防衛ホーム新聞社・自衛隊ニュース
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自衛隊ニュース   2011年7月15日号
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寄せ書き

国民に貢献できる立派な自衛官に!
第117教育大隊(武山) 一般陸曹候補生 田島ダニエル望

 自分は約3ヵ月前の4月3日にここ武山駐屯地に着隊しました。本来ならば多賀城駐屯地での教育となるはずでしたが、先の東日本大震災の影響で武山駐屯地での教育となりました。
 入隊前は、自衛隊員の災害派遣で活躍する様子をテレビで見るたびに「同じように被災者を助けたい」との思いが高まり、被災地で活動することを期待しながら着隊しました。しかし、実際に武山駐屯地に来て一日目を終えると日常とのギャップに驚くとともに、本教育への不安を感じるようになりました。厳正な規律、多くの仲間との集団行動、自分が使える時間が少なくなるなど、あらゆる面で今までの生活とは違う行動を強いられるようになったからです。
 また、入隊式が終わってからは、様々な訓練を受けるたびに、自分の体力の無さ、不甲斐なさを強く感じるようになり、「もう自衛隊をやめたい」と思う時もありました。
 そんな自分ではありましたが、訓練や生活面で熱心に指導をして頂いた班長の方々や、辛い時に一緒になって頑張ってきた同期たちの支えもあり、ここまでやってこれたと思っています。
 まだまだひよっ子の身である自分ですが、前期教育で得た貴重な経験を活かし、後期教育を通して『国民に貢献できる立派な自衛官』となれるよう、日々精進していきたいと思います。

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手紙の素晴らしさ
第305基地通信中隊(八戸) 3陸曹 山内 翼
 最近、手紙を書く事が好きになっています。通信技術の発展により電話やメール、更にテレビ電話を通じ、遠距離の相手とリアルタイムで会話ができるようになり、手紙を書く事が殆ど無く、手紙自体がどこか古臭く面倒くさい事に思われがちな現代社会です。私も、メールと違い漢字辞典片手に机に向かい文章を考えながら、綺麗でもない字で手紙を書く事は面倒臭く、届くまで時間がかかるので苦手意識がありました。
 しかし、いざ腹を決めて書き始めると相手との記憶や顔を思い浮かべあれやこれとついつい楽しく、思った以上に筆が進むものだと実感しました。また、返事をもらいそれを読むとメールと違いとてもうれしい気分になれます。それ以来、父の日や母の日等には手紙を書くようにしています。皆さんも、何かの機会に形式にとらわれず、たまには手紙を書いてみるのもいいものだと私は思います。
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トライアスロンLife
第36普通科連隊(伊丹) 3陸曹 池条年弘
 トライアスロンを始めてまだ2年目ですが、去年だけでサイクルロードレース、ウルトラマラソンを含め12試合(トライアスロンは5試合)に出場しました。始めたきっかけは、3年前からロードバイク(競技用自転車)に乗り始め、そこで知り合った人にトライアスロンのクラブチームを紹介してもらったことでした。
 去年5月の初レースの3種目の距離は、水泳400m、バイク20kmラン5km(スプリントディスタンス)でした。3ヵ月後のレースでは、水泳1・5km、バイク40km、ラン10km(オリンピックディスタンス)と距離が伸びましたが、距離に不安を感じることなく最後まで走りきることができました。結果は5月のレースでは60人中15位、9月のレースでは274人中6位(エイジ別30〜40代1位)で入賞することができました。
 トライアスロンの面白いところは3種目ある内の1種目が弱くても他の種目で巻き返しが効くところです。私は水泳で遅れをとり、バイクで順位を上げ、ランでもコツコツと順位を上げていく作戦で臨んでいます。私は3種目の中でロードバイクが一番得意であり、好きです。ロードバイクに夢中になったのは、あるテレビ番組でランス・アームストロング選手(ガンを発病し、生存率20%のどん底から化学療法を経てレースに復帰し、その翌年1999年から世界最大のロードレースであるツール・ド・フランスを7連覇した)を知ったことがきっかけでした。
 トライアスロンに出場する全ての人が順位を競ってやっているわけではなく、自分と戦っている人もたくさんいると思います。無理して追い込まなければ、そんなにしんどい競技ではないのです。海外ではマラソン感覚でトライアスロンやサイクルロードレースが一般に普及しています。日本ではまだメジャーとはいえませんが、1人でも多くの人が挑戦して、これらの競技の楽しさを知ってもらえれば幸いです。
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私のお父さん
尾堂 楓(第12普通科連隊=国分尾堂功浩2陸尉長女)
 私のお父さんは、毎日忙しいです。なのに、水泳があるときは迎えに来てくれます(私は週6日スイミングスクールに通っています)。
 忙しいのに迎えに来てくれて、とてもうれしいです。なので、私はとても尊敬しています。
 しかも、何でも買ってくれます。私のほしいものや、妹のほしいものも色々買ってくれます。熊本や奄美大島などに行ったときは必ず電話で「お土産は何がいい?」と聞いてくれます。私はいつもお土産が楽しみです。お土産がお菓子のときはすぐなくなってしまいます。
 お父さんは仕事でとても頑張っているから私も水泳を頑張りたいです。そして、いろいろな大会で優勝してお父さんを喜ばせたいです。
 お父さんこれからも仕事頑張ってね。
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隊友会担当を終えて
三重地方協力本部 事務官 山本元彦
 私は三重地本の隊友会担当として2年間、三重県隊友会の三石会長、事務局長ら、役員の方々と各種事業支援で接し、そのバイタリティーに驚き、あらためて三重県隊友会の素晴らしさと皆さんの情熱を痛感しました。この度、担当を終えることになりましたので、その一端を紹介させていただきます。
 三重県隊友会の最も大きな社会貢献事業として「各自治体との防災協定の締結」があります。平成19年から現在に至るまで、県内6市と協定を締結し、主に情報所の立ち上げ、災害対策本部運営への助言、災害関連情報収集・伝達網の整備、防災訓練への参加・協力などを実際に行っています。狙いは社会貢献のほか、この活動による自衛官のステータスの底上げであり、現在、三重県の地方自治体に7名のOBが防災関係職員として採用されていますが、隊友会のこうした活動があったからこそではないでしょうか。
 また、県内に旧軍の慰霊碑が5ヵ所あり、その慰霊祭の運営及び会場設営支援、定期的な清掃活動などを行っています。
 他にも、平成20年には厳しい募集環境をふまえ、各協力者に呼びかけ自衛隊募集広報後援会を立ち上げるとともに、300枚の募集看板を作成しました。
 また、第5次イラク派遣群(第10師団)出国の際の黄色いハンカチ・バッジ運動、入隊・入校予定者激励会及びふれあいコンサート主催、予備自衛官5日間訓練激励、河川・道路の環境美化活動など、紹介したらキリがありません。
 中でも一番感動した事業は、県内の久居・明野駐屯地などでの定年退官者見送りの日、正門の内側では現役隊員が見送り、正門の外側では会長、退官者が居住する支部長が、定年退官者に記念品を贈呈します。このことが「新たな絆」となり事後の活動の「源」になるのではないかと思います。
 私の中では、三重県隊友会は「日本一」の隊友会であります。今回、担当を退きますが、三重地本にいる限り隊友会の皆さんを応援したいと思います。
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2児の父になって
第7普通科連隊(福知山)3陸曹 矢田心也
 昨年11月に第2子(長女)が誕生し、一男一女を授かりました。産まれるまでは、男の子でも女の子でも健康に産まれてきてくれれば十分だと思っていました。しかし、女の子は男の子とは違う可愛らしさがあって、夫婦共々メロメロです。顔は残念ながら父親そっくりですが……。
 赤ん坊の頃の息子は、本気で泣き出すと私があやしても全く泣き止まず、妻がいないと駄目で手が付けられませんでした。しかし娘は、私でも妥協してくれる寛大な性格で、例え泣き出しても細くて高い声なので聞き心地が良く、泣き声も癒しなのです。私たち夫婦にとって、一男一女を授かることはこの上ない贅沢です。男の子の可愛いところと、女の子の可愛いところの両方を2人占め出来るのですから。私の夢は、息子と酒を飲むことと、娘とデートすることです。いつの日かこの夢が叶うように、家庭を守り、国を護る、家族にとってカッコイイ父親でありたいと思います。
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Kids safety
八尾駐屯地曹友会会長 陸曹長 田原 正伸
 春季交通安全週間期間中である5月11日、16日、20日の3日間、八尾駐屯地曹友会は「Kids safety運動」として地元志紀小学校児童に対し交通安全見守り事業を実施しました。
 曹友会長である私以下延べ37名の隊員が参加しました。特に若い隊員から、「家族以外の小学生と直に触れることが出来て有意義でした」という声がありました。次回は秋期交通安全週間に実施します。

「頑張っています」新しい職場
活躍するOB シリーズ
山口銀行岩国支店 栗林 和彦
栗林氏は平成23年2月、岩国航空基地隊を海曹長で定年退職、54歳

 私が、海の守りに憧れて、昭和50年11月海上自衛隊佐世保教育隊に入隊し早いもので35年の月日が流れ、平成23年2月19日無事定年退職の日を迎えることが出来ました。在職中は、航空機体整備員として主として岩国航空基地所在航空機の整備に従事しておりました。また、50歳を過ぎてから若い後輩たちに航空機整備のノウハウを伝授すべく下総第3術科学校の教官として、初めての単身赴任を経験しました。定年退職1年前には母基地である岩国航空基地で後方支援実施部隊である岩国航空基地隊本部の運用班員として勤務し、それを最後に長きにわたる海上自衛隊生活を無事終え希望と不安の中、第2の人生がスタートしました。
 さて、再就職の活動状況についてですが、海自在職中、航空機整備畑一筋で歩んできましたので、第2の人生も航空整備関係の仕事を熱望しておりましたが、入社を希望していた会社の当年度の求人がなく、目の前が真っ暗になり悩む日々もありました。しかしながら、気を取り直し、岩国就職援護室と相談して自分が進むことができそうな職種を探し、何度も就職援護室と職業安定所に足を運び、求人情報を収集する日々を送っていたところ、就職援護室から山口銀行特務行員の求人情報をいただきました。職種、仕事の内容、勤務時間等を説明され十分すぎるほどの条件でありましたが、健康面に一抹の不安を抱えている私は、不安な気持ちを持って山口銀行の面接に臨みました。面接当日、山口銀行の面接官からも「健康であることが第1の条件です」と言われ心配しておりましたが、幸い会社で受けた健康診断で悪い所もなく、定年退職10日前に採用通知をいただき入社する事が出来ました。これも、ひとえに就職援護室のおかげと感謝しております。
 岩国市内にある山口銀行岩国支店へは、私有車両で通勤しており、自衛官時代と通勤時間は変わりませんが出勤時間が1時間遅くなった分、道路が混み少し時間が掛ります。それも、次第に慣れ早いもので4ヶ月が過ぎました。銀行での主要業務は、特務行員として銀行内の警備、集配業務、ATMコーナーでの接客を行っています。警備業務は、行員・関係会社社員の出入りチェック及び不審者の発見です。集配業務は、各支店を回り書類・メールの集配を行うのですが、必ず2名で乗車し「安全、確実」を第1に行っています。ATMコーナーでの接客は、お年寄りなどATMに不慣れなお客様に対し、機械の操作方法を教えたり、振り込め詐欺防止等のアドバイスを行っています。
 入社当初、警備業務では、膨大な人間が出入りするため、顔を覚え名前と一致させるのに苦心しました。銀行という特異な環境ですので、防犯に関しては毎日神経をすり減らし勤務しています。集配業務については、本店から各店に配布する膨大な数の書類やメール類を仕分けすることがとても大変です。指定する配布先に時間通りに確実に届けるためには、細心の注意とスピーディーな作業が要求されます。また、何処に何時に送ればよいか判別できない書類等もあり、その都度、担当部署や上司に確認して確実な仕分け・配送作業を行っています。ATMコーナーでの接客は、お客様を第1に考え日々勤務しております。多くの戸惑いもありましたが、自衛隊で培った気力、体力、忍耐力で仕事に取り組んできました。その結果、入社当初の不安も払拭されました。
 厳しい求職状況の中、希望する職種で就職することは難しいと思いますが、再就職するにあたり、会社側としては、健康が第1の条件であります。これから再就職される隊員の皆様も平素から健康に気を付けて毎日の勤務に励んでください。


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