防衛ホーム新聞社・自衛隊ニュース
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自衛隊ニュース   2011年2月15日号
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ハイチPKO終えて
半年間の任務完遂
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9後支連補給隊
3陸尉 小塙 武尊
 昨年8月日本を出国し、任官後、初めての海外勤務が始まった。
 私の任務は小隊の隊員と共に燃料、水、消耗品の補給や入浴、食事といった宿営地での生活基盤の維持運営であった。
 本派遣間、快適な環境の提供・支援ができたか?また、共に任務についた隊員と最良の行動ができたか?とよく悩み、よく失敗をしてきたと思う。初級幹部の私には全てが新鮮な経験であった。
 無事に小隊の隊員と共に派遣終了に至ることができたことは素直に喜びたい。
 派遣終了まで、日本の上級部隊や派遣元部隊の方には非常に多くのご指導・ご支援を賜るとともに、温かく見守って下さったことに感謝します。

9施大1中
陸曹長 小谷野勝夫
 去年8月にハイチに入国し、ポルトープランス空港に降り立った時は、6か月という派遣期間は長いと感じましたが、数多くの施設活動の任務を坦々とこなし、振り返ると、あっという間の半年間でした。
 施設小隊器材班長として参加し、主に、施設器材の操作に従事しましたが、排水設備工事、学校解体・瓦礫除去、川砂利の採取、クレーンによる他国軍の支援等、様々な任務を実施しました。
 私は、過去にUNDOFに参加した経験があり、他国からの陸上自衛隊の施設技術の評価が高かった事からも、日本にいる時と同様に自信を持って任務を完遂する事が出来ました。活動が終了し、現地のハイチの人達や他国隊等から感謝された際、微力ながらハイチの復興に役立てた充実感と達成感で一杯になりました。一日も早いハイチの復興とハイチの人達に安定した暮らしが戻る事を祈念致します。

312ダンプ車
3陸曹 大川 勝知
 私は施設器材中隊ダンプ班装輪操縦手として平成22年8月30日にここハイチに到着しました。派遣間、倒壊家屋の瓦礫の運搬や孤児院等への砂利運搬の他、様々な施設作業に従事しました。
 ハイチにおいては言葉が通じず、また日本とは違う劣悪な交通事情、ハリケーンの上陸、コレラの流行、大統領選に伴うデモ等様々な状況のもとでの活動でした。そんな中、最も大切と感じたのは、「仲間の絆」でした。最も印象に残っているのはアルゼンチン隊や韓国隊宿営地に宿泊しての活動において、主力から離れて言葉の通じない他国隊宿営地での生活の中で安心できるのは仲間と過ごすひとときでした。この様な貴重な経験をすることが出来たのも日本で勤務している仲間、父や息子の帰りを待つ家族のほか、たくさんの人々に支えられて経験出来たものと思っています。ありがとうございました。

9通大1中
3陸曹 久野 雅之
 昨年8月ハイチに派遣された当初は、6か月も異国の地で勤務することができるのかと不安になりましたが、周りの上司・同僚に助けられ、充実した日々を送ることが出来ました。
 慣れる事のない暑さや環境などと常に戦い、ハイチの復旧の一助となるべく、各種任務に邁進しました。
 この任務に従事できて本当に良かったと感じています。特に、現地の人々の考え方を尊重しつつ、広い視野をもって任務達成の手段を考えることの重要性を認識しました。また、微力ながら世界の平和と友好構築の一翼を担えたことを誇りとし、今の気持ちを忘れないようにしたいと思います。
 ハイチで得たさまざまな喜び・感動・教訓を今後、日本に帰って役立てていきたいと思います。

9施大3中
陸士長 松村 隆寛
 本派遣は、私の今後の勤務において、大変意義のある経験となりました。その一つは、初の国際平和協力活動への参加、海外勤務であり、日本を離れ6か月も異国の地で勤務することに不安がありましたが、周りの上司、同僚の支えもあり過酷な環境の中でも、充実した日々を送ることができました。私の主たる任務は、施設手として、瓦礫の除去、コンクリートカッターを使用した倒壊家屋の解体、車両の誘導などでありましたが、ハイチ復興の一助となるべく汗を流し、やり遂げたことが今後の勤務への大きな自信に繋がったと思います。白かった肌も強烈な日差しで真っ黒に日焼けし、自己の勲章と思っています。
 二つ目は、異国の地で成人式を迎えたことです。責任を自覚し、自衛官・社会人として、一層心身の鍛練に励む決意をしました。本派遣を通じて、ハイチで得た様々な喜び・感動・教訓を今後の自衛隊生活、また後輩指導に生かし、いち早く陸曹になれるよう今後より一層努力して行きたいです。


ボクシング年間表彰
須佐3尉が最優秀選手賞
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 1月26日に行われたボクシング2010年度年間優秀選手表彰式で自衛隊体育学校所属の須佐勝明3陸尉がアマチュア部門最優秀選手賞、同じく清水聡2陸曹が技能賞を受賞した。
 この表彰式は日本ボクシングコミッション・日本プロボクシング協会・日本アマチュアボクシング連盟・東京運動記者クラブボクシング分科会の主催で、プロ、アマ合同で行われた。昨年2010年のプロボクシング界は男子6人、女子1人の世界チャンピオンを有し、隆盛を極め、表彰式も例年以上の華やかな式典となった。
 だが、アマ・ボクシング界もプロに負けてはいられない。ロンドンオリンピックを来年に控え、今年は10月に五輪出場枠をかけた世界選手権がアゼルバイジャンで行われるなど、プロに負けずに盛り上がって行かなければならない。そういったアマ・ボクシング界の流れの中で、2010年、須佐は、5月のカザフスタン・プレジデントカップで優勝、これは日本にとって国際大会での数年ぶりの優勝。しかも、戦った相手は世界の一線級であり、須佐が世界で十分戦って行けることを証明した。また、11月のアジア大会でも、自身2回目の銅メダルを獲得するなど、最優秀選手にふさわしい活躍をした。
 また、清水も昨年1月に肩の手術を行ったが、アジア大会での5位入賞が評価され技能賞となった。
 今年のプロ部門で最優秀の西岡利晃選手(WBC世界スーパーバンタム級チャンピオン)をはじめ表彰された多くの選手がアマ出身もしくはアマ経験者であり(表彰されたプロ選手のうちアマ経験のないのは長谷川穂積選手だけ)、特に敢闘賞の粟生隆寛選手(WBC世界スーパーフェザー級チャンピオン)は須佐と同世代、階級は違ったが高校時代にインターハイや国体で活躍した選手だ。
 須佐の強さはプロ・ボクシング界でも有名だ。大学を卒業するとき、プロからの誘いもあったが、須佐が選んだのはオリンピックを目指すために自衛隊体育学校に進む道だった。あれから4年、須佐の同世代がプロの世界でも台頭してきた。アマに拘った須佐の活躍が期待される。


レスリング国際大会
米満2曹が準優勝
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 1月28〜30日の間、ロシア・クラスノヤルスクで開催されたレスリング・ゴールデングランプリ・イワン・ヤリギン国際大会で、男子フリースタイル66kg級に出場した米満達博2陸曹が準優勝。同55kg級に出場した湯元進一3陸尉が3位、女子59kg級に出場した島田佳代子陸士長が5位の成績を収めた。また、フリー60kg級で昨年3位の高塚紀行2陸曹は2回戦敗退となった。
 この大会は7月にアゼルバイジャンで行われるゴールデングランプリ・ファイナル出場がかかった大会であると同時に、世界のレスリングのトップ集団を形成するロシアを始めとする旧ソ連圏の強豪選手が大挙して出場する大会で、オリンピック出場をかけた戦いの年となる2011年のレスリングの動向を占う大会だ。その大会に、日本は、五輪でメダルを狙える55kg級、60kg級、66kg級にそれぞれ、湯元と稲葉泰弘(警視庁)、高塚と湯元健一(ALSOK)、米満と小島豪臣(K—POWER)と昨年の天皇杯決勝を戦ったライバル選手同士を派遣し、レベルアップを図ることを企図した。
 こうした中で、米満は初戦1回戦から2対0のストレート勝ちで危なげなく勝ち上がり、準決勝でも昨年優勝のマゴメドムラド・ガジエフ(ロシア)を2対0で破って決勝へ進んだが、決勝で昨年2位のアダム・バティロフ(ロシア)に0対2で敗れ、銀メダルとなる。湯元は初戦2回戦で地元ロシアのコンスタンチン・モステファンをテクニカルフォール含む2対0で下したが、3回戦で2007年世界ジュニア王者、2008年欧州王者にして今大会を制したジャマル・オタルスルタノフ(ロシア)に0対2で敗れた。しかし、敗者復活戦を勝ち上がり3位決定戦でまたしても地元ロシアのアルチョム・ゲベコフとしぶとく戦い抜き、3位の座をキープ。
 米満、湯元はメダルを獲得したことで、いよいよ本気を出してきた旧ソ連勢に十分戦えることを証明した。(以上、体校広報)


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