岡山県玉野市在住の小坂田奉文氏は65歳。愛媛大学大学院工学研究課を修了し三井造船(株)に就職、玉野事業所造船設計部に配属された。海自艦艇を建造する同事業所での長年の勤務が自衛隊との関わりを深めた。現在は、海自の防火防水訓練設備の維持メンテナンス等を業務とするエム・イー・エス特機(株)の常勤顧問を務め、同社への自衛官OBの採用、自衛隊の各種式典・行事への参加等を通じて自衛隊を応援し続けている。(奥田壮太郎)
—自衛隊を応援するようになったきっかけや経緯をお聞かせください。
小坂田氏 私の父は明治生まれで国防に対する高い意識を持った人でした。私は終戦直前の昭和20年6月生まれですが、奉文の名は父が「マレーの虎」山下奉文陸軍大将に因んでつけさせて頂いたものです。父には防衛大学校の受験を強く勧められた時期もありました。父親との会話の中では、度々、自衛隊や国防の話題が出てきました。明治生まれの日本人の考え方の一部を知ることが出来たのは、年齢の離れた父を持ったからこそで、今でも大切にしているものの一つです。
玉野事業所では艦艇の機関室に関する設計業務に携わっていました。海上公試で実際に乗艦する機会があり、そうした場等で国防における艦艇の役割を理解するとともに、真摯な姿勢で公務に取り組む乗員の皆様に接するうち、次第に「自衛隊を積極的に応援したい」という気持ちが強くなっていきました。
数多くの自衛官の皆様にお会いしていつも感じることですが、お一人お一人から、与えられた重大な務めを責任をもって果さなければならないという信念のもとに行動されることが伝わってきて、尊敬と感謝の気持ちでいっぱいです。
—自衛隊に関する一番の思い出は。
小坂田氏 昭和56年に玉野事業所で建造・引渡しされた護衛艦「いしかり」は、私も造船設計部の1人として誕生に関わった思い入れの深い船でした。「いしかり」の最終航海では、ぜひとも故郷の玉野市に寄港して頂きたいと考え、事業所長及び玉野市長に働きかけて実現しました。
市長の依頼状を携え玉野市議会議長と共に海上自衛隊大湊地方総監部を訪問し松岡貞義海将にお願いしたところ、快諾して頂きました。平成19年8月の入港時に開催された艦長以下の乗員の皆様を囲んでの懇談の夕べとともに忘れられない光景として今も胸に焼き付いています。
—自衛隊に対するメッセージを。
小坂田氏 現在の日本は、特に政治と教育の分野で極めて憂慮すべき状況です。これらの分野を中心に、広く自衛隊OBの方々に活躍して頂くことを、今以上に積極的に推進すべきであると思い続けています。一方、民間企業で活躍している方や、素晴らしい実績を持つ退職者の中から、自衛隊のさらなる発展に寄与される人物を自衛隊組織に加えられることも推進してくださればと希望します。 |