防衛ホーム新聞社・自衛隊ニュース
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自衛隊ニュース   2011年9月1日号
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1面 3面 4面 5面 6-7面(PDF) 10面 12面

寄せ書き
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ツバメ候補生入隊
第110教育大隊(善通寺)2陸佐 品川善邦

 第110教育大隊の玄関上部に設置している部隊銘板上にツバメが巣を作り(写真)、現在、かわいい「新隊員」たる3羽が、「基幹隊員」たる親鳥の食事教育により、元気にすくすくと育っています。看板の上にピンポイントで巣を作るなど、奇跡というべき出来事です。
 親鳥が巣の作成を開始したのが、我が大隊が担当した第4期一般陸曹候補生課程392名の修了式当日の6月29日。これは親ツバメが、我々の新隊員との別れの悲しみを理解し、「代わりに子どもを育てて」という意味で巣を作ってくれたのだと思っています。
 第1期ツバメ陸曹候補生の3羽は8月下旬には本課程を卒業して、後期課程ならぬ「成鳥」課程へと旅立つ予定です。今後も毎年この巣で卵を産み育ててもらいたいので、この巣を大隊のシンボルとして永久保存することにしました。

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着隊の感想と抱負
普通科教導連隊(滝ヶ原)2陸士 鈴木佑希

自衛隊に入隊して毎日とても充実した時間を過ごせています。前期教育では経験したことのない厳しさに初めは嫌になってしまうこともありましたが、親身になってくれる要員の方々に恵まれ3ヵ月を乗り越える事が出来ました。着隊した時も、周りは男性隊員ばかりで以前と全く違う環境に「これからどうなってしまうんだろう」と思いましたが、区隊長、班長達と面接をし、日が経つにつれて徐々に環境にも慣れていくことができました。覚えなければならないことは沢山ありますが、早くこの生活に慣れ効率の良い時間の使い方ができるようにしていきたいです。一般陸曹候補生として、「陸曹になる」ということを自覚し、要員の方々のようになれるよう、内面的な面で一層向上心を持ち生活していきたいです。

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広報を経験して
西部方面衛生隊(健軍)陸士長 橋本美緒(熊本地本投稿)

 私は、7月4日から約1ヵ月間、ハイスクールリクルータとして八代出張所に勤務させていただきました。昨年に引き続き今年も広報の仕事に関わることができ、今回は、高校説明会で自分の体験をお話しするというとても貴重な経験もさせていただきました。説明会では自己紹介から始まり、私がこの2年間で経験した事、学んだ事をお話ししました。初めての説明会では、緊張してしまって上手く話せませんでしたが、回数を重ねるうちに落ち着いて話せるようになり、高校生がこの説明会で何を求めて聞きにきているのか、そこから自分はどう伝えていけばいいのか、また、自分がここで高校生に伝えられる事は何かを、試行錯誤を繰り返しながら1ヵ月を過ごしました。この説明会の他にも、父兄会会員の方や受験生のお宅に直接訪問し、説明会の時とは違い、時間をかけて相手を知り、その相手に合った話をするという、より密接な関係を築き、募集につなげていくという経験もできました。
 この1ヵ月、学生や一般の方々と話をすることで、その方々の自衛隊に対する考えや、今の学生の現状を、ほんの一部かもしれませんが知ることができました。
 広報の仕事を、色んな角度から経験できたことは自分のためになることばかりで、自分の役目を果たしたのか不安ですが、原隊に帰っても、ここで学んだ事を活かして頑張っていきたいと思います。
 約1ヵ月間、本当にありがとうございました。

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辛い時こそカラ元気
第35普通科連隊(守山)2陸士 杉本誠二

 初めて守山駐屯地に来た時は不安でいっぱいでした。学生時代は生活面でダラダラとした日々を過ごしていたためです。不安に思うことはたくさんありました。
 弱い気持ちを打破するため、私が常に意識してきたことがあります。それは誰よりも「大きな声を出す」ということです。これは、厳しい訓練の最中や、分刻みで定められる細かい生活環境において、少しでも自分に喝を入れようと心掛けていたものです。自分が辛い時こそ仲間に声をかけ、仲間が辛い時には、みんなを盛り上げるためにも「声出し」が大切だと思います。
 有名な元プロレスラーの言葉にも、「元気があれば何でもできる!」という言葉がありますが、今の私には「元気」しかないと思っています。今は、お金も地位も名誉もありません。
 この元気を「武器」に、今後の新隊員特技課程においても辛い時こそ声を出して自分を、そして仲間全員を元気にできるように頑張っていきたいと思います。

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今津駐屯地を訪れて
野洲市 中塚幸一(滋賀地本投稿)

 朝8時、表で花の手入れをしている時に、友人が子どもを3人乗せて迎えに来てくれました。琵琶湖大橋を渡り161号線を今津へと向かう途中、時間が早いので道の駅でコーヒータイム。その後、今津駐屯地に到着しました。門で3人の方が丁寧に車を止める場所を教えてくれました。その時、幸いにも自動小銃を持った隊員さんの警衛の交代時で、しばし車中より交代儀式を見せていただき、身が引き締まる思いでした。
 説明ルームで駐屯地広報の方の説明を聞きました。わかりやすく、少しユーモラスで良かったです。周りを見ると女性の人が多く来られているのでびっくりしました。第3戦車大隊、第10戦車大隊の帽子が欲しくてたまりませんでしたが、売店にいろいろあるとのことで買うのをやめました。
 いよいよ本日のメインである戦車に乗せていただきます。スピードはあまり出ていないのにスピード感を感じ、肩のこりが治るほどの振動に、手すりにつかまって足をしっかりふんばりました。その後、もう一度戦車内に、車長の隊員さんの指示通り乗せていただき、せまくて窮屈で実戦の隊員さんは大変だなあとつくづく思いました。血の気の多い私は戦車の主砲の実弾を撃ってみたいと思いました。実弾でぶち抜いた厚い鉄板を見てびっくりしました。音の大きさも、20km以上離れた長浜市で聞こえるほどと伺い、驚きました。上に乗って指示をされる車長さんは寒い時はさらに大変だと思いました。
 昼食は少し麦の入った御飯、おかず、みそ汁、デザート、牛乳、梅干、ごまのふりかけ、美味しく満腹でした。その後、売店に行きました。欲しい物ばかりでしたが、帽子大好き人間の私は迷彩帽を買いました。
 駐屯地で出会った皆様方に深く感謝致します。時間があっという間に過ぎました。迷彩帽を被った私は、帰り道で多くの隊員さんに敬礼をしました。門の所で敬礼をしたら女性の隊員さんでした。嬉しかったです。
 心残りを感じながら今津駐屯地を後にし、草津地域募集事務所に立ち寄り、談笑。有意義な1日でした。

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今、僕にできること
第304施設隊(出雲)陸士長 窪 拓磨

 2011年6月6日、東日本大震災・災害派遣の約2ヵ月半の活動を終え、出雲駐屯地に帰隊いたしました。3月11日、日本では過去に例のない未曽有の大災害が発生、翌12日の夕方に被災地に向け出発し、集結地である岩手県遠野市の遠野運動公園へ移動しました。当時、私は後方支援業務に当たっており、「災害派遣以外でも、何か人の助けになれるようなことがしたい!」と考えるようになりました。
 岩手県に来てしばらくたって戦力回復で秋田県に足を運んだことがあり、秋田市内で街並みを散策していたら「血液が不足しています!献血に協力して下さい!」という張り紙があり、「1人でも命が助かれば」と考え、迷うことなく秋田市内の献血ルームへ行きました。献血ルームで看護士さんに話を聞いたら、採血した血液の一部は被災地に届けられるそうです。
 私が献血を積極的にするようになったのはある理由からでもあります。
 私の父は7年前に胃癌・肺癌の手術を受け胃と肺を半分切除し、7年が経過した現在でも手術後の後遺症が残っております。派遣後の休暇で実家に帰省し久々に父親の姿を見たとき「痩せたなあ」と感じました。
 手術や救命医療等で大量につかわれる輸血用血液製剤は大半を献血に頼っており、しかも人工では血液を作ることなどできません。世の中には病気や怪我で血液を必要としている方がおられることを認識し、「自分の身を削ってでも誰かのために役に立つことをしたい」と考えるようになり献血をするようになりました。
 献血とは身近なボランティアでもあり、人の助けになる社会貢献のひとつだと考えています。私自身、陰ながら人の助けになれること、社会に貢献できるようなこと、そして、毎年必ず数回行っている献血をこれからも継続していきたいです。それが「今、僕にできること」なのではないかと考えております。
 各都道府県の血液センターなどでは献血や血小板採取を随時受け付けているところもありますので、皆さんも「直接目には見えない命を繋ぐリレー」に参加されては如何でしょうか?

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基地通信隊について
第318基地通信中隊八尾派遣隊 1陸曹 松田喜美

 八尾基通派遣隊は、「常続不断」の信念のもと、隊員1人1人が持ち場を守り、即応性の維持・向上、特に障害対処能力の向上を図るべく派遣隊員一丸となって業務・訓練に邁進しております。また、恒常的に、電報の送受信、交換業務、電話機の設置、回線の保守等による基地通信組織の維持運営をしております。
 基地通信隊の人員は、常時臨時勤務や教育訓練で何名か欠員になり、そのうえ祝祭日も含み夜勤がありますので、平日でも数名の少人数になることがあります。この場合、各担当者が不在することもあり、他部隊の方にご迷惑をおかけすることが多々あると思いますが、担当正面以外のものでも色々なことに対処できるように日々頑張っております。

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水泳検定
第12普通科連隊(国分)1陸士 岩元秀一

 重迫撃砲中隊は、平成23年度水泳検定を実施した。検定の内容は泳法、潜水、立ち泳ぎの3種目である。我が12連隊の隊員は水泳検定2級を合格基準としている。そのため、本年度の目標は中隊の隊員全員が2級を取ることだった。
 検定は泳法から実施した。泳法はクロール、平泳ぎ、背泳ぎ、バタフライと、泳ぎ方については自由である。
 ほとんどの隊員は平泳ぎで泳法を実施していたが、中には「犬かき」をする隊員もいた。続く種目は潜水である。潜水に関しては25メートル潜水する隊員が多数いた。最後の立ち泳ぎは苦手な隊員が多く、2級を取るために1分間死に物狂いで立ち泳ぎをする隊員が多かった。
 検定後、隊員たちは、今後は苦手科目を克服できるよう日々鍛錬することを誓っていた。


頑張っています 新しい職場
活躍するOB シリーズ
東京海上日動火災(株) 湯川 隆
一から勉強し保険のプロに
湯川氏は平成22年7月、上富良野駐屯地業務隊を1陸尉で定年退職。54歳

 約34年間の自衛隊生活を終え第2の人生を選択するにあたり、厳しい就職戦線の中、今までの経験や資格が活かせるような就職先が見つからず、それではと自分には向いていないと感じていた営業職に挑戦してみようと駐屯地援護センターと相談し、東京海上日動火災の保険の営業マンとして就職しました。
 しかし今まで保険のことなど女房や保険の営業マン任せで、どんな保険に入っているのかも知らない有様ですから、先ず保険について一から勉強です。入社の挨拶をしたその日に栃木県にある会社の研修所に向かい「保険のプロ」となるための勉強が始まりました。
 約2ヵ月間で4回の研修に参加し自動車保険等の損害保険や生命保険の基本を学習し、また損害保険と生命保険を販売するための資格を取り、やっと保険のプロとして第一歩を歩みだしました。
 現在第2師団管内の駐屯地を主に訪問をしていますが、顔見知りの隊員さんに話を聞くと私の現役時代同様、保険についてはあまり関心がなく人任せにしている方が多いようです。
 保険は、国の有事に必要な自衛隊と同様、家庭や個人におこる有事(事故・病気・怪我等)に備えるために必要なものなので、ほとんどの方が何らかの保険に加入されていますが、その仕組みや内容について理解されている方は少ないようです。
 私は、隊員の方々に少しでも保険の仕組みや内容といったものをお伝えして、これから保険に加入される方はもちろん、現在加入されている方の保険が、それぞれの方のニーズに合った保険になるようアドバイスできればと考えています。部隊を訪問した際にはどうぞお気軽にお声をかけてください。


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