防衛ホーム新聞社・自衛隊ニュース
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自衛隊ニュース   908号 (2015年6月1日発行)
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1面 2面 3面 4面 5面 6面(PDF) 9面 10面

寄せ書き
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教育の難しさ
 東北方面後方支援隊本部付隊(仙台) 3陸曹 岩城 翼
 履修前教育の助教として教育に参加しました。私も初めての助教ということで不安もありましたが、各教官・助教のアドバイス等もあり教育開始までに準備を終えることができました。
 教育が始まると「人に教える難しさ」という壁に当たり、当初は色々と悩みました。しかし、自分が被教育者の頃を思い出し、ただ教えるのではなく、その中で自分が経験した事項などを織り交ぜてわかりやすく教育を実施していくことで問題は解決しました。
 今回の履修前教育に参加して、助教として教えられたこと及び自分自身の成長に繋げられたことに感謝し、今後の自衛隊生活の糧としていきたいです。
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高工校の入学式に参加して
入校者の母 駒村 千恵子
 この春、大いに悩んだ末、息子が陸上自衛隊高等工科学校に入学しました。
 難関とされるこの学校の試験に合格した事で自分に自信がついたようで、中学生気分のままではありましたが、少しばかりの自覚を持って入校しました。全国から集まったどの生徒にもまだあどけなさが残りますが、その緊張した顔に親としての期待も膨らみました。
 驚いたのは1週間後、4月8日の入校式です。横須賀の満開の桜も身を縮める程の暴風雨で、式は講堂で行われました。短く切り揃えられた頭に、真新しい制服が会場の空気を変えていました。真っすぐ前を見据えて少しも動かない生徒の姿を見て、1週間で何があったのか何となく想像が出来ました。動作にも返事にも全く無駄がありません。対照的に落ち着きがないのは父兄席であり、無言の子供達に何かを教わった気がします。
 何事にも真摯に向き合い愛情を持ってご指導くださる…その期待に生徒が応える。この学校のあるべき姿を1週間の子供の変化で感じ取ることが出来ました。息子の選択に間違いはなかったのだと思います。弱音を吐いていた我が子ですが、安心してお任せする覚悟も出来ました。
 早すぎる巣立ちに少々戸惑いながら、ただただ息子の背中を押してあげる事しかできませんが、この経験が生涯の財産になると信じ、今は訓練を乗り越え、1日も早く社会に貢献できる自衛官になってくれる事を願っています。時代を担う生徒の皆さんの可能性に期待しています。
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入隊式を終えて
第13普通科連隊教育隊(松本) 勝川 雅司
 今日の入隊式を終えて私はまず、着隊してからもう9日が経つと感じました。この9日間は自衛官として出来て当り前の基本教練の訓練をし、営内生活では、自分の身の回りの整理整頓や洗濯など社会人として必要な事を求められ、それらをやることで時間に追われ過ごしました。そんな内容の濃い9日間の生活が入隊式の時に頭に浮かんできました。この9日間は自衛官としての生活に慣れるための期間に過ぎないと思います。それでもこの9日間で学んだことや経験を忘れずに積極性を持って日々の訓練に臨んでいきたいと思います。また、入隊式を通して自衛官候補生としての自覚を持って、体力面でも知識面でもより高い意識で取り組んでいきたいと思います。
 私は将来、自衛官としてPKOなどの海外派遣等に参加したいと考えています。小・中学生の頃、世界には食べる物が無く飢餓で苦しんでいる人達が必要としている食糧よりも多い量の食べ残しが出ているということを学びました。PKO活動等に参加し、その現状を自分の目で見て、自分の生活を見直し、行動していくきっかけにしていきたいと思っています。だから、そのような活動に参加出来る様に今はしっかりと基礎知識・技能を習得するため日々の訓練の意味を考え目標を持って取り組んでいきたいと思います。また、班長・班付の教えをよく聞き、一日一日を大切に生活していきたいです。
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仲間のために
 第32普通科連隊第4中隊(大宮) 陸士長 森 秀紀
 私は、3月14日に行われた第64回官公庁対抗駅伝大会に、32連隊2部チームの3区として出場しました。
 10時10分に号砲が鳴り、全チームが一斉にスタート、我が連隊2部チームは、順調に1区、2区と襷をつなげ、私が走る3区には第3位で入ってきました。大会までの間、切磋琢磨して作り上げてきたチームのために、なんとか1位で4区に襷をつなげたいと思い、足の痛みもありましたが、勝ちへこだわる強い気持ちを持って走り抜き、3区区間賞を取るとともに、1位で襷を渡す事ができました。その結果チームは、初優勝することができました。
 私は、昨年の夏に念願の持続走訓練隊に参加しました。この間、新しい環境の中で、困惑することや、幾度となく怪我にも悩まされ焦りも生じ、満足に走る事が出来ない時期がありました。しかしながら、訓練隊の仲間や部隊の先輩等に励まされ、日々の練習を通じて心身共に成長することができ、1人では克服できない壁も辛い練習とともに乗り越えられました。
 優勝という形で、チームに最高の「恩返し」が出来た事を誇りに思い、これからも連隊の名を広められるよう、精進していきたいと思います。
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初の女性最強戦士になって
 第33普通科連隊本部管理中隊(久居) 陸士長 石原 英里
 今回、最強戦士選考会に初めて女性自衛官の部が加わり、その初の最強戦士になる事が出来ました。しかし、最強戦士になる事が出来たのは、自分一人の力だけではありません。格闘は、検定前に少し練成するぐらいしかやった事がなく、選考会まであまりなかったので、小隊の陸曹に課業外で練成して頂きました。毎日夜遅くまで本当にありがとうございました。お陰で良い結果を残す事が出来ました。
 最強戦士の射撃実施日は、あいにく別の勤務が入っていた為別の日に射撃させて頂いたのですが、いつもはそれほど当たらない射撃がその日は凄く当たり、自己最高記録を出す事が出来ました。自分が一番びっくりしているほどです。
 武装断郊走では、4位と言う結果に終わってしまい、最強戦士とは言えない部分もまだまだあります。ですが、武装走を練成して走った事により、体力を向上させる事が出来たので、これを機に更に向上させ、次は自分の納得の出来る最強戦士になれるよう努力していきたいです。
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初めての中隊検閲
 普通科教導連隊対戦車中隊(滝ヶ原) 1陸士 岡本 博伸
 自衛隊に入隊し約1年、普通科教導連隊対戦車中隊に配置になって初めて、中隊検閲に参加することになりました。
受閲に当り中隊長(白井3陸曹)の「見つけた敵は確実に仕留めよ」と訓示を受け、私の所属する小隊は、陣地占領〜射撃までの行動について繰り返し練成しました。班長から「お前たち弾薬手は誘導弾の装てん時間をコンマ1秒でも短縮しろ」といわれ、私は、もう一人の弾薬手と話し合い、少しでも装てん時間を短縮しようと、お互いの連携動作を工夫して、これを何度も練習しました。その結果、装てん動作は徐々に早くなり、検閲では班が担当する射撃区域に出現した敵戦車をすべて撃破することが出来、今までにない達成感を感じることが出来ました。反面、めまぐるしく変化する状況の中で様々な対応に追われ、与えられた任務をタイムリーにこなせず、「先を考えて行動しろ」と指導されることが多くありました。私はこの検閲を通じ、協同連携や反復練習の重要を再確認することと、言われて行動するのではなく、班長が次に何をしようと考えているかを先行的に考え行動すべきということに気付きました。
 この経験を忘れずに、次の訓練に活かして行こうと思います。
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家族とは
 第47普通科連隊第2中隊(海田市) 2陸曹 土井 賢司
 私の家族構成は、平成21年結婚以来、23年に第1子長男が誕生し、昨年秋には、第2子・3子と双子の女の子達を授かりました。昨年秋の我が家は、妻が妊娠から出産までの間に、約5ヶ月間入院しなければならない状態に陥りました。双子の妊娠と言うのは、私が想像していた以上に厳しい現実が待っていました。妻は、絶対安静の為自由を奪われ、長男は病院の特性上、妻(母親)とは入院の間2回しか面会出来ず寂しい思いをし、お腹の子達は逆子だった為に心配な毎日が続きました。しかし、その間、両家の実家の家族に支えてもらい、家族全員の頑張りもあり、予定日より1ヶ月早かったですが、無事に出産を終える事が出来ました。改めて家族の大事さを実感させられ、感謝の気持ちで一杯です。今春転属となり、転属と言うのは家族帯同なのか単身赴任で転属するのかの選択股があると思います。我が家については、双子が生まれたばかりで不安な気持ちも正直ありましたが、昨年の出産を乗り越えた経験を生かし家族帯同で新しい土地で新しい生活を送って行こうと頑張っている最中です。最後になりますが、昨年の出産から始まり今日の転属にあたり、前及び現部隊でも暖かい目で我が家を見守って頂き、この自衛隊と言う家族も感謝の気持ちを忘れずに大切にして行きたいと以前にも増して思います。
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救護能力向上訓練に参加して
第12普通科連隊(国分) 陸士長 永濱 尊
 3月16日から20日までの間、第12普通科連隊(連隊長・若松純也1陸佐=国分)で行われた、救護能力向上訓練に参加しました。
 訓練内容については、止血法や救急包帯を使用した処置、狭所や暗所での救助法の反復練成で、特に暗所での救助法については、想像以上に難しく時間がかかりました。
 1週間の訓練でしたが、色々な救急法を学びとても勉強になりました。救護能力については隊員一人一人が身につけなければならない能力なのでこれからも日々精進し演習・訓練等で活かしていきたいです。
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保健行軍で感じたこと
対馬警備隊上対馬警備所 3海曹 福井 秀範

 上対馬警備所は、4月16日に保健行軍を実施した。今回の保健行軍は、かつて国防の最前線であった対馬、いまでも砲台跡が残存する棹崎公園で実施した。国境の最前線、日本の最北西端で韓国釜山市まで45キロの位置である。ここ棹崎公園は西海の怒涛に切り立つ断崖絶壁の岩肌がまさに壮観であり、また気象条件さえ整えば釜山市の街並みも視認することができる。
 近隣にはツシマヤマネコ等絶滅のおそれのある対馬の野生生物の保護や研究調査を行っている対馬野生生物保護センターがあり、ツシマヤマネコを実際に飼育しているところを見ることができた。
 棹崎公園到着後に対馬野生生物保護センターにツシマヤマネコ等絶滅のおそれのある動植物の説明をうけ、いま勤務している対馬の環境を理解し、自然を守ることの重要性を認識した。
 駐車場より砲台跡までの坂を登りつつ棹崎公園内の環境美化活動を実施し、対馬の環境保護にみんなで協力し心地よい汗をかいた。
 砲台跡は、昭和11年に築かれ、約2年の歳月をかけ昭和13年に完成した。45口径キャノン砲4門の砲台で、法座、弾薬庫、観測所、兵舎などが残されている。激動の昭和を象徴する戦争遺跡に触れ、当時の苦労を垣間見ることができた。
 対馬にて任務につくことの重要性を実際に見て、触れて十分に感じることができた。現在は砲台跡の一角に棹崎灯台が設置され、対馬海峡を運航する船舶の安全航行に貢献している。
 帰隊の時間が迫る頃、棹崎公園一帯の木々に向かい春風が吹き、春の到来を感じさせていた。


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