しでもそれらに対する恩返しになればと思う。
第3通信大隊 3陸曹 皆川直美
平成23年2月から約半年間、ハイチ派遣国際救援隊第4次要員の無線通信陸曹としてハイチにおける救援活動に参加した。40℃を超える気温の中、瓦礫除去等の施設作業部隊と派遣隊本部との間の通信及びハイチと日本との間の通信等の通信業務を実施するとともに、民生協力活動やメダルパレードにおいて司会を担当するなど、貴重な経験をすることができた。中でも、民生協力活動として孤児院を慰問した際、身寄りのない子供たちが、日本隊が提供した物品の中にサッカーボールを見つけると、無邪気に裸足で駆け回り喜んでくれた事が特に印象的だった。また、帰り際「日本隊は次にいつ来てくれるのか?」との悲しげな顔や握られた手から、人種や言葉を超えて心に届く気持ちは世界共通であることを知った。
最後に、本活動に参加させていただいたことを感謝するとともに、この国の復興とこの国の人々の明るい未来を心から願い、また、ここで得た経験を自分自身の宝として、これからの勤務にまい進したい。
第36普通科連隊 陸士長 阪田大輔
私は、平成23年2月から8月までの間、ハイチ派遣国際救援隊において警備小隊員として約6ヶ月間勤務した。派遣当初は、気候などの生活環境の違いに戸惑う事も多々あったが、班長や同僚の支えにより無事に任務を完遂する事ができた。
派遣間、特に印象に残っていることは、空港税関の解体作業現場における監視・誘導である。現場作業は、人通りが多い中での重機を使用する作業であり、安全管理上、住民等が不用意に近付かないように誘導を実施した。
その他様々な任務があったが、日本で訓練したことがどのような場面においても非常に役に立ち、普段の訓練等の重要性を身にしみて感じることができた。今後は、この派遣で得ることのできた経験・技能を部隊勤務に活かし、引き続き訓練に励んでいきたいと思う。
第3後方支援連隊 1陸曹 井田 滋
「任務完遂の道標」
○今日1日、日本の武人としての誇りと品位を保ち、厳正に規律を保持すべし。
○今日1日、仲間を信頼し、支え合い、明るく溌剌と任務を遂行すべし。
○今日1日、油断なく安全確実に任務を遂行すべし。
○1日1日を積み重ね、全員無事に日本に帰るべし。
日々の心構えを新たにするため、この「任務完遂の道標」を全員で毎朝唱和し続けて、早や半年が経過しようとしている。
私の任務は、宿営地内外において実施する「施設器材の現地整備」である。派遣期間中、猛烈な暑さの中で、予防・故障整備含め約200件を超える整備を実施してきた。印象的だったのは宿営地内の大容量発電機で、この発電機は宿営地の生活のための電力をまかなっているものである。しかしながら、この発電機はたびたび故障し、そのため、整備にはいつも緊張感をもって臨んでいた。真夜中に大容量発電機が故障し、朝まで整備したこともあった。
ハイチは地震発生から1年半を過ぎるが、未だに倒壊家屋が残り、道路状態も悪く、まだまだ多くの避難民が避難民キャンプで生活をしている。復興にはまだ時間がかかりそうだが、現在まで実施してきたことは復興そのものに貢献できたものと思う。
我々の派遣期間はあとわずかだが、「任務完遂 無事帰国」を目標に最後までしっかりやりぬき、日本隊としての軌跡をしっかりと残したいと思う。また、帰国した暁には、派遣に際して大変お世話になった上司、同僚、後輩、そして留守を守ってくれた家族に対し、感謝の言葉を伝えたいと思う。 |