物資輸送の拠点を確保するため重要だったのが、津波の被害で機能停止に陥っていた仙台空港の復旧作業だ。自衛隊は米軍と共同で土砂や瓦礫の除去作業を行い、滑走路復旧に貢献した。3月16日に米空軍のC—130輸送機が重機や隊員を載せて空港に着陸、同日中に全長3000メートルの滑走路のうち輸送機が発着できる1500メートル分を約3時間で使用可能とした。仙台空港の復旧で大量の物資輸送が可能となり、米軍機が運んできた物資を陸自車両が被災地まで運ぶ共同作業が続けられた。
震災で大きな被害を受けたJR仙石線で、4月21日から日米共同で瓦礫の撤去などを行う「ソウル・トレイン作戦」が実施された。トモダチ作戦の一環で、「魂(ソウル)を込めて列車を通そう」という意味を込めた名前がつけられた。 米側は在日米陸軍約60名、車両約10両、日本側は第6師団司令部の3名と航空自衛隊松島基地の約15名が参加し、宮城県東松島市の野蒜駅と陸前小野駅周辺で活動が行われた。陸空自衛隊と米陸軍は、バケットローダーや油圧ショベル(グラップル)、ダンプ等約10数台などを使って土砂や瓦礫を除去したり、駅や周辺の清掃などを行った。野蒜駅では25日まで、陸前小野駅では29日まで活動が続けられた。
私は3月19日から4月7日までの間、日米調整所支援要員として参加しました。私の任務は日米調整所の連絡員の輸送支援でしたが、現地に行くまで細部の業務内容が分からず、多少の不安を感じての出発でした。福知山駐屯地を出発し、朝霞駐屯地で1泊して宮城県に前進しました。3月21日、無事に仙台駐屯地に到着し、その日のうちに任務が付与され、仙台空港に行くことになりました。仙台は大都市ですが、町は停電の影響で光が少なく、また、沿岸部地域の光は、たまに通行している車両の光しか見ることが出来ません。高速道路をおりて目に入った光景には車両、瓦礫、木材など多くのものが散乱し、建物の多くは原型を留めないほどに破壊されていました。 日米調整所の連絡員の任務が自治体等の要望を聞き、それを米軍と協力してそれに応えるというもので、そのため、調整を行う場所は甚大な被害を受けた地域でした。仙台市から約30km離れた石巻市の被害は、河口から1kmほど離れた市役所の付近は津波で冠水し、市の中心街も津波の被害を受け、まさに壊滅状態でありました。 市の要望で小学校のグラウンドの復旧を自衛隊と米軍で行っているときに、近所の保育園の卒園式に参加する機会がありました。それは、玄関から出てくる園児にアーチを作り送り出すという内容で、小学校は避難所になっていたので、多くの人が参加しました。その時、私は同年代である自分の子供と園児らを重ねて見てしまい、思わず涙がこみ上げてきました。 被災地の状況は凄まじいもので、復興には長い期間が必要だと思います。被災地での活動で感じたことは、自衛隊はあらゆる活動面で大変感謝され、また国民が期待し注目しているということ。もしまた部隊が派遣されるようなことになれば、その事に留意し、被災地域の復興、そして日本の将来のために微力ながら力を尽くしたいと思います。