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自衛隊ニュース   2011年9月1日号
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創隊50周年を祝う
特科教導隊
盛大に観閲行進、装備品展示、体験試乗、運動会など実施

 特科教導隊創隊50周年記念行事が6月19日、富士学校総合訓練場で実施された。
 記念式典には、歴代隊長、砲友会役員、富士教導団隷下部隊代表をはじめ隊員家族及び隊OBら多数が出席した。
 午前10時半、執行者の特科教導隊長(戸上義隆1陸佐)が、訓練場に整列した全隊員を巡閲したあと、式辞の中で創隊50周年の節目を祝すとともに、これまで部隊の良き伝統を築き、継承されてきたOBに感謝の意を示した。また、隊員に対し「特科教導隊員としての自信と誇りを持ち、全国特科部隊の模範たれ」を力強く要望した。次いで来賓祝辞、祝電披露などが順次行われた。
 引き続き、観閲行進が始まり、来賓、隊員家族、隊OBら多数が見守る中、観閲部隊指揮官(酒井栄副隊長)を先頭に人員196名、車両33両、火砲13門が、観閲官(戸上1佐)に対して逐次敬礼しながら威風堂々のパレードを繰り広げた。
 また、式典終了後には装備品展示や74式及び90式戦車、各種装輪車の体験試乗などが行われ、中でも特に戦車試乗が子供連れの家族に大人気だった。
 一方、記念式典に先立つ同5日には隊員家族らを招いての運動会や、同18日には祝賀懇親会が行われるなど、関係者一同で盛大に特科教導隊創隊50周年を祝った。


全国初の留守家族支援協定結ぶ
富士4個駐屯地と2市1町

 富士地区4個駐屯地と近隣2市1町(御殿場市・裾野市・小山町)の間で、「大規模災害時等の自衛隊派遣における留守家族支援に関する協定」の調印式が行われた。自治体と自衛隊による協定は、全国で初めて。
 この協定は、女性自衛官や共働き世帯の増加、核家族化など、現代社会の変化に対応し、被災地派遣の隊員が迅速に、かつ安心して災害派遣業務に就くことができるよう留守家族支援を行うもので、内容は(1)駐屯地内一時預かり所の開設について指導、助言する職員の派遣(2)可能な範囲での保育士の派遣(3)緊急時における市立・私立保育園などの情報提供、となっている。
 御殿場市との調印式で、若林市長は「今回の調印は、自衛隊員が日頃の任務を安心して推進し、3月11日発生した東日本大震災のような大規模災害に対して十二分に力を発揮してもらうために結ばれたもの。自衛隊を抱える自治体として真の共存共栄を目指して支援を行っていきたい」と話した。


災派隊員を労う
防衛協会防府支部
航空教育隊など訪問

 6月30日、山口県防衛協会防府支部の松下文二支部長ほか1名が東日本大震災の災害派遣部隊として活動している航空教育隊を激励するため防府南基地に来訪した。
 同支部は、防衛意識の普及を図るとともに自衛隊及び関係団体の健全な育成発展に協力することを目的に昭和39年に設立された山口県防衛協会の一支部。昨年の6月に設立され、3月3日には、防府南基地で研修を行うなど積極的な支部活動を展開している。
 航空教育隊司令・柏原敬子1空佐、同副司令・中村俊一1空佐との間で行われた懇談の中で松下支部長は、災害派遣活動の状況が掲載された最新の広報資料を目にし、東日本大震災の発生直後から人員を派遣し一丸となって精力的に災害派遣活動に当たっていることに敬意を表すとともに、部隊への激励品を贈呈した。=写真
 松下支部長らは、航空教育隊のほか、防府北基地の第12飛行教育団、陸自第13飛行隊へも激励のため訪れた。


日本国旗で出迎え
田形氏宅を地本長が訪問
島根地本
東日本大震災派遣隊員に激励品贈る

 島根地方協力本部長の森茂敏1陸佐(当時)は、松江市内在住の協力者で獣医師の「田形和敏氏宅」を訪問し、東日本大震災で山陰地区から派遣された災害派遣部隊の出雲駐屯地、米子駐屯地に対し、島根名産品等の激励品を届けてもらったことへのお礼と自衛隊の災害派遣活動状況の報告をした。
 田形氏は、当時災害派遣中の両部隊に対し、隊員の士気高揚と、無事任務遂行を祈願して、疲れた体には甘いものがよいだろうと、島根県隠岐にある秀月堂の饅頭を全隊員にいきわたるよう、計500個を災害派遣活動地域の福島県新地町やいわき市に送った。
 森本部長が、田形邸へお礼に訪問した際には、日本国旗を玄関に掲げ、本部長を迎え入れるとともに、活動報告による自衛隊の活動状況に「やはり最後は自衛隊が頼り、引き続き国の守りをしっかり頑張ってください!」と激励し、「自衛隊を更に支援協力していく」と力強く語った。


自衛隊サポーターズ
「感動の一瞬を追い求めて」 山中いづみさん
ブルーに携わる"人"に惹かれ

 和歌山県在住の山中いづみさんはブルーインパルスの大ファン。「感動を残したい」という動機で全くの初心者からカメラ撮影を始めて僅か数年後、「ブルーインパルス50周年記念フォトコンテスト」に入選、雑誌掲載を果たした。その時の撮影モチーフは笑顔のパイロット。戦闘機も魅力だが、パイロットやクルーなど、携わる人々に強く心惹かれるという。 
 —大のブルーインパルス・ファンになったきっかけを教えて下さい。
 山中 6年前に旅行会社のバスツアーで岐阜基地の航空祭に参加しました。戦闘機の爆音とアフターバーナーを初めて間近にした瞬間、「本物は違う!」と大感激しました。2008年の美保基地航空祭で、当時ブルーインパルスの村田将一3空佐に初めてサインをいただき、それからずっとブルーのファンで追いかけ続けています。08、09、10年と、年に6、7ヵ所の航空祭に足を運んでいます。
 航空祭ではいつも素晴らしい感動のひと時を味あわせていただき、大変感謝しています。その時に心揺さぶられた一瞬の「感動や興奮を残しておきたい!」という動機でカメラ撮影を始めました。最初はコンパクトカメラを使っていましたが満足できなくなり、今は一眼レフと望遠レンズを抱え各地を飛び回っています。
 自衛隊ファンになったきっかけが航空祭なので、今までに松島、静浜、浜松、岐阜、小松、芦屋、築城、新田原を訪れました。築城基地は通常訓練も外周から撮影に行きました。航空祭とは違う迫力があり、隊員の皆さんの機敏な訓練風景がカッコ良かったです。陸自のイベントは昨年の信太山駐屯地が初体験でした。戦車や装甲車が迫力満点でした。海自では、和歌山港でのイージス鑑「ちょうかい」、潜水艦救難艦「ちはや」の一般公開に参加させて頂きました。雄大な艦船の姿にとても感動しました。
 —一番思い出に残っている出来事は何でしょう。
 山中 昨年「ブルーインパルス50周年記念フォトコンテスト」に投稿した写真が雑誌に掲載されました。大ファンの安田勉3空佐の笑顔を撮影した写真でした。パイロット、クルーの皆さんの何気ない表情がとても魅力的なので、カメラを向けてそうしたカットが撮れた時は「ファンでいて良かったなあ」と思います。
 —最後にメッセージをお願いします。
 山中 東日本大震災で松島基地が被災した際、後日、基地へ栄養ドリンクとお菓子を送らせていただきました。ご自身が被災者してなお、救援活動に従事されている隊員の皆さんの姿をテレビで見て、「何かできないか」と思い、行動しました。普段から、職場の同僚や友人、知人へ自衛隊について話をしていますが、震災以降は機会が増えました。これからも、「自分に出来ることは何?」ということをテーマにしながら、自衛隊をずっと応援し続けます。〈シリーズ25〉


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