ハイチ派遣に感謝
第9施設大隊(八戸)3陸尉 山北 幸太郎
ハイチ派遣国際救援隊に施設中隊小隊長として参加し、瓦礫の除去、建物の解体及び敷地造成等の様々な施設業務を担当した事は、貴重な体験になった。
特に、他国の軍隊との調整や連携は、互いに母国語とは異なる英語であり、意思の疎通を図る事は想像以上に難しく、齟齬が生じた事も多々あったが、ジェスチャーや要図、文字を活用する等の工夫をした。粘り強く機会を重ねる毎に円滑に事が進むようになり、任務達成時には大きな達成感を得る事ができた。
また、ハイチの環境や他国の軍隊との交流を通じて、改めて日本国の良さ、規律ある日本人らしさを認識し、日本人としての誇りを強く感じる事が出来た。
最後に、この様な経験を得られたことに感謝すると共に、派遣間私を支えてくれた上司、同僚、原隊の皆様、そして家族に感謝申し上げます。
継続は力なり
第6戦車大隊(大和)1陸曹 高橋 順一
私は基本的に駆け足が好きではありません。しかし、40歳を過ぎ45歳になった今、それまでよりも走る様にしています。
20代の頃は、それ程走らなくてもまずまず良いタイムで走る事ができていましたが、30代に入り係に上番すると殆ど走らなくなり、気がつくと体重は70kg目前、BMI指数も25に迫る勢いだった5年前、定期健康診断の尿検査で糖が検出され、糖尿病の文字が頭をよぎりました。これは「まずい」。それから一念発起し、時間を作って走るようにすると段々体重も減り、タイムも以前より速くなってきて、去年・今年と大隊持続走競技会では体力検定の様に年代別毎の得点換算による個人走得点の部の表彰が採用され、私は2年連続で入賞する事ができました。
始めるのに遅いという事はありません。皆さんも健康と体力増進の為「継続は力なり」を念頭に少しずつ始めてはいかがでしょう。
痛みに耐えた銃剣道競技会
第13旅団(海田市)陸士長 田中 恒
困ったことになった。全身筋肉痛に併せて右の肩が外れそうなほど痛い。左踵は割れそうに痛くて、膝は悲鳴を上げている。なによりも頭が痛いのは、銃剣道を始めて2ヵ月の僕が団体戦に選ばれてしまったことだ。そもそも司令部付隊は陸士が少ないのに、ちょうど一任期である先輩は、自動車教習所で参加できない。結果的に新米陸士の僕と同期のもう一人に、お鉢が回ってくるのはわかっていたことだが。
そしてその同期がケガをした。一つの椅子を争うべきライバルが、銃剣道が出来そうもないほどのケガをした。おかげで争うべき相手もいないまま僕は、繰り上げ当選して陸士一任期未満の部で選手になってしまったのだ。
さて、困ったことになった。いや本当に困ったことになった。筋肉痛こそなくなったものの、両腕は筋が伸びたのか、じんわりと痛みに襲われ、無数のアザが浮かんでいる。下半身は足首に膝、股関節、それに加え関節のすべてが錆びたように、動くのを嫌がっている。足の裏にはいくつもマメが盛り上がり、場所によっては皮が剥げている。
そんな悪戦苦闘の中でなんとか銃剣道競技会を無事に終えることが出来たが、一勝も出来なかったのだから手放しで喜ぶことは出来ない。当たり前のことながら、一年分のアドバンテージは大きく、一任期未満という枠の中だったが手も足も出なかった。にもかかわらず、一歩踏み出すたびに痛む足をひきずりながら、どうやったら勝てたのかと考えている。
まずは、筋肉痛にならないような基礎体力を身につけなければならないことを痛感した。自衛官は体力勝負な面もあるので、日頃の体力練成に励みたいと思う。
チームの先鋒が勝てばムードが盛り上がるが、私は一勝も上げられず部隊に貢献できなくて悔しい思いをした。次はリベンジしたい気持ちが強い。また、他の戦技でも頑張って部隊の一員として戦力になりたいと思う。
国民と自衛隊を繋ぐ架け橋に
熊本県総務部市町村総室 坂本 吉寛(熊本地本投稿)
1月24日から25日にかけ、熊本地方協力本部のご支援のもと、県内市町村の自衛官募集事務担当者を対象とした現地研修会を宮崎県で開催しました。県内8市町村から11名の参加があり、私も県の自衛官募集事務担当者として参加させていただきました。
1日目は、航空自衛隊新田原基地で領空侵犯に備えた警戒と緊急発進等の防空任務や国際平和協力活動等の任務についてご説明いただきました。戦闘機が離発着する場面を視察できたほか、戦闘機のコックピットに入り記念撮影等をさせて頂き、貴重な体験をさせていただきました。2日目は、陸上自衛隊都城駐屯地において、駐屯地の沿革や部隊編成のほか、口蹄疫や鳥インフルエンザ、大規模災害等の災害派遣の任務、最新型の迫撃砲や軽装甲機動車等の装備品などについてご説明いただきました。
今回の研修では、熊本県出身の隊員との会食・懇談の場を設けていただいたことで、自衛隊の存在をより身近に感じることができました。今回出席された市町村の御担当者にとっても、自衛隊の基地の状況や現場の雰囲気を体験できたことで、自衛官募集事務を遂行するうえで、自衛隊に対する理解が深まったのではないかと考えております。
最後に、研修の実施に当たり、宮崎県で発生した鳥インフルエンザの災害派遣の最中であるにもかかわらず、懇切に御対応いただきました新田原基地及び都城駐屯地、並びに研修先との連絡等で御協力いただきました熊本地方協力本部の皆様に心から感謝申し上げます。
FTC訓練の教訓
第35普通科連隊(守山)3陸曹 藤川 将大
昨年10月31日から11月5日までの間、北富士演習場において実施されたFTC訓練に参加しました。自衛隊生活11年目にしてようやく参加の機会を得ることができました。
この訓練は、訓練評価装置を使用し、砲迫射撃や直接照準火器による彼我の損耗状況が明確に表示され、より実戦に近い状況下での訓練です。また、我の損耗状況によっては、負傷者の救護処置や、分隊長が重傷又は死亡して行動不能に陥った際の、指揮の継承などの行動も要求されます。その中で私は最後まで生き残ることができましたが、自分の行動がイメージ通りいかず、他の分隊員に指示や助言もできず、最後まで状況変化のスピードについていけませんでした。改めて分隊長の職務の重責を感じると同時に自分の力の無さを痛感させられましたが、多くの反省点と教訓を得ることができたと思います。
今後は、訓練や演習後の整備等に関してもより実戦を意識して、いかなる場合においても即応できるよう心身を鍛え、更に精進、努力したいと思います。
市民の理解の大切さ
岐阜地方協力本部 2空曹 児玉 久
私は11月14日、岐南町立東小学校で開催された「岐南町防災訓練」に参加しました。当日は、岐阜地方協力本部からは岐阜募集案内所長・新井1空尉と私が参加し、災害派遣活動のパネルを展示しました。
訓練は、震度6強の地震が発生したとの想定で行われ、自衛隊、羽島市警察署、岐南町東消防署、地元消防団等の関係機関のほか、多くの町民が参加し、小さな子供達から高齢者まで、消火器による初期消火体験や応急手当訓練など、様々な訓練に積極的に参加していました。自衛隊のコーナーでは、昨年7月に岐阜県八百津町で発生した土砂災害における災害派遣等、国内の災害派遣活動のパネルを展示すると、多くの参加者がパネルに見入っていました。岐阜地本の他に航空自衛隊第2補給処も参加しており、人命救助システムの展示及びその説明等を実施していました。中でも多くの参加者が興味を持って見ていたのが、2?の隙間があれば上げることができる「油圧ジャッキ」や、倒壊した建物等の隙間から中をのぞくことができるマイク付きカメラ「破壊構造物検索キット」でした。
この訓練に参加して感じたことは、災害発生時には関係機関(自治体、自衛隊、警察、消防、消防団等)が一丸となり連携しなければいけないということ、その連携が十分に発揮できてこそ、市民の生命と財産を守り、被災者等の救助にあたるという使命を遂行できるということです。またそれには、一般市民の協力も必要であることも実感しました。
一般市民の理解がなければスムーズな活動はできません。そこで、我々が今回のような防災訓練において装備品やパネルを展示することで、市民の皆さんに自衛隊の災害派遣活動を理解してもらうことの重要性も再認識できました。
予備自訓練を終えて
茨城地方協力本部 非常勤 伊手 智美
私は、1月14日から18日までの間、土浦駐屯地で行われた予備自衛官5日間訓練に、茨城地本初の非常勤職員兼予備自衛官として参加してきました。地本の皆様、武器教導隊の皆様のご支援のお陰で、無事22年度の訓練を終えることができました。
基本教練、射撃検定、特殊武器防護、救急法等、みな久しぶりの訓練で懐かしく、そして新鮮な気持ちで訓練を全うすることができました。自衛官だった頃を思い出しながら、そして新たな人生を歩みだした自分と向き合うことができた貴重な5日間でした。色々な職業に就いている予備自衛官の方々と接し刺激を受け、また同じ駐屯地で勤務していたときのOBと再会できたことはとても嬉しかったです。残念ながら射撃検定には合格することはできませんでしたが、初めて89式小銃を持ち大興奮しました。来年こそは絶対に昇級するよう頑張ります。体力測定も昇給できるよう日々努力しようと思います。
これからも地本の一員(非常勤職員)として、明確な目標を持ち訓練に参加していきたいと思います。
奄美大島を元気に
第12普通科連隊(国分)陸士長 尾込 瑞樹
第12普通科連隊は、平成22年12月3日から14日までの間、奄美大島における離島防災訓練に参加した。
今年度の防災訓練は第3中隊が基幹となり、私はその中でオート偵察員として参加したが、非常に良い経験となった。訓練としては、災害の現場におけるオート偵察を演練することが出来、また、装備品展示等においては、奄美大島の人々とふれあう機会が多くあった。妻が奄美大島出身ということもあって度々訪れているが、今回は災害の後ということで、まだまだ復興途中であったと思うが、そうした人々から、「元気をいただきました」と声をかけられ、嬉しく思うとともに、こちらも元気付けられた。
これからも機会があるたびに、離島における訓練に参加し、島民と触れ合い、互いに元気づけられれば良いと思う。 |