防衛ホーム新聞社・自衛隊ニュース
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自衛隊ニュース   2011年11月15日号
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一川大臣が在日米軍司令官に感謝状
東日本大震災「トモダチ作戦」称える

 平成23年度自衛隊記念日レセプションが10月27日、一川保夫防衛大臣をはじめ政務三役、防衛省・自衛隊の高級幹部、東日本大震災で災害派遣活動に従事した隊員、衆参国会議員、各国駐日大使・武官、在日米軍、協力団体・地方公共団体の関係者ら約600人を迎えて、グランドヒル市ヶ谷で開催された。
 一川防衛大臣は挨拶の中で東日本大震災における統合任務部隊隊員の労をねぎらったあと、在日米軍司令官のバートン・M・フィールド空軍中将に対して、東日本大震災被災者のために「トモダチ作戦(捜索救難、物資輸送、瓦礫除去、原子力発電所事故対処などの復興支援活動)」を展開してくれたことを称え、感謝状を贈った。
 この日の出席者の中には、被災地で救援活動を共にした日米関係者もおり、再会を喜び合うとともに日米の絆を一層強めていた。


官庁ソフトテニス大会
防衛省が上位独占
 防衛省ソフトテニス部は10月15日、共済組合狛江スポーツセンターで実施された平成23年度『第55回官庁ソフトテニス団体戦』(主催・官庁庭球連盟)に参加した。
 今年の官庁団体戦は、防衛省3チーム、経済産業省2チームと文部科学省の合計6チームが参加した。各チームは一般2ペアと45歳以上の壮年1ペアの3ペア6名で編成され、各省庁の関係・協力者も参加可能となった。防衛省チームの一般は防衛大学校学生6ペア12名、壮年は自衛官3名、協力者3名の総勢18名の強力な編成となった。
 試合は、参加全6チームの総当りのリーグ戦で争われ、1戦目から若さと練習量で優れる防大生が他省庁の一般選手を圧倒すると、刺激された壮年も大いに健闘し、序盤戦において昨年度優勝の経産省Aチームに、防衛省のA、B、C全チームは競り勝つとともに、他のチームにも勝利して、優勝の行方は防衛省チームに絞られることになった。
 各試合とも手に汗握る熱戦を繰り広げた結果、防衛省が優勝、準優勝、3位の上位を独占するとともに、過去10年の戦績が、防衛省と経産省が2勝で並び他省庁が各1勝のところ、3勝となり、他省庁から防衛省が一歩リードした形になった。
 防衛省テニス部長の磯口1佐は「今年は選手権個人戦と団体戦の上位独占を果たした。官庁選手権の歴史からまだまだ他の省庁と肩を並べただけ、今後皆で練習して防衛省の黄金時代を築きたいものです」また、防大生には、「春季関東リーグを優勝昇部した勢いとチームワークがあり、他省庁の若手選手を圧倒した。他の大学に比して部外大会への参加の機会が制限されるが、意欲的に試合に参加し、多くの経験を積み、今後チャンスを活かして更に昇格を果たして欲しい」とコメントした。
 来年以降もさらに活躍できるように、防衛省は毎月2回、第2土曜日は目黒、第4土曜日は朝霞で午後から練習している。
 問い合わせは、通信団福山1曹(8—6—42048)まで。

古川3曹、竹仲士長が人命救助
迅速に心臓マッサージ施す
33普連

 第33普通科連隊第4中隊の古川遼3陸曹と竹仲豊陸士長は9月15日、久居駐屯地近くにある飲食店で食事していたところ、店内で60歳代の男性が突然倒れた。その姿を見かけた2名が速やかに駆けつけたが脈がなく、心肺停止、呼吸なしの状態を確認した。すぐに心臓マッサージを始め、救急車が到着するまで途切れることなく行った。適切な初期対処により、その男性は一命をとりとめ、安定した状態となった。
 翌日、男性の家族が是非二人に直接お礼を言いたいということで久居駐屯地を訪れた。古川3曹は不在だったが、代表して竹仲士長が対応した。男性の家族は「本当にありがとうございました。言葉で上手く表現できませんが、感謝しています」と涙ぐんで、お礼の言葉を述べた。竹仲士長は「日頃から救急法、心肺蘇生法などの訓練をしているので、その成果が出ました」と述べるとともに、「こちらこそ、わざわざお礼に来てもらいありがとうございます。その後のご容態はいかがですか?」と、男性のことを気遣っていた。


真田山陸軍墓地で
厳粛に慰霊祭

 東京の千鳥が淵戦没者墓苑で秋季慰霊祭が行われた10月18日、大阪の天王寺区にある真田山旧陸軍墓地では財団法人・真田山陸軍墓地維持会(理事長・吉川秀隆氏)主催の慰霊祭がとり行われた。
 真田山陸軍墓地は明治4年に設置された日本で最も古い陸軍墓地で、5千基以上の墓石と4万柱以上の遺骨を納める納骨堂が現存し、西南戦争をはじめ日清、日露戦争などの国難に殉じた英霊を埋葬している陸軍墓地。
 戦前は陸軍省の管轄下にあったが、戦後陸・海軍省の廃止、連合国最高司令部の政府機関による旧軍墓地の維持管理の禁止を受け、昭和22年に発簡された大蔵、内務両次官通達「旧軍用墓地の維持管理は都道府県又は市町村の宗教団体、遺族会において行うものとし、祭祀は宗教団体、遺族会等において行うものとする。」により、当時の四天王寺住職であった田村徳海師をはじめとする有志が発起人となり、真田山陸軍墓地維持会の前身である財団法人大阪靖国霊場維持会が創設された。当時は連合国による占領統治下であり、英霊の慰霊もままならなかったが、その時代から慰霊の行事を実施し、昭和27年サンフランシスコ平和条約の発効により我が国の独立、主権回復後は、国難に殉じた英霊の慰霊、悠久の世界平和を祈願し毎年行われている。
 今年は秋晴れの下、前日にボランティアの女性により掃き清められ、花で飾られた墓石群の中、遺族や陸上自衛隊関係者が参列し、信太山駐屯地(大阪府)の第37普通科連隊隊員5名による慰霊の曲「国の鎮め」の吹奏に始まり、国難に殉じた英霊、東日本大震災の犠牲者のご冥福と一日も早い復興を願い参列者一同が黙とう、吉川理事長が英霊の御霊に対し心からの追悼と感謝の念を捧げるとともに悠久の平和の実現を誓い、次いで、大阪府知事及び大阪市長等からの追悼電報が披露され終了した。


ロンドン五輪 期待の星
シリーズ22
オリンピックへカウントダウン
晴れて五輪出場内定
ボクシング ウエルター級 鈴木康弘 2陸曹
(北海道出身、1987年生まれ)
体育学校

 9月22日〜10月8日までの間、アゼルバイジャン共和国バクー市でボクシング世界選手権が開催された。ボクシングの世界選手権は2年に1回行われるが、今年の大会は、来年のロンドンオリンピック出場権を懸けた大会となり、例年以上に多くの選手が集まり、試合も例年以上にレベルの高い大会となった。
 この大会で自衛隊体育学校から、新しいスターが誕生した。鈴木康弘2陸曹だ。鈴木は1回戦ガンビアのムハメッド・カマラと対戦、1ラウンドESC(レフリーストップコンテスト)勝ち。2回戦はイタリアのダニーロ・クレアチ。1ラウンドこそ、4対4のイーブンの展開であったが、2ラウンド8対4とリードをすると、第3ラウンドも7対3で制し、トータル19対11で完勝。ベスト16に勝ち残る。3回戦は、カザフスタンのセリック・サピエフ。この選手こそ、2007年世界選手権ライトウエルター級で銅メダルを獲得した川内将嗣(現自衛隊体育学校)を準決勝で破り、最後は優勝し世界王者となった人物。さらに北京五輪では銅メダル、09年の世界選手権ミラノ大会でも銅メダルとぶれない実力を発揮し続ける世界を代表する強豪選手だ。試合は、サピエフが試合開始から猛ラッシュをかけてきたが、鈴木も負けじと奮戦するが、1ラウンドは9対5、2ラウンドも7対3、3ラウンドも9対4と、トータル25対12と完敗する。これで五輪出場枠獲得が約束されるベスト8入りはなくなった。だが、五輪出場枠は10位以内の選手に与えられる。鈴木を倒したサピエフは実力通り、準々決勝ではアメリカのエロル・スペンスを、準決勝でもリトアニアのエギジュス・カヴァリアウスカスを破り、決勝で敗れたものの準優勝となり鈴木の10位が確定した。
 鈴木は平成22年に自衛隊体育学校に入隊し、それまで川内と同じライトウエルター級であったが、コーチのアドバイスによりウエルター級に階級を上げた。だが、その直後右腕に大怪我をして、練習もままならない状態が続いたが、ボクシングの練習ができない分しっかりとウエイトトレーニングを行い、肉体改造に成功。怪我が治った今年、昨年までとは別人のような選手になっていた。このウエルター級での実績がないまま、5月のインドネシアでのプレジデントカップに出場し、準優勝。この準優勝が評価され、世界選手権代表選考会に出場することができ、そのチャンスを見事優勝で飾り、世界選手権の切符を手に入れた。国内での実績がない中でオリンピック内定を獲得できたのは、実力プラス運も持った選手であることの証明。ボクシングは実力と運の二人三脚と言われる競技。鈴木に流れは来ている。鈴木に期待したい。
 (体校渉外広報室・佐野伸寿3陸佐)


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