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自衛隊ニュース   2011年6月1日号
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米軍総力挙げトモダチ作戦
日米の強い絆示す
 未曾有の被害をもたらした東日本大震災では、これまでに156か国・地域と41国際機関から緊急物資や義援金などの支援の申し出が集まった。また、23の国と地域からの緊急援助隊や医療支援チームなどが被災地で活動を行っており、温かい支援の輪が世界各国で広がった。その中でも突出した支援を行ったのが米国で、日米の絆の強さを示した。3月12日、オバマ米大統領は菅直人首相との電話会談で、「日本に対して可能なあらゆる支援を行う用意がある」と表明。ピーク時には2万人強、艦船20隻、航空機140機が投入され、かつてない規模の支援活動「トモダチ作戦(Operation Tomodachi)」を展開した。米軍は日米調整所を設置して自衛隊の統合任務部隊(JTF)との連携を図りながら救援・捜索や瓦礫除去、物資輸送などの活動を支援するなど、共同訓練などで日頃から積み重ねてきた協力関係の真価が発揮された。
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援助物資等の輸送
 米軍は自衛隊と協力して被災地に援助物資等の輸送に貢献、これまでに食料品等約280トン、水約770万リットル、燃料約4・5リットルを輸送した。
 震災直後、韓国との合同演習に参加するため太平洋を航行中だった米空母「ロナルド・レーガン」は三陸沖へ進路を変更、3月13日から物資輸送や救助活動で活躍した。同艦載ヘリは同日、海自補給艦「ときわ」に積載されていた食糧を海自MH—53Eヘリとともに宮城県気仙沼市に輸送したほか、米軍ヘリで海自艦艇に移送して避難所に自衛隊が届けるといったリレー方式をとるなど、日米で連携しながら物資を届けた。その他、米揚陸艦「トーテュガ」は同16、17の両日に北海道苫小牧から陸自第5旅団主力の約280人と車両94両を青森県むつ市の大湊港まで運ぶなどして、自衛隊を強力にサポートした。
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調整所で密に連携
 自衛隊が君塚栄治東北方面総監を指揮官として統合任務部隊(JTF)を編成して陸海空の統合運用を行う一方で、米軍は陸、海、空、海兵隊の4軍の部隊を統合的に運用するため、在日米軍司令部のある米軍横田基地に「統合支援部隊(JSF)」を置いた。
 また、自衛隊と米軍との連携を円滑なものとするため、日米共同調整所を東京・市ヶ谷の防衛省、仙台駐屯地の東北方面総監部にそれぞれ設置した。調整所の開設は、緊急事態での日米の役割や調整のあり方などを示した「日米防衛協力のための指針」に準じた措置だ。米軍はここでの調整を経て被災地の状況や要望を把握し、被災者の捜索・救助、物資輸送などの支援活動を行った。自衛隊と米軍の協力態勢はこれまでにない大規模なものとなったが、これらの調整システムにおいて密な連携を図ることで、日米共同で行った震災対処活動を成功に導いた。
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孤立した島を救う
 宮城県気仙沼市から船で約30分の場所にある離島・大島は、地震と津波の影響で連絡船などが被害を受けて交通が遮断され、復旧活動や物資はほとんど届かず孤立化した。海自多用途支援艦「ひうち」が物資輸送を継続する状態が続けられていたが、瓦礫等は手をつけられない状況だった。3月27日から4月6日にかけて、米強襲揚陸艦「エセックス」のLCU(上陸用舟艇)で上陸した海兵隊員が搬入したブルドーザーなどの重機を使って自衛隊と共同で倒壊した家屋や車両等を撤去するとともに、給電車と給水車を輸送した。
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空港復旧に貢献

 物資輸送の拠点を確保するため重要だったのが、津波の被害で機能停止に陥っていた仙台空港の復旧作業だ。自衛隊は米軍と共同で土砂や瓦礫の除去作業を行い、滑走路復旧に貢献した。3月16日に米空軍のC—130輸送機が重機や隊員を載せて空港に着陸、同日中に全長3000メートルの滑走路のうち輸送機が発着できる1500メートル分を約3時間で使用可能とした。仙台空港の復旧で大量の物資輸送が可能となり、米軍機が運んできた物資を陸自車両が被災地まで運ぶ共同作業が続けられた。

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魂込めて瓦礫除去

 震災で大きな被害を受けたJR仙石線で、4月21日から日米共同で瓦礫の撤去などを行う「ソウル・トレイン作戦」が実施された。トモダチ作戦の一環で、「魂(ソウル)を込めて列車を通そう」という意味を込めた名前がつけられた。
 米側は在日米陸軍約60名、車両約10両、日本側は第6師団司令部の3名と航空自衛隊松島基地の約15名が参加し、宮城県東松島市の野蒜駅と陸前小野駅周辺で活動が行われた。陸空自衛隊と米陸軍は、バケットローダーや油圧ショベル(グラップル)、ダンプ等約10数台などを使って土砂や瓦礫を除去したり、駅や周辺の清掃などを行った。野蒜駅では25日まで、陸前小野駅では29日まで活動が続けられた。


日米調整所での任務を終えて
第7普通科連隊(福知山)3陸曹 竹田津直秀

 私は3月19日から4月7日までの間、日米調整所支援要員として参加しました。私の任務は日米調整所の連絡員の輸送支援でしたが、現地に行くまで細部の業務内容が分からず、多少の不安を感じての出発でした。福知山駐屯地を出発し、朝霞駐屯地で1泊して宮城県に前進しました。3月21日、無事に仙台駐屯地に到着し、その日のうちに任務が付与され、仙台空港に行くことになりました。仙台は大都市ですが、町は停電の影響で光が少なく、また、沿岸部地域の光は、たまに通行している車両の光しか見ることが出来ません。高速道路をおりて目に入った光景には車両、瓦礫、木材など多くのものが散乱し、建物の多くは原型を留めないほどに破壊されていました。
 日米調整所の連絡員の任務が自治体等の要望を聞き、それを米軍と協力してそれに応えるというもので、そのため、調整を行う場所は甚大な被害を受けた地域でした。仙台市から約30km離れた石巻市の被害は、河口から1kmほど離れた市役所の付近は津波で冠水し、市の中心街も津波の被害を受け、まさに壊滅状態でありました。
 市の要望で小学校のグラウンドの復旧を自衛隊と米軍で行っているときに、近所の保育園の卒園式に参加する機会がありました。それは、玄関から出てくる園児にアーチを作り送り出すという内容で、小学校は避難所になっていたので、多くの人が参加しました。その時、私は同年代である自分の子供と園児らを重ねて見てしまい、思わず涙がこみ上げてきました。
 被災地の状況は凄まじいもので、復興には長い期間が必要だと思います。被災地での活動で感じたことは、自衛隊はあらゆる活動面で大変感謝され、また国民が期待し注目しているということ。もしまた部隊が派遣されるようなことになれば、その事に留意し、被災地域の復興、そして日本の将来のために微力ながら力を尽くしたいと思います。


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