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国連南スーダンミッション参加を終えて
第33普通科連隊(久居) 1陸尉 真崎祐太朗 |
私が昨年の12月初旬から本年6月中旬までの約7か月間、日本隊9次要員として参加した国連南スーダンミッション(UNMISS)は、本邦から約11,000Km離れたアフリカ中央部に位置する南スーダン共和国で実施されているミッションであり、その環境は日本とは大きく違う非常に過酷なものでした。ジリジリと肌に突き刺さるような灼熱の太陽光、目や鼻、耳に纏わりつくマラム(赤土)をまとった熱風、一度降り始めるとバケツを返したように降り続け、道路を削り沼地を作る豪雨等、施設活動を行う上で、その気候は乗り越えるべき大きな困難の一つとして我々の前に立ちはだかりました。
困難はそれだけではありません。UNMISSには多くの国々から軍人・文民が参加しており、共通語として英語を使用するため、そもそもコミュニケーションを図ること自体が困難の一つでした。私は通訳幹部としてこのミッションに参加したため、各種の会議・行事に参加し、「調整等で大活躍!!」と、言いたいところですが、実際には慣れない国連用語、施設用語等に四苦八苦する日々が続きました。しかし、有り難いことに現地での上司・同僚の縁に恵まれ、多くの方々に助けていただき、また国内では連隊家族支援室等による継続的なサポート、家族の理解等のおかげで、何とか任務を完遂し、無事に帰国することができました。帰国後に休暇を頂き、家族との絆を一層深めることができたいま思うことは、関わったすべての人々、そして陰で支えてくれた人々への感謝です。皆さんのおかげで任務を完遂し、得られた知識・経験を部隊勤務に活かし、少しでも恩返しができるように、これからの勤務に励みたいと思います。 |
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陸曹候補生試験に合格
第33普通科連隊(久居) 陸士長 石原英里 |
私は厳しい訓練を乗り越え、今回やっと陸曹候補生の試験に合格する事が出来ました。今回こうして試験に合格する事が出来たのは自分だけの力だけではありません。連休中だったにもかかわらず私一人のための訓練に同じ小隊の方々だけではなく、中隊からも多くの支援をいただきました。たくさんの方々からの応援があって、今回陸曹候補生試験に合格する事が出来ました。試験に合格はしましたがここがゴールではなく、また新たなスタート地点に立つ事ができただけなので、応援してくださった方々の期待に応えられるように、ここで気を抜くことなく前に進んでいきたいと思います。
1月からは、履修前教育が始まります。体力面には、まだまだ自分に自信がなく、他の陸曹候補生に遅れをとらないよう、今から少しずつ体力を伸ばしていき、3等陸曹となって中隊に戻る際には、中隊の即戦力となれるよう努力していきます。 |
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先任上級曹長としての「3つの目」
東北方面情報処理隊(仙台) 先任上級曹長 佐藤一彦 |
私は、平成28年8月1日付で東北方面情報処理隊先任上級曹長を拝命致しました。
上番するにあたり、自分なりに業務する上での着眼点を、この紙面をお借りして述べたいと思います。既に、ご承知ではあると思いますが、最先任上級曹長の役割は、指揮官に直轄的に運用される補佐者として、指揮官へ准曹士に係る事を意見提出及び情報提供する「下意上達」、准曹士に対する指揮官企図を徹底する「上意下達」准曹士の「後輩育成」、この「下意上達・上意下達・後輩育成」の三つの役割を基本とし、我が、東北方面情報処理隊の隊員が、円滑に情報処理業務を実施出来るよう、心血を傾注し尽力する所存であります。そのためには、先任上級曹長として三つの目を持ち勤務したいと思っております。
一つ目の目は、何事にも現状把握する際、目先の事に対し一点を凝視する。事無く、大局を俯瞰し全体を見渡せる「鳥の目」を。
二つ目の目は、鳥の目では見られない、地にしっかりと足を着け、見過ごされがちな、どんな些細な事も見逃さない「虫の目」を。
三つ目の目は、目には見えない様々な変化や兆候を察知する「魚の目」です。
この三つの目で、隊員がより一層業務に邁進出来るよう、先任上級曹長として隊員と共に歩んで行きたいと思っております。 |
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新隊員教育の助教として
第105施設直接支援大隊(仙台) 3陸曹 大内聡 |
私は、今回東北方面後方支援隊教育隊で実施された新隊員後期教育(武器科)の助教として臨時勤務しました。
私自身、教育を受けたことは多々ありましたが、教育する側に立ち隊員に教えた経験はありませんでした。更には新隊員に対する教育ということもあり、しっかりと教えることができるのか不安でありました。しかし、同じ臨時勤務の助教となった方々の力添えを得て、無事に新隊員を育て、各配属先の部隊に送りだすことができました。
この新隊員後期教育を通じて私自身学んだことが多くありました。その中で特に学ぶことができたのは、人に教えることの難しさでした。それは、何も知らない新隊員に対して、限られた時間の中でたくさんのことを教え、覚えてもらわなくてはならないことです。そこで、私は教育を行う上で二つの事に着意しました。
一つ目は、興味を引かせることです。新隊員に限らず、人は自身に興味の無い話はあまり聞かない傾向にあります。私は、教育課目に関係のあることに限定した興味を持ちそうな内容を取り入れ、新隊員に耳を傾けさせようとしました。
二つ目は、新隊員に教育する内容以上に自分自身が勉強することです。それは、教育を実施する上で新隊員から出た質問に対して円滑に答えられるようにするためと、前項で触れた興味を持つ内容を更に深くして新隊員の集中を切れさせないようにするためです。
今回の教育に参加し、今までは被教育者の立場でしか見ることができなかった私が、教育者となり教育する難しさを学ぶことができ、良い経験となりました。 |
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普通科中隊の陣地防御研修
第37普通科連隊(信田山) 2陸曹 大西忠宏 |
10月4日、東富士演習場にて普通科中隊の陣地防御を研修した。全般的には、すべての陣地に説明板等により、概況が説明されており、軽易に全体像がつかめ今後の部隊での防衛戦闘の参考になった。特に私が所属している衛生小隊の連隊収容所の展示が参考になった。普段の訓練や検閲等においては全般を通して期間が決められており、その期間だけ耐えうる陣地を構築することが多い。戦闘には直接関係のない防御陣地内の排水の処置がなされていた所や偽装に関してもしっかりと根付をするなど、長期間を想定した防御陣地になっていたところが参考になった。
特に印象に残った事項は、衛生小隊の連隊収容所の各種施設の配置が印象に残った。研修したのち連隊収容所は敵方を意識しつつ傷病者の搬送時の動線を考慮した配置になっており、戦闘で発生した傷病者を収容所に収容し治療した師団衛生隊に引き渡す一連の動線が、地形をうまく使って混在しないように配置されており今後の参考になった。中でも、退避壕が治療施設と後送待機施設の中間に位置しており、戦闘時の傷病者の退避が両施設から最短距離で移動可能な点は今後の参考にしたい。
このたびは、このような研修の機会を設けていただきありがとうございます。 |
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通科中隊の陣地防御研修
第37普通科連隊(信田山) 2陸曹 三國谷孝輔 |
富士学校普通科部による普通科中隊の陣地防御を研修して、全般として、すべての陣地が敵方から発見できないように工夫されていた。植え込みを斜めにして上空から発見できないようにされているのはすばらしいと感じた。草を刈っていないので発見はされないが、射撃がしにくそうに感じた。穏・掩蔽か射撃かどちらかを重要視するかによって陣地も変化することをあらためて感じた。
特に印象に残った事項は、段列内の患者集合所が広く衛生的で速やかかつ正確に手当てと後送ができ、患者集合所で死亡することは無いと感じた。全陣地は敵方から見て全く分らない(陣地周辺の草等も含む)状態だったのはさすがだと感じた。
この度、大変いい陣地研修ができました。今後の訓練の参考にできればと思います。状況や何十パターンの敵の侵攻予想経路等は、幹部用に考えられている物だけあって自分には大変難しいものでした。しっかり理解できるよう学んでいきたいと思います。 |
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陸曹昇任後初の旅団訓練検閲
第13通信隊(海田市) 3陸曹 土井康暉 |
私は、今年の7月に3等陸曹に昇任し、陸曹として初めて旅団訓練検閲に臨みました。
準備の段階で、陸曹と陸士の違いを思い知らされました。今までは陸曹から指示された事と自分の事をしていれば良かったのですが、陸曹になると先ず装備品等の準備やじ後の行動など様々なことを他小隊等と調整する事から始まり、組員への作業指示、実行の監督、安全確認、報告など自分のことだけではなく周囲にも気を配りながら実施するのはとても容易な事ではありませでした。
そして、なんとか周りの人の助けもあって準備が完了。いざ状況開始となりましたが、陸曹として陸士の前で疲れた顔は見せられずまた、どのようにしたら体力を温存しつつ効率よく行動ができるかなど、陸士では考えていなかったことをたくさん考えさせられました。
また、検閲中の各種状況への対処や、無線通信系の障害対処など頭で考えるだけではなく、速やかに行動しなくてはならず、それに伴う責任はとてもおおきなものでした。陸曹の役割の重要性を改めて実感しました。しかしながら、それと同時に大きなやり甲斐も感じました。
まだまだ不慣れなことも多く失敗もあり、周りに迷惑をかけることもたくさんありますが、日々勉強し、立派な陸曹になれるようこれからも精進していきたいと思います。 |
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育隊を卒業して
第2高射特科団(飯塚) 2陸士 大庭里佳 (長崎地本投稿) |
私は4月から6月までの3ヶ月間、前期教育を相浦で受けました。入隊した当初は何もわからず、知らない人ばかりで不安しかありませんでした。入隊式当日、銃貸与式があり自衛官に一歩近づいた気がして嬉しかったです。そして、「銃の重さは命の重さ」という話を聞き、銃は人を守るための力と同時に、人に危害を与える力ももっており、責任の重大さを知りました。
その後、訓練も本格的に始まり、毎日がきつく辞めたくなることも何度もありました。特に戦闘訓練での長距離の匍匐前進はとてもきつく、訓練がある日は朝から憂鬱な気分でしたが、どうにかのり切りました。
7月からは後期教育に移り、職種は高射特科で飯塚駐屯地において、発射機についての勉強が始まりました。ここでは男子もいて少人数となり、前期教育とはまた違った楽しさがありました。他にも駐屯地の夏祭りで各中隊の出店があったり花火が上がったり、班長や同期の誕生日にはサプライズをしたりといい思い出ばかりに変わりました。
総合訓練では朝から夜まで訓練をし、夜は暗い中で発射機の操法動作を行いました。夜間は初めてで昼間より難しく、夜間でのライトの重要さを知りました。
前期・後期の教育を通じて、特に団体生活はとても大変で思うようにいかないこともたくさんありましたが、どんなに辛くても同期がいて声を掛け合い、助け合って乗り越えることができました。基幹要員の方に指導されることもたくさんあり、嫌になることもありましたが、細かいことまで徹底的に指導してくれるのは私達が卒業後、少しでも苦労しないで済むようにであって、感謝しないといけないと思いました。
卒業後もまだまだ不安なことはありますが、立派な自衛官になれるよう教育中に学んだことを活かし頑張っていきたいと思います。 |
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