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2008年1月1日号 |
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ホーク部隊実射訓練に参加して |
305高射搬送通信中隊=八戸 3陸曹 斗沢健一 |
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私は第321高射中隊において、平成19年度ホーク部隊実射訓練および検閲に、発電機操作員として約半年間参加しました。訓練期間中は連日の猛暑、アメリカでの射撃本番も雲がほとんどない晴天に恵まれ、気温40度を超える環境の中、クルー全員一丸となり優秀な成果を獲得することができました。
私は高射特科部隊で、通信科職種として勤務していましたが、高射中隊についてほとんど知識がありませんでした。訓練当初は各ケーブルのつなぎ方すら分からず戸惑うばかりでしたが、年度当初から訓練に参加し、出発直前まで発電機操作、各器材間の連携および実射までの時程等詳しく指導していただき、そのおかげで射撃本番も一つの不安事項もなく、落ち着いて本番に臨むことができました。
今回訓練に参加して得ることのできた知識、経験は、これからの端局同行支援の際にも活かしていける非常に意義のあるものになったと思います。今後自分の後に続く後輩や小隊、班の訓練等にこの経験を反映させていきたいと思います。今回このような機会を与えられ、また半年間クルーとして迎えていただき、親切かつ熱く御指導してくださった第321高射中隊の皆様に、本当に感謝しています。ありがとうございました。 |
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教育終了所感 |
46普連=海田市 2陸士 榊原美沙 |
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後期教育を終え、ついに念願の部隊に配属され、非常に喜びを感じています。後期教育は、前期教育とは全く違う環境の中での教育でした。WACだけの教育を受けてきた私にとって、男性の中に女性一人というのは辛かったです。着隊当初は話す相手や相談相手もなく、前期で積み重ねてきた自信が一気に崩れ、後期教育が無事に終れるかという不安でいっぱいでした。
教育が始まり、班長、班付きの親身な指導もあり徐々に男性隊員と話す機会が増え、少しずつ馴染めるようになりました。普通科の基礎的なことを学び、普通科としての役割や任務について理解し、「普通科隊員」という自信と誇りを持って頑張っていこうと決意し、教育に臨みました。精神的にも辛いことが多々ありましたが、後期教育を終えたことで今後は何でも乗り越えられるという自信がつきました。体力的にも努力すれば男性に負けないと感じました。
私は京都出身ですが、前期教育の班長に憧れ、ここ海田市に来ました。私の夢は、陸曹になり班長のような陸曹になることです。これからが本当のスタートだと思い、気を抜かず私の目標に向かって頑張っていきます。 |
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「冬」と「寒」の話 |
海田市駐屯地業務隊 技官 山岡利廣 |
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ここ数年暖冬気味というものの、流石に夜半ともなれば寒さが身にしみるこの頃、言葉遊びをするつもりで書き綴ってみようと思う。
暦の上では、小寒から大寒を経て節分までが寒の内とされる。また大寒は立春などと同じく24節気の一つではあるのだが、立春や秋分が特定の日1日だけを言うのに対して、大寒は1日だけをさすばかりでなく、節分までの14日間をさすこともあり、そちらの方が正式だと百科事典には書かれている。与謝蕪村の句に「易水に葱(ねぶか)流るゝ寒哉」というのがある。言うまでもなく、この句は史記・刺客伝にある荊軻の「風蕭蕭として易水寒し、壮士ひとたび去ってまた還らず」という訣別の詩のエピソードを踏まえている。悲愴感が漂うもので日本人には好まれてきたようである。
ともあれ日本人は昔から季節を表わす独特な単語を大切にしてきた。冬木立ち、冬枯れ、冬龍り、冬桜、寒造り、寒晒し、寒紅、寒餅、寒鰤、寒稽古、寒月、寒菊、寒紅梅、寒卵、寒鮒等々、思いつくだけでもこれくらいはある。余談だが、植物名の冬アオイと寒アオイは全く別物で、冬アオイの方は白いかれんな花が咲くのだが、寒アオイはドクダミに似た葉の根もとに、黒紫色のいささかグロテスクな花が咲くものである。
冬が付く単語に冬至がある。昼が一番短い日であり、ゆず湯に入って南瓜を食べる日である。一説には冬至と湯治のごろ合わせとも言われているらしい。寒中見舞いという言葉もある。年賀状のやりとりが終わった頃に届くものだが、これは、寒の入りから節分までの寒の内に出すものである。本当の意味で、寒さの厳しい時に相手の健康を気づかう心のこもった便りである。
冬に水が澄んだように見えるのは、水温が低いために微生物が繁殖しにくく、水の動きも少ないからだと言う。冬の空を映して静かに水をたたえた湖、ゆったりと流れる川面は、まさに明鏡止水の趣きがあって実に心が洗われる思いがする。日本には四季があり、冬には冬の良さがあると思う。春夏秋冬、四季折々の美しさに触れてこそ、人は心を和ませるのではないかと思う。「美しき自然」という曲もあったが、まさに日本は自然に恵まれている国土だとしみじみ冬空を見上げながら、冬鳥の動きにも思いを馳せるのである。 |
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趣味の郷土史 |
38普連4中隊=八戸 2陸曹 田頭修司 |
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私は最近、郷土史の本をよく読んでいます。なぜ郷土史を読むようになったのかというと、王城寺原演習場での演習の際に、斥候に出たグループが山の中で「幽霊」を見たと話しており、また昔ここは古戦場だったと聞き、その正体をあばこうと宮城県立図書館に行きたまたま「市町村誌」を読んだのがきっかけです。
市町村誌にはその土地の歴史や地名の由来、風習等が記されています。土地によっては「いわくつき」な所もあり、新たに土地を購入したり移り住む場合には参考になります。ちなみに王城寺の由来は、王城寺演習場内の烏帽子山付近にあった「往生寺」から来ており、平安末期から戦国時代まで様々な戦闘があった場所でした。
歴史の本を読んでいくと登場する人物の会話や結末の中に、現代社会に相通じた参考となる内容があったりします。最近購入した本「青森県の歴史」の中に、戦国時代末期のこの地方の大名「南部信直」が分家の「八戸直栄」へ宛てた手紙がのっていて、その内容は豊臣政権下の朝鮮出兵の際、肥前名護屋城(佐賀県鎮西町)での在陣中の苦労が書かれており、その中で南部信直は、今まで南部地方では名字や家柄をもとに臣従の関係を結び、古くからのしきたりを重んじてきたが、豊臣政権下では通用しない。昔の苦労を思い出して「当時の慣習はこうだった」等と言っている者は厳しい競争社会にあって即座に「追い捨てられる」。身分が低くとも格別の奉公をすれば侍に引き上げられ、それを見たものたちがいっそう奉公に励む構図となっており、身分にとらわれない人材登用の「からくり」がある、と書かれています。
自衛隊で勤務していて、何か新しいことに移行する際「前はこうだった」と自分も含めて「ぼやく」ことがありますが、それだけでは「努力する者」に「追い捨てられる」ことでしょう。歴史を振り返って自分たちに重ねて考えた時に、似たような場面があったとするならば、その教訓を生かさないと同じ結果が待っています。
有名な歴史もいいのですが、地元には地元の「ヒーロー」がいます。地元の過去の出来事を知れば「ここでこんなことがあったのか」と新たな発見へ繋がり、今まで何気なく見ていた風景も、特別なものになるかもしれません。そんな意味合いからも私は「郷土史」をお勧めします。 |
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「頑張っています」新しい職場 |
活躍するOB シリーズ |
サーンエンジニアリング(株)北伊丹事業所 山中智博 |
山中氏は平成19年3月、第302通信直接支援隊(兵庫)を陸士長で任満退職。22歳 |
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私は2任期で任満退職後、「サーンエンジニアリング(株)北伊丹事業所」で半導体開発事業の動力監視員として勤務しています。仕事内容は、三菱電機(株)様および(株)ルネサステクノロジ様の半導体先端開発部門の動力設備管理を、24時間体制での連続監視で行っています。
この仕事を選んだ理由は、多くの国家資格を取り、それを活かした仕事をすることができるということ、また自衛隊の先輩たちが多く働いていて活躍されていると聞いたからです。私もまだ入社して間もない新米で仕事を覚えるのがやっとですが、優しく、時には厳しい「善き先輩方」のおかげで、毎日充実した研修をさせていただいています。
これから退職を控えている方々へ、3つアドバイスさせていただきます。1つ目は、大きな声で挨拶することです。大きな声で挨拶することにより、周りの人にアピールできますし、相手の方に好印象を与え、名前と顔を早く覚えてもらえます。2つ目は、教えてもらったことをメモに取っておくことです。あとで忘れてしまった時、困った時に必ず役に立ちます。最後に、前向きの姿勢を持ち続けることです。すぐに諦めず、何事にも積極的に取り組むことが大切です。そうすることにより信頼も得られ、自分自身にも自信がつきます。自衛隊で培ったことを十分に活かして頑張ってください。 |
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