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スポーツよもやま話
根岸直樹
一気に駆け抜けた42年の野球人生
伊良部が夢見た「平成の名勝負」 |
やっと涼しくなってきて、秋の夜長をどう過ごそうかと思っていたとき、ふと思い浮かべたのが、あの"ゴツ男"伊良部秀輝の顔だった。伊良部が米・ロスの自宅で自殺してから、もう一カ月。
様々な臆測が乱れ飛んだが、一体、本当の原因は何だったのか。仲間にいろいろ聞いてみたが真相はつかめなかった。伊良部秀輝、享年42才。どうして自殺などしてしまったのか。あんなに好きだった野球ができなくなり、仲間と始めたウドン屋も挫折。「生きていてもしょうがないや」とでも思ってしまったのか。
私が伊良部と話すようになったのは1987年ドラフト1位指名でロッテに入団してからだった。香川・尽誠学園のエースとして甲子園を沸かせた男は、プロでも大物ぶりをいかんなく発揮し続けた。
最大の見所は、2年先輩に当たるライバル清原和博(西武)との対決。伊良部の快速球は当時、日本最速の158kmを計測した。清原は「オレはマウンド上の伊良部の目を見られなかった。右腕のボールだけを見ていたが、後にも先にも"怖い"と思ったのは、あの男の速球だけ。"当たったら間違いなく死ぬ"と思った」と述懐している。
伊良部は「人間的にはかなり真面目で繊細な神経の持ち主だった」というが、年上の記者として何度となく仕事をしてきて、あれほど気を使った選手もまれだった。最後は清原に打ち砕かれてしまったが、その頃から速球一本槍だったピッチングが変わり、カーブ、シュート、スプリットフィンガーなど多彩な球を投げるようになってきた。
「やっぱり清原に打たれたから?」「変化球で三振取るのも快感でしょう」「野球生命を長く保つ意味でも肩、ヒジを大切にした方が…」などと、手をかえ品をかえ質問してみたが「それとあんたと、何か関係あるんですか?」「ピッチングの話より、世間話をしましょうよ。あなたの話は特に面白い」とはぐらかされ続け、会話が成り立たなかったことを思い出す。
日本で72勝(69敗11S、防御率3・55)2年連続防御率1位('95、'96年)最多勝1回('94年、15勝10敗)奪三振王2回('94、'95年)の投手は、紆余曲折の後'97年から'02年までメジャー(ヤンキース、エクスポズ、レンジャーズ)で6年投げ34勝(35敗16S)して、野球生命どころか人生にまで終止符を打ってしまった。
投・打の名勝負とうたわれるプロ野球の対決を拾い上げてみた。沢村栄治(巨人)対景浦将(阪神)、杉下茂(中日)対川上哲治(巨人)、金田正一(国鉄)対長嶋茂雄(巨人)、江夏豊(阪神)対王貞治(巨人)、江川卓(巨人)対掛布雅之(阪神)…。いずれも「昭和の名勝負」とうたわれた対決だったと思う。
伊良部がいつか「オレは、平成の名勝負師のひとりとして名を残したい」ともらしているのを耳にしたことがあった。多分、相手として清原和博を思い浮かべていたのだろう。流れるような美しいフォームからでなく顔同様、どこかゴツゴツしたぎこちないピッチングから投げ込んだ、あの快速球が思い出される。
駐留外国人の子供として兵庫・尼崎に生まれ、宮大工だった継父母に育てられた男。97年に結婚、ことし春までロスで一緒に暮らしていたという京淑夫人とふたりのお嬢さんは、いまどうしているのだろう。一気に駆け抜けた伊良部秀輝の42年だった。 |
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HOME's English Class(防衛ホーム英語教室)
It's just fluffy
イッツ ジャスト フラッフィー
ただ軽薄なだけだね |
Hi! How are you doing? 皆さん、いかがお過ごしでしょうか。空の色、風、湿度などで、秋を感じませんか? 近所の神社の夏祭りも終え、秋が近づいた感じがします。毎日の自然の変化に気づき、それを楽しむことができれば生活は本当に毎日が楽しくなってきますね。
さて、今回の表現は"It's just fluffy"「ただ軽薄なだけだね」です。fluffyは、「羽のようなふわふわとした状態をいい、中身のないこと」を意味します。人に対して使うと「馬鹿」と同意義になりますので使わないことが無難ですね。日本人全体が軽く、受け入れやすいものだけを好む傾向があります。ただ新しいだけで、内容がないものを受け入れてしまうのは、進歩にはつながらないものです。そんな軽薄な文化現象に対して、批判的に使うのがフラッフィーです。むずかしい説明をするよりも、ひと言で言い得て妙です。便利な分、毒もある言葉ですので、使い方には慎重にすべきですね。世の中、人の悪口を言えば何倍にもなって自分に戻ってくるのが道理のようです。慎みのある生活が一番です。
夏の暑さに対する疲労が出てくるのが秋口の涼しくなってからです。冷たいものや甘いものは避け、徐々に温かい飲み物をとるようにすると胃腸の働きもよくなります。一日を大切にして、ストレスが少なく陽気で明るく生きたいですね。それでは、皆さん。See ya!〈スワタケル〉 |
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防衛ホーム 俳句コーナー |
釣人を見よかしにして鰡の飛ぶ 塩見惇子
梅干と味噌持ち渡米せしことも ジョンズ美加子
大和路の棚田の畦の曼珠沙華 友国博子
豆柿の色づきをりし遍路径 御手洗敬子
草刈られ川幅広くなりにけり 青木余利乃
足を止め将棋に見入る秋遍路 黒石誠一郎
お墓にも隣り合ふ縁秋彼岸 戸部弘美
近づけばみんみん蝉の語尾濁す 藤原恋水
瀬戸へ向く山なだらかに葡萄園 脇田登志子
瀬の音を残して釣瓶落しかな 辰巳一郎
夕萩のどこかに疲れなくはなし 高橋のぶ子
燕去る巣に一筋の藁垂らし 谷 勝美
がり版の卒業証書敗戦忌 須釜嚠子
村人も犬も老いたり赤とんぼ 氷川杜夫
会釈され誰とも知れぬサングラス 大関文代
忘れゐし人の夢見し暑気中り 信田重昭
新しき旗も設へ走り蕎麦 木通佳子
弟に器量では負け宮相撲 東 秀文
選 者 吟
木道を踏めば沈みて草紅葉 成川雅夫
(「栃の芽」誌提供)
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官庁ソフトテニス大会 一般、シニアの部
防衛省がW優勝! |
防衛省ソフトテニス部は7月9日、共済組合狛江スポーツセンターで実施された、平成23年度『第55回官庁ソフトテニス選手権大会』(主催 官庁庭球連盟)に参加した。
梅雨明け直後の刺すような強い日差しと、澄み切った青空のもと、防衛省をはじめ文科省、経産省、総務省及び郵政GPの官庁連盟加入団体及びその協力者が参加して実施された。今年から大会の参加規模拡大と技術向上のため、官庁団体に関係する協力者も参加できるオープン化となったため例年より質の高い熱戦が繰り広げられた。
防衛省は、現役4名と協力者(浦和と横浜)8名の計12名6ペアが、一般の部に2ペア、シニアの部に4ペアにそれぞれエントリーした。
予選は一般・シニアともに総エントリー8ペアが2個に分かれて、総当りリーグ戦により、上位2枠の決勝トーナメント進出をかけて戦った。
一般の部出場の福山1曹(陸市ヶ谷、通信団)、出口(浦和)ペア及び山本、柚木(浦和)ペアは、3戦全勝で勝ち抜けトーナメントに進んだ。決勝トーナメントの準決勝では、福山1曹ペアと山本ペアは、経産省と対戦、スピードと展開力で圧倒して4—1と4—2で押し切りともに決勝に進んだ。決勝は防衛省同士の戦いとなり、福山1曹がパワーあふれるストロークで終始主導権を握り、確実に出口がボレーで決め、4—1で優勝を勝ち取った。
シニアの部は、8ペア中4ペアが防衛省関係となった、磯口1佐(陸目黒、幹部学校)、新沼(浦和)ペアと、熊田(横浜)、井下(浦和)ペアは3戦全勝、井上3佐(陸三宿、衛生学校)、関合(浦和)ペアは2勝1敗でそれぞれ決勝トーナメントへと勝ち抜けた。
東日本大震災支援から帰った直後の平久江3佐(陸相馬原、12旅団司令部)と千川2佐(空目黒、幹部学校)ペアは、支援の疲れも見せず大いに健闘したが、1勝2敗となり、他省庁の3ペアと同率で並び僅差でトーナメント進出を逃した。
決勝トーナメント準決勝1試合目の磯口1佐ペアは経産省と対戦、新沼がストロークで圧倒して4—1で勝利、2試合目は防衛省同士の対戦となり、粘る井上3佐ペアを熊田(横浜)ペアが4—2で振り切った。この結果シニアの部決勝も防衛省同士となり、粘る熊田ペアを、磯口1佐ペアが逃げる展開となり、4—1で勝利した。
今大会は、一般・シニアの部ともに防衛省が優勝・準優勝を独占し、更に3位にも入賞する快挙を達成した。10月には官庁団体戦の実施が予定されており、昨年逃した優勝奪還を目指して、毎月2回、第2土曜日は目黒、第4土曜日は朝霞で午後から練習している。問い合わせは、通信団福山1曹(8—6—42048)まで。 |
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らっぱ発表会開催 1高群・武山分屯基地 |
7月26日、航空自衛隊武山分屯基地に隣接する武山駐屯地体育館内で「第1高射群らっぱ発表会」(発表会会長・第1高射群司令 池川昭司1空佐(当時)、運営委員長・第2高射隊長 芳之内真典2空佐)が行われた。
これは11月中旬に行われる「中部防衛区域らっぱ競技会」に向けて行われたもの。評価員は、陸上自衛隊東部方面混成団と海上自衛隊横須賀音楽隊の隊員が支援をし、本格的な講評を述べていた。
団体では課題曲2曲と決勝曲4曲を演奏し、個人では課題曲2曲と自由曲4曲を吹奏。1高隊・2高隊・3高隊の演奏が終わる毎に行われる講評は、厳しいながらも温かさを感じるもので緊張との付き合い方までもアドバイスをくれる。「こんな風に指導をしてもらえるのは羨ましい」と傍聴した人たちは感想を述べていた。
発表会会長の池川司令は閉会式で「3ヶ月後の競技会で1高群の代表として頑張ってもらいたい。発表会を行った意義を考えて練習してほしい。どうせやるなら勝とう!」と訓示。
「声の届かない所まで音を遠くに飛ばす信号譜」というらっぱ本来の目的を改めて感じた発表会だった。 |
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