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自衛隊ニュース   2011年6月15日号
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「がんばろう!!東北」百里基地でキャンペーン
東日本大震災
災派隊員の士気高揚図る
ステッカー、垂れ幕など設置

 百里基地は、東日本大震災で災害派遣任務に臨む隊員の士気高揚を図るため、災害派遣任務開始以後、さまざまな施策を実施している。
 原子力災害派遣に係る福島第1原子力発電所に対する冷却放水支援活動に参加する隊員は、一度、百里基地に集合した後に出動した。その際、隊員は百里基地が制作した「がんばろう!東北」のステッカーをヘルメットに貼り現地へと向かった。また、松島基地及び基地周辺での災害復旧支援に当たる隊員も同様にステッカーを装着している。
 百里基地所属の隊員は、ヘルメットのステッカーと同様、識別帽に「がんばろう!東北」のパッチを装着している。なお、このパッチは1枚につき200円の義援金を募り、松島基地の復旧支援のため送付している。
 また、基地内隊舎の外壁には、百里管制隊と移動管制隊が作製した「がんばろう日本 がんばろう東北」の垂れ幕を設置している。
 百里基地は、福島第1原子力発電所での冷却放水支援任務を終了したが、引き続き隊員一同「がんばろう東北」の思いを胸に災害派遣任務を継続している。


慰問コンサート開催
被災者に"音楽"届ける
大音

 大湊音楽隊(隊長・樋口好雄3海佐)は4月27日、東日本大震災により被災した人達の避難所の一つである宮城県石巻市桃生小学校体育館で、慰問コンサートを行った。被災から約1か月半が過ぎた現在でも今なお仮設住宅の入居を待ちながら小さな体育館で生活している約60人の被災者に音楽を届けた。
 演奏は体育館の一角にステージを設け、SMAPの「世界に一つだけの花」「時代劇シリーズ」などお馴染みの曲を披露した。プログラムには、被災者も参加できる指揮者体験コーナーやイントロ当てクイズを盛り込み、会場内には笑顔が溢れ、初めて指揮をする2人の女の子や「北国の春」を熱唱した男性に拍手が沸きおこった。
 大湊音楽隊は、避難所でなかなか収まらない余震に、不安と不自由な生活を余儀なくされている被災者に一日も早く心安らかな日が訪れることを願いながら慰問演奏を終了した。


会員15名が捜索活動
宮城県隊友会

 公益社団法人隊友会宮城県隊友会(大越雅行会長)は、東北地方太平洋沖地震による被災者を援助するボランティア活動を実施しているが、その一環として5月14日から5月15日までの間、宮城県石巻市北上町周辺において、自らの家族が被災しながらもそれを二の次にして災害派遣活動に従事する自衛隊員からの委託を受け、行方不明となっている隊員家族の捜索活動を当日休暇を取得して参加をした2名の被災隊員とともに実施した。
 5月14日、石巻市北上町に所在する「にっこりサンパーク」に集合した宮城県隊友会長以下15名の会員は、現地で隊友会本部から配給を受けた防災服に着替え、当該地域を担当する陸上自衛隊第14旅団の連絡幹部から周辺地域の捜索状況などについて情報の提供を受けた後、大越会長からの指示を受け、今は津波により全てが流され荒涼とした石巻市北上町十三浜の2名の隊員家族が居住していたと思われる家屋周辺に重点を指向して捜索活動を開始した。
 2日間の捜索活動において、行方不明となっている隊員家族の安否は確認できなかったが、ともに捜索に参加をした被災隊員の結婚式の写真を発見、その写真には行方不明となっている隊員の父及び姉が写っており、隊友会員から渡された写真を手にした隊員は、写真の汚れをやさしく払いながら「ありがとうございます」と微笑んでいた。
 宮城県隊友会は、今後も被災者を援助するボランティア活動の一環として、自らが被災しながら災害派遣活動に従事する自衛隊員からの委託に応じ、支援活動を実施する予定としている。


空自7隊員に感謝状
傷害犯逮捕に協力
—災派活動中に遭遇—

 5月17日午後3時40分頃、宮城県石巻市の石巻赤十字病院の建物の外で、被災地のボランティア活動に来ていた女性(26歳)が、石巻市の男性(47歳)に錐(きり)で刺される事件が発生した。
 航空自衛隊松島基地に災害派遣で生活支援隊医療支援小隊第2医療班に派遣されていた乾多久夫1空佐(医実隊)、土井大輔3空尉(1空団)、須田正幸空曹長(硫基隊)、中島俊1空曹(防指群)、萩本明子2空曹(1空団)、佐々木貴浩空士長(医実隊)、駒形 一陽空士長(医実隊)の7名は、被災地における医療支援活動を終え、業務調整のため同病院に立ち寄っていたところ、偶然、この現場に居合わせ、ただちに犯人の身柄確保、被害者の初期救護、警察・病院への連絡通報等に協力した。
 乾1空佐は、「目撃者の女性が悲鳴とともに指さす犯人を見ると、病院玄関から建物中に逃走しようとしていました。とっさに病院内に入れてはいけないと思ったところ、土井3尉と中島曹長がいち早く犯人を追跡し、その後、身柄確保をしました。その後は全員が連携し、被害者の初期救護、警察・病院等への連絡・通報等、整斉と行いました。本当に頼もしい部下たちを誇りに思います。私たちは全員が医療従事者ですが、迅速かつ的確な対処が出来たことは、自衛官としての日頃の訓練の賜物だと思います」とコメントしている。7人のうち、特に犯人逮捕に協力した土井3尉と中島1曹、また、被害者の初期看護にあたった萩本2曹に、翌18日、石巻警察署長から感謝状を贈られた。
 7人はこの日が災害派遣の医療支援活動の最終日で、翌18日には災害派遣任務を終えそれぞれの部隊に帰隊した。


雪月花

 生存者が一人もいなくなった北半球、南半球もオーストラリアの一部だけに生存者がいる。核戦争により放射能が地球全土に広がっておりここにもその日は必ずくる。住民は渓流つりをしたりオートレースに出場したり以前の生活をするが虚しさだけが残る。その時を迎え生まれたばかりの赤ちゃんのために配給された薬品を前に見つめ合うだけの若い夫婦。潜行中だった米海軍の潜水艦が一隻だけ放射能から免れメルボルンで休暇をすごす。しかし乗組員たちは母国で最後を迎えたいとして死の灰の充満するサンフランシスコに艦を向けた。1964年、第3次世界大戦で核戦争が勃発したとする映画「渚にて」は衝撃的だった。50年経った今でもワンシーンワンカットを鮮明に憶えている。福島原発でこのようなシーンが再現されるとは考えないが次から次に発表が違ってくると不安になってくるのは当然だ。海中と空気中に放射性物質が放出されたのは間違いなく事実である。炉心への冷却水は際限のない注入になるのではないか、タンクに汚染水を移すにしても限界があるだろう。小手先だけの処理のようにみえる。ひとたび放出された放射性物質は活動が半減されるまでにヨウ素131は8日だがセシュム137は30年、プルトニュウム239は2・4万年かかるそうだ、これ以上の流出は食い止めなければならない。日本の技術を信じたい。わが国を壊滅から救うために現地では今も大勢の自衛官や関係者が壮烈な闘いを続けている。


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