防衛ホーム新聞社・自衛隊ニュース
スペーサー
自衛隊ニュース   2011年2月15日号
-
1面 2面 3面 4面 5面 6面 8面 9面 10面 12面

茨城県国民保護訓練に参加
施設学校
「放射性物質を含んだ爆弾テロ」
全国初の想定訓練
-

 施設学校(学校長・小川祥一陸将補)は、1月30日に水戸市三の丸庁舎を中心に実施された平成22年度茨城県国民保護共同実動訓練に参加した。
 訓練は、内閣府、茨城県、水戸市が主催となり、自衛隊、警察、消防、医療機関等約70機関の総勢600名が参加する大規模なものとなった。
 状況開始は、テロによる放射性物質を含んだ爆発物が施設内で爆発し、市民198名が被災、その内の114名が死傷、負傷者には創傷汚染が認められるという想定で行われた。また、今回の放射性物質を含んだ爆弾テロの訓練想定は全国で初めてのものとなった。
 施設学校は、学校、教導隊から40名の隊員が参加し、現地調整所に派遣された連絡幹部が被害状況等を的確に把握し、関係省庁及び県との調整を実施するとともに、救急車による被災者の搬送及び被災市民の誘導を整斉と実施した。
 茨城隊区担任官である施設学校長は、三の丸庁舎の訓練、水戸医療センターにおいてドクターヘリからの負傷者搬入、爆傷患者の受入・救護措置及び被ばく医療機関の現状を視察した後、茨城県庁の合同対策協議に出席した。
 合同対策協議に先立ち、総理大臣官邸の内閣危機管理監と茨城県知事のテレビ会議が公開された。県知事は、現地の被害状況や住民の避難状況を説明し、「住民が安心して生活できるよう全力で対応する」と報告してテレビ会議を終了した。
 その後、合同対策協議において各関係機関の現状報告の際、施設学校長は「新たな事案の生起に備え、事態に即応できるよう部隊は引き続き待機中」と報告した。最後に、各専門家からの意見やアドバイスがあり、協議会の終了とともに訓練が終了した。
 参加した隊員からは、「全国初めての訓練であり、今回の訓練で関係機関との連携を強化することができた」「県、関係機関からの要望、自衛隊の役割を再認識することができた」など訓練の有意性の声が多く聞かれた。


07式支援橋を架設
戦車教導隊と共同訓練
施教隊
-

 施設教導隊(隊長・竹林周慈1陸佐)は、1月19、20の両日、東富士演習場において戦車教導隊との協同訓練を実施した。
 協同訓練には、施設教導隊から架橋中隊が参加し、戦車部隊等の前線への機動発揮を容易にするため、敵の攻撃により橋梁が破壊された河川に07式機動支援橋を架設する任務を付与され訓練が開始された。
 訓練は、「状況下における夜間作業要領」「他職種に対する施設支援要領」を修得する事を狙いとし、架設地点の施設偵察から架設作業、戦車の通過までの一連の状況を演練した。
 機動支援橋は昨年2月、81式自走架柱橋の後継として装備され、90式戦車の通行が可能で、橋脚がなく、架設高に影響を受けないことが大きな特徴となっている。この訓練は、装備化後初めて戦車を通過させる実地の訓練で、夜間状況下、かつ氷点下を記録する過酷な環境における作業となったが、富士学校機甲科部長、第1施設団長ら多数の研修者が見守る中、予定通り20日午前8時に90式戦車10両、74式戦車3両の戦車部隊を通過させ任務を達成した。
 協同場面では、戦車の橋梁通過にあたり、相方の事前調整と予行を周到に実施し、施設科隊員の通行指導統制のもと、戦車部隊は整斉と機動支援橋を通過した。隊員は戦車通過を目の当たりにし感動していた。
 また、整備された架設訓練場と異なる演習場内の実地における訓練であり、数々の教訓を得る事ができ、今後の練成に反映させていくことになる。


なっちゃん心臓移植手術成功
「ご支援に感謝申し上げます」
-

 本紙第790号で紹介した古家菜沙(こが・なずな、7歳)ちゃんの心臓移植手術が1月16日、カナダの病院で無事成功しました。広く募金活動を続けてきた「なっちゃんを救う会」の菊田桂子代表からお礼のコメントが寄せられましたので、ご紹介します。(編集部)
 募金活動中は、防衛省の皆様に多大なご支援を賜りました。日本中の隊員・職員やOBの皆様から、募金だけでなく、たくさんの激励のメッセージを頂き、ご家族ばかりでなく会のメンバーも大変励まされました。心より感謝しております。本当にありがとうございました。
 この度、なっちゃんの移植手術が無事成功しましたので、取り急ぎご報告申し上げます。
 現地時間1月15日夕方にドナーが現れ、翌16日早朝5時頃より移植手術が行われました。同正午には無事手術が成功したとのことです。約7時間の手術というのはかなり順調に済んだということらしく、今のところ経過は良好です。
 ご支援くださった皆様とドナーとなられた方のお陰で、なっちゃんは新たな命を頂くことができました。ドナーの方のご冥福をお祈りするとともに、ドナーの方のご家族に心から感謝したいと思います。
 カナダになっちゃんが渡って以来半年になりますが、このご報告ができることがうれしくてなりません。本当にどうもありがとうございました。
 手術は終了したばかりで、合併症や拒絶反応についてはまだこれからのことですし、リハビリもあります。まだ帰国のご報告は先になりそうですが、なっちゃんは必ず乗り越えて、元気に帰って来てくれると信じています。今後ともなっちゃんへの変わらぬご支援、何卒よろしくお願い申し上げます。
 経過の報告はホームページを通じてさせていただきます。
 今後ともよろしくお願い申し上げます。
 皆様のご多幸とご健勝をお祈り申し上げます。
 (なっちゃんを救う会代表・菊田桂子)


新成人22隊員祝う
立川駐屯地
-

 立川駐屯地(司令・伊東伸基1陸佐)は1月14日、近隣防衛協会会長、立川市議会議員等の臨席の下、駐屯地の全隊員が参加して成人式を迎えた22名の隊員を祝った。
 駐屯地司令から「社会に貢献する大人になるとともに、いかなる任務も遂行し得る強靱な戦士となることを目指せ」と、祝辞の中で要望された新成人は、社会人として、また自衛官としての責任を改めて認識し、大成への決意を新たにした。
 駐屯地では成人式に先立ち、激励行事が実施された。来賓、駐屯部隊隊員の見守る中、飛行場地区までハイポートで移動した新成人たちは、UH—1×3機に搭乗してグラウンドに降着、仮想敵を果敢に攻撃して目標を奪取した。また、祝賀会食では、スクリーンに映し出された幼少時の写真を背に、新成人たちが決意表明を行うなど、思い出に残る成人式となった。


ロンドン五輪 期待の星
ピストル射撃
埼玉地本所属予備自衛官
森 ゆかり 予備2陸曹(北海道出身、1979年生まれ)
史上初の予備自衛官オリンピック選手
〈シリーズ13〉
-

 昨年8月、ドイツ、ミュンヘンで開催されていた第50回国際射撃競技連盟世界選手権において埼玉地方協力本部予備2陸曹森ゆかり選手(旧姓小西、元自衛隊体育学校所属)がロンドンオリンピック代表枠を獲得した。
 森は自衛隊に2陸士として入隊し、最初の基本射撃で高得点を記録したのがきっかけで、入隊3年後に自衛隊体育学校から声が掛り、ピストル競技を始めることになる。その後、順調に競技生活を続けアテネオリンピックに出場。日本のトップ選手として活躍する。ところが、平成21年3月に同僚の森栄太3空曹との結婚を機に退職。主婦業に専念することとなった。結婚を中途半端にしたくないという思いがあったからだ。この選択はもちろん間違いではない。だが、主婦業の合間で射撃は続けた。自衛隊時代に比べ殆ど練習はできなかったが、ナショナルチームの合宿等の場を活用してトレーニングを続け、全日本選手権で優勝し、ナショナルチームに選考される。この間、森を主として指導したのは、JOC専任コーチ、エミール・ドゥシャノフ氏。エミールはメンタルの部分で大きな影響を与えた。気持ちが沈んだとき、森を励まし、競技に集中できるように気を配ったという。
 世界選手権25mスピードピストル競技では精密射291点、そして得意の速射も崩すことなく293点、合計584点4位で決勝進出が決定。だが、決勝で使われた的の色と照星の色が同じに見え、見いだしができない。森は焦った。だが、課題となっていた手首の動きに注意を集中し思いきって射った。結果は203・0点、合計787・0点4位入賞、オリンピック出場枠を獲得。日本人選手でオリンピック代表の座を獲得したのは全てのオリンピック競技種目で森が2人目の快挙だった。
 だが、これにはもう1つの意味があった。予備自衛官としてオリンピック代表の座を獲得したのは、自衛隊創隊以来初である。森は22年4月から予備自衛官に任官し、年度当初の4月には予備自衛官招集訓練5日間出頭を完了している。森は予備自衛官としての訓練が楽しかったという。非常に溌剌と訓練し200m基本射撃では48点を記録する。森はオリンピックに行くために自衛隊に入ったのではなく、一般の隊員として入隊。自衛隊に入隊したからこそ射撃と出会え、オリンピックに出場した。予備自衛官の訓練が森の原点を思い出させた。森は予備自衛官となったことで改めて自衛隊とのつながりを再確認し、予備自衛官でいることで自衛隊とつながりを持てる。この気持ちは、自衛隊で競技を始めた森にとっては大きかった。その後、広州アジア大会でも自身初となる銀メダルを獲得、改めて強さを示した。森は自衛隊に恩返しする意味でも頑張りたいと語る。史上初の予備自衛官オリンピック選手森ゆかり予備2曹を応援したい。
 (体校渉外広報室・佐野伸寿3陸佐)


NEXT →
(ヘルプ)
Copyright (C) 2001-2014 Boueihome Shinbun Inc