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9年ぶり協同転地演習
〈陸自13旅団〉
広大な矢臼別演習場を有効に活用 |
陸上自衛隊第13旅団(旅団長・掛川壽一陸将補=海田市)は6月22日から7月20日までの間、中部方面隊が実施する協同転地演習(師団等)に人員約2000名、車両約850両、航空機約10機が参加した。
演習参加部隊は、陸上、海上及び航空の各種輸送手段を使い、部隊の所在する駐屯地から北海道までの約2000qの長距離を機動。機動した一部の部隊は、浜大樹揚陸訓練場において海上自衛隊輸送艦「しもきた」と協同し上陸訓練を行った。機動に引き続き各部隊は、道内の演習場において練成に励んだ。特に日本最大の矢臼別演習場では、旅団規模の作戦、第1次旅団訓練検閲、旅団総合戦闘射撃を実施し、旅団の練度向上を図った。(部隊長名は当時)
旅団訓練検閲は、平素の態勢から情勢が緊迫し、第3種非常勤務態勢発令により、防衛出動準備、各駐屯地から矢臼別演習場までの機動、集結地の占領、車両行進(夜間)、陣地攻撃についての一連の行動を評価した。
旅団検閲を受閲する第13特科隊(隊長・村上賢治1佐=日本原)、第13高射特科中隊(中隊長・竹下友也3佐=日本原)、第13特殊武器防護隊(隊長・安部昌勝3佐=海田市)及び第13音楽隊(隊長・今井裕樹1尉=海田市)は、第3種非常勤務態勢発令後、各駐屯地業務隊へ物品を移管するとともに弾薬を受領し24時間以内に出動態勢を整え、隊容検査を実施した。その後、それぞれの計画に基づき駐屯地を出発した受閲部隊は、あいば野(滋賀県)・千両(愛知)・日吉原(愛知)・多田野(福島)・大和(宮城)演習場等で宿営。秋田・八戸・仙台港から民間旅客船に乗船し北海道へ上陸した。
7月2日矢臼別演習場に到着した受閲部隊は、集結地を占領。7月3日夜間における車両行進により予定地域に推進し、陣地地域の安全化を図り占領した。
第13特科隊は、第46普通科連隊(隊長・松村朝生1陸佐=海田市)及び旅団に配属された第27普通科連隊(隊長・田中広明1陸佐=名寄)の陣地攻撃を迅速・正確に射撃支援した。また、大幅な射向変換の際、射撃指揮所は速やかに射撃諸元を算定し、戦砲隊に伝達。戦砲隊は、FHー70を大射向変換させ射撃を継続させた。
第13高射特科中隊は、敵の航空偵察及び航空攻撃を察知し、速やかに迎撃態勢を整え、敵航空機を撃墜した。
第13特殊武器防護隊は、化学攻撃の情報を得るや、速やかに化学攻撃対処の態勢を整え、汚染された地域に前進、汚染地域を特定し完全除染を行った。
第13音楽隊は、旅団指揮所の警備任務を遂行するとともに、集結地等において音楽演奏会を行い、隊員の士気高揚を図った。
また受閲部隊以外の部隊は、広大な矢臼別演習場及び然別演習場を使用し、様々な訓練を行い練度の向上を図った。
特に旅団訓練検閲終盤におけるヘリボン攻撃は、第1ヘリ団と第46普通科連隊が協同。6機のCHー47を使用し、敵後方地域にヘリボン攻撃を行った。6機同時に進入、経験したことのないダウンウォッシュの中、第46普通科連隊の隊員は、着陸後速やかに展開するとともに、搭載された車両を卸下、態勢を整え敵後方から攻撃した。 |
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17普連 初揚陸成功 |
7月8日、大樹町にある浜大樹揚陸訓練場において揚陸訓練を実施した。担任部隊は、第17普通科連隊(担任官・連隊長・山口真司1佐)。
本訓練は、海上機動に引き続き、増強普通科中隊による揚陸を実施して海上自衛隊及び陸上自衛隊航空部隊と協同連携及び揚陸要領の練度向上を図ることを目的としている。
第17普通科連隊は7月3日、海上自衛隊第1輸送隊輸送艦「しもきた」に乗艦、車両等を搭載した。
訓練は当初、偵察要員及び第1小隊を空中機動により上陸させ、揚陸地域の安全を確保。その後、輸送艦「しもきた」第1エアクッション艇隊のLCACにより隊員及び戦車を含む車両を次々に揚陸させた。 |
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雪月花 |
名古屋に住む大学の時の同級生が東京に行くから付き合えの電話があり何事かと待っていると何んと寄席の新宿末広亭に行くという。言われてみると彼とは学生時代にはよく落語を聞きに行ったがここ50年行っていない。新宿3丁目裏通りの町並みは当時のまま、末広亭も昭和21年に建てられたものが周辺に溶け込んでいる。バブルの頃には一坪億単位で買収の話もあったそうだが席亭(せきてい)の気概で無事な姿が見られる。内部も昔のまま、周囲の板張りも天井も張り替えた様子はない、桟敷もきしむ音がするがまだまだ大丈夫。あの当時は場内は立ち見が当たり前、押し合いのぎゅうぎゅう詰めだった、今日はいす席も桟敷にも空席があるが若いお客や昔からのファンらしき人で寄席の雰囲気は100%だ。若手の後に三遊亭金馬さんが出てきたのにはびっくりした、プログラムにも名前は出ていたがまさか小金馬さんの名前で出ていたあの人とは思わなかったのだから。ご本人もにやにやしながら「まだやっているとは思わなかったでしょう、75年やっていますよ」と高座から客席をみまわしていた。演目は「親子酒」、いろんな人のものや小金馬さん時代のものを何回も聞いたが味わいが違う。昔の賑やかにしゃべるのとは違い年季の所為かじっくり聞かせてくれた。大御所の風格が漂っているが計算してみると90歳に届いているのではないか。日本の話芸はいつまでも残しておきたい。 |
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