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スペーサー
自衛隊ニュース   1107号 (2023年9月15日発行)
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ノーサイド
北原巖男
「裏切者は誰だったのか」と「福田村事件」

 理不尽なロシアのウクライナ侵略が続いています。益々激しさを増す両国軍による戦闘の模様や破壊された建物、悲しみに暮れる被災者の皆さんの姿が、今日もテレビ報道を通じて迫って参ります。日本から遥か彼方とはいえ、私たちにとっても、決してテレビの中の世界に留まる戦争ではありません。
 こうした中、いろいろな情報が盛んに飛び交っています。それは真実なのか、フェイクか、その背景には何があるのか?
 政府関係機関にて情報分野に携わる皆さん等は、各種情報の収集・分析・評価に取り組み、その成果を速やかに政策決定権者等に伝え、彼らの誤り無き諸施策の立案や決定、オペレーションに反映すべく努めて来ていることと思います。
 更にロシアとウクライナの間では、この瞬間も、激しい、命懸けの、まず公になることは無いであろう諜報活動も行われているに違いありません。もちろん、アメリカをはじめとする様々な国々でも活発に展開されていることでしょう。
 そんなことを考えているとき、思わず手に取ってみたくなった新刊書に出会いました。ニューヨーク・タイムズ紙記者ハワード・プラム著「裏切者は誰だったのか」(訳・芝瑞紀、高岡正人=9月5日原書房刊=ちなみに訳者の高岡正人さんは、かつて防衛庁運用局訓練課長、イラク・モンゴル・クウェート大使を務められた中央大学特任教授)
 本の帯には、 "それは本当に「真実」か" "「二重スパイ事件」の闇を追ったベストセラー登場" といった言葉も。本屋さんのノンフィクションコーナーに横積みされ、サブタイトルは、C "IA対KGB諜報戦の闇" 。原題は、「THE SPY WHO KNEW TOO MUCH」。
  "モグラはモグラで捕まえる" との決意で組織の中枢に潜んでいる "モグラ" を執拗に追い続ける元CIA職員ピート・バグレーの苦闘を通じて、組織に警鐘を鳴らす貴重な啓蒙の著でもあると思いました。本書を読み進めて行く過程で、僕の視線が止まったのは次のような言葉。
 「諜報の世界は「鏡の荒野」だ。目に見えるものだけで判断してはならない」「諜報機関に潜入した工作員が捕まるきっかけは全て同じだった。敵がこちら側に潜入させた工作員から情報が漏れたせいだ」「まずはあらゆる事実関係を集めろ、整理するのはそのあとでいい」「人生に偶然は少ない。諜報の仕事においてはなおさらだ」「見て見ぬふりだけはするな。・・・嫌なにおい、不快なにおいがしたときに鼻をつまむな。そのにおいを追うんだ」
 情報に関連して、先日、映画「福田村事件」(森達也監督作品)を観ました。本年9月1日が、1923年9月1日に発生した関東大震災から100年目の節目を迎えたタイミングで製作され、現在公開中。あくまでも、「史実に即した映画ではなく、史実からインスパイアされて創作された映画」(森達也監督談)です。
 関東大震災の5日後、香川県から千葉県東葛飾郡福田村(現在の野田市)へやって来た薬売りの行商の皆さんは、讃岐弁で話していたことから朝鮮の人たちだと疑われ、一行15人のうち親方を含む9名が村の自警団に殺された史実。震災直後、朝鮮の人たちが暴動を起こしたり、井戸に毒をいれたり、家に火を点けているといったデマを信じ、デマにあおられた村人たちが、ひたすら自分たちの村を守り家族を守らなければならないとの思いで、「集団」で起こしてしまった惨劇です。
 あれから100年。作為的かつ無責任な誹謗中傷等の情報発信に耐えきれず自ら命を絶つ人もいます。何らかの意図をもって本物としか思えないような精巧に作成したフェイク画像も多々拡散されています。
 改めて、常日頃からデマやフェイク情報等に惑わされない抗堪性や真実を見極める力の涵養、無責任な内容の拡散に対する警戒・抑止に努めて行かなければなりません。
 また、近年その傾向が強まってきているのではないかと危惧するのが、いわゆる「同調圧力」です。決して実質的に何も言えない社会であってはなりません。「集団化」によって、思わぬ行動に走りかねない可能性等についても、過去の歴史から謙虚に学んで参りましょう。過ちを繰り返さないように努め、次代を担う若者達を育て、繋げて行かなければなりません。
 ところで、本年は、9月18日が敬老の日。
 自衛隊員の皆さん・家族の皆さん、本紙読者の皆さんの身近には、ご両親や祖父母をはじめ高齢者の方々がおられることと思います。「年寄り扱いするな」と言われるかもしれませんが、まだ皆さんのお気持ちを伝えていないようでしたら、今です!
 (今日現在、僕のところには何の連絡もありません。こちらから電話するのも癪ですので、断固致しません。)

北原 巖男(きたはらいわお) 元防衛施設庁長官。元東ティモール大使。現日本東ティモール協会会長。(公社)隊友会理事


雪月花
 サッカーの女子ワールドカップはスペインがイングランドに1-0で勝ち初優勝で幕を閉じた。日本のなでしこジャパンは優勝したスペインに予選リーグで4-0で大勝しており2011年以来2度目の優勝も視野に入ったと日本中大騒ぎだった。選手からもその気になったかのようなコメントが聞かれた。迎えたスウェーデン戦は1-2で惜敗。この試合、試合前のセレモニーで完全に差がついていた。国歌演奏ではスウェーデンの選手は自国の国歌が流れると口を大きく開けて歌っている。続いて日本国歌が流れたが歌っているなでしこは一人もいない。口さえも動かしていない。愛国心の違いなどと大上段に構えるつもりはないが、両選手の意気込みの違いがはっきりしていた。残念ながらこのようなシーンは国際試合では決して珍しいものではない。
 パリオリンピックを1年後にして、国際試合が続くが日本選手も堂々と国歌を歌って欲しい。筆者のひ孫小6と小3に聞いてみたが学校で君が代を習ったことは一度もないと言う。日章旗が日本の国旗で君が代が日本の国歌であると1999年に法制化されているのだから学校で教えてもいいのではないか。筆者が小学校の頃、小さい石が大きな岩になるわけがないと先生に聞かされながらもきちんと教えてもらった。アメリカの国歌「星条旗よ永遠なれ」は砲弾が赤く光を放ち宙で炸裂すると戦争描写がいっぱい、イギリス国歌「ゴッド・セイブ・ザ・キング」は国王陛下万歳、女王陛下万歳が続く。日本の国歌は優しい曲と歌詞だが、武道館の音楽まつりの自衛隊歌姫の君が代はいつ聞いても胸が熱くなる。

読史随感
神田淳
<第133回>

あらためて知る十七条憲法のすばらしさ

 聖徳太子が昔「十七条憲法」を定め、それは第一条「和を以て貴しとし、」で始まることは日本人なら誰でも知っているだろう。しかし、十七条憲法はいわゆる近代憲法ではないため、憲法(=国の基本法)とは見なせないと考えるのが一般的で、学校でもそのように教えているだろう。しかし、十七条憲法は立派な憲法だと私は思う。
 そもそも憲法とは何か。7世紀(飛鳥時代)に聖徳太子が国の基本的なあり方として十七条憲法を定めた。19世紀になって明治の日本人が欧米先進国にはConstitutionがあることを知ったとき、昔聖徳太子が定めた十七条憲法がこれに当たると考え、Constitutionを憲法と呼んだのである。Constitutionはもともと構造、体質などを意味し、国の体質すなわち国のあり方を定める基本法の意味となる。
 近代、世界をリードしてきたイギリスには、いわゆる近代的な「成文憲法」はない。それでイギリスには憲法がないかというとそんなとはない。13世紀に成立した『マグナ・カルタ』、17世紀に成立した『権利の章典』など歴史的に成立した国のあり方にかかわる重要な法典類をもってConstitutionとしている(これを「不成文憲法」という)。
 憲法は近代的に成文化されているかどうかではなく、国のあり方に関する重要事項が定められ、それが生きていることを本質と考えるとき、十七条憲法は立派な日本の憲法だと思う。十七条憲法にも、立国の基本原理、為政の基本精神、独裁でなく衆議によって決めること、行政、裁判、徴税、官吏のあり方など、国家の基本に関することが明確に定められている。そして当時の人々も国家の制法がこれより始まったという認識だった。
 十七条憲法には国のあり方として最初に「和」を置いている。和を貴しとするのが日本の国のありかただと定めた憲法の精神は、時代を超えて生きてきたのではなかろうか。和は和風、和歌、和服、和魂、和漢、和洋など、日本そのものを意味する言葉になっている。日本は和の国であり、和を日本のアイデンティティと考える日本人は多いのではなかろうか。
 聖徳太子が十七条憲法で実現しようと思い描いたのは仏国浄土の国であった。国家の人的組織の君、臣、民は仏国浄土の仏、菩薩、衆生に対応する。君(天皇)は仏であり、臣(官吏、群卿百寮)は菩薩であり、民(国民)は衆生である。天皇は仏として民の平安を願い、官吏は菩薩として民の安寧と幸福の実現に努める国家。そのため、十七条憲法は官吏が菩薩行(民に奉仕し、民を慈しみ、利他行を行う)に励むことを求め、官吏に対する訓誡を多く定めている。
 十七条憲法がそのまま現代日本の憲法とはならないことは確かである。しかし十七条憲法はなお現代に生きる、また生かすべき国家のあり方を含んでいると思う。その重要なものは、和の国家理念と、独裁を禁じ、衆議によって決めていくあり方と、そして官吏が民に奉仕し、利他行を行い、菩薩行に励むあり方である。
 イギリスがマグナ・カルタを尊重するように、日本は十七条憲法を尊重したらよい。十七条憲法は達意の漢文で書かれたすばらしい古典である。孔子の『論語』を日本でも教えるように、聖徳太子の『十七条憲法』を日本の古典として中学高校の国語漢文で教えたらよいと常々思っている。
(令和5年9月15日)

神田 淳(かんだすなお)
 元高知工科大学客員教授。
 著作に『すばらしい昔の日本人』(文芸社)、『持続可能文明の創造』(エネルギーフォーラム社)、『美しい日本の倫理』などがある。


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