国の不況を為替の所為にして効果的な政策を講じない国が見受けられる。為替がいつか自国に有利に働く「神風」の現れることを当てにしているのではないかと勘ぐってしまう。「韓非子(かんぴし)」を拾い読みしているとこれにぴったりの小節が出ていた。「法令や禁制をおろそかにして、謀略にばかりひたり、国の内を治めずにおいて、外国の援けのみを当てにしている国は亡びる。」韓非子は紀元前233年頃の中国の学者である、彼の時代と現代がまったく同じ危惧すべき状況だったとは恐れいる(外国の援けを為替変動と置き換えてみると)。また、同じ小節には「大切な家族は外国に残しておき、自分だけが客分として国に仕えているような者が、上は外交の計謀にあずかり、下は民治の処理にあたる、こういう国は亡びる。」現代でもこんな話を近くの国からとしてよく聞く。政府の高官が家族はアメリカやカナダなどに住まわせて資産も外国に移しているというのだ、日本にも投資したり資産を備蓄していることは誰もが知っている、自国の政変に備えてのことだ。このような官僚を表す言葉として「裸官」が中国では使われている。自分の身の安全のことしか頭にない指導者に舵取りを任せなければならない国民は誠に不幸と言わざるを得ない。「韓非子」は為政者を諫める書として知られているが、北原白秋の「待ちぼうけ」のヒントになった「守株(しゆしゆ)」や矛と盾の「矛盾」「蟻の一穴」などおなじみのものも載っているから読みやすい。(所谷) |