防衛ホーム新聞社・自衛隊ニュース
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自衛隊ニュース   2011年6月1日号
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寄せ書き
大きな目標を達成
第7普通科連隊(福知山)3陸曹 小川明洋

 2月に兵庫県日高町の神鍋高原スキー場で実施された部隊スキー指導官認定試験に合格し部隊指導官の仲間入りをしました。これは陸曹になって定めた目標の1つであり、達成でき、大変嬉しく思います。
 昨年は初めて部隊スキー指導官集合訓練に参加し、指導官を目指して練成に励みましたがスキー特級検定不合格という結果で、指導官になるための試験を受けることもできませんでした。その悔しさをバネに、今年は必ず土俵に立ち、絶対に合格するという強い意志をもって練成に励みました。
 訓練を重ねる中で自分の基本技術の未熟さ、技術の重要性を痛感し、教官からの助言と、同期達との意見交換でスキー技術の向上に努めました。機動訓練や遭難者救助等、各課目では技術だけでなく、体力・気力及び雪山に対する知識など多くのことを学びました。積雪寒冷地部隊に所属する自衛官そして指導官として、学んだことをさらに向上させ、多くの隊員に伝え技能向上させていく事が今後の使命であると考えています。次は上級部隊スキー指導官を目標に、日々の訓練、業務に邁進したいと思います。

私の趣味
第6戦車大隊(大和)陸曹長 松井宏道

 私の趣味と言っても仕事が忙しく、年に一度か二度程度しか行うことが出来ませんが、それは、船に乗って行うカレイ釣りです。行く回数が少ないだけにより真剣になるのだと思います。
 カレイを釣るには「仕掛け」といった物が必要になります。市販の物もありますが、私は自作した物を使っています。そのほうが釣った時の喜びが全然違ってきます。苦労して作った仕掛けで大物のカレイが釣れた時の嬉しさは何物にも代えられません。
 また、釣ったばかりのカレイは、持ち帰っても家族に喜ばれます。新鮮なカレイは刺し身、煮付け、焼き物、唐揚げ、すべて旨いです。子供達も喜んで食べてくれます。
 釣りによって、自分のストレス発散、食を通しての家族の団らん。なかなか良い事だと自分では思っています。皆さんもどうですか? 釣りに行ってみては?

バドミントンを通じて
第102特科直接支援隊(八戸)陸士長 田村健志

 私がバドミントンを始めたきっかけは小学生の時に、ただなんとなく、休み時間に体育館でバドミントンをしていたら、徐々にバドミントンに興味を持ち始め、ジュニアのサークルに入り、本格的にやり始めました。
 途中で、練習をやめたいと思った時期もありましたが、練習をするなかで上達するにつれてバドミントンの奥深さを知り、今では大好きなスポーツの一つです。
 バドミントンの魅力はといいますと、シャトルを打った時の爽快感、スピード感のあるゲーム展開、そして一番の魅力は、年代を問わず誰もが楽しめることだと思います。
 自衛隊に入隊してしばらく経ったあとに駐屯地にもバドミントンクラブがあることを知り、入部することにしました。
 自衛隊のバドミントン大会にも出場した際にも他部隊との交流を深める事が出来ました。
 また、駐屯地近くのサークルに積極的に参加し、大会等にも出場し、今ではバドミントンを通じて、地域との交流などの場にもなっています。バドミントンに出会ってもう12年が経ちましたが、今でもバドミントンの魅力にはまっています。
 体を動かすのが好きな方、人と人との交流をしたい方などぜひともバドミントンを始めてみてはどうでしょうか。

体験航海に参加して
高校1年生 高橋真理(群馬地本投稿)

 昨年、晴海埠頭で行われた体験航海に参加して、自衛隊に対するイメージが変わりました。今までは遠い存在だなと思っていましたがずっと身近に感じられました。当日は、自衛官の方がわかりやすく説明してくれました。艦内は食堂、お風呂、お手洗いなどがあり私が思っていたよりずっと私たちに近い生活だなと思いました。また、艦内を見学していると自衛官の方々があいさつをしてくれました。笑顔で話してくれたり、写真を撮ってくれたりと、みなさんとても優しかったです。私は今まで少し怖いなと思っていたので、体験してみて本当のことが知れてよかったと思っています。女性の方もいらして、やっぱり優しかったです。
 2時間と少しの航海でしたが沢山のことが知れました。
 体験航海に参加する以前の私のように、自衛隊をイメージすると遠い存在だと思っている人がたくさんいると思います。違うんだ、と知ってもらいたいです。このような機会はあまりないのでまた参加したいなと思いました。

自衛官として母として
岐阜地方協力本部 3海曹 土田みえ子

 私は一昨年に第1子を出産しました。それから2年が過ぎ、今まで以上に目を離せなくなった子どもの育児に毎日奮闘しています。周りの人たちにたくさん助けられて、毎日を過ごしています。そのことにとても感謝するとともに、働くお母さんがどれだけ大変なのか、毎日実感しています。
 そんな中、先日職場で非常呼集訓練が実施されました。私は上司から「非常呼集がかかったら、子どもを預けてから登庁しなさい」と言われていたので、いつもの時間に登庁させてもらいました。このことにはとても感謝しています。しかしながら、実際に災害等で非常呼集がかかったときは?保育園も閉鎖されていたら?主人も自衛官であり、身近に子どもの面倒を見てくれる人はいません。そうなれば、職場に子どもを連れて行くしかありません。
 しかし、子ども連れでは非常時の職場でまともな業務ができるとは到底思えません。都心部の大きな基地、駐屯地等では敷地内に託児所が設置されていると聞きますが、ごく一部に過ぎません。全国には私と同じようにいざというときは子どもを職場に連れて行くしかない隊員が多くいるはずです。「非常事態にこそ実力を発揮しなければならない自衛官でありながら全く役に立たない自分」というもどかしさを抱えた隊員が多くいるはずです(勿論、女性隊員だけでなく男性隊員にも言えることです)。
 女性は結婚をし、子どもを育てます。そして働き続ける人も大勢います。防衛省が社会一般的に見て働く女性に厳しい環境とは言いません。寧ろ配慮されている方だと感じます。しかし、上記のようにもどかしい現実を抱えた隊員もいます。私は定年を迎えるまで自衛官として働きたいと思っています。子どもには少なからず負担を強いることもあると思います(勿論、その負担を最小限にする努力は怠りませんが)。
 今後、一日でも早く全国の基地、駐屯地等で育児面での環境が整備されることを願うとともに、私自身も数々の困難に負けない強い自衛官、そして母親を目指し、毎日を過ごしていきたいと思います。

必通の精神
第12普通科連隊(国分)陸士長 反田大輔

 第12普通科連隊は1月11日から3月25日までの間、初級部隊通信養成訓練を実施した。
 私は、情報小隊の通信手として勤務するために、本教育に参加を希望した。初めて目にする機材も多く、また使用法も複雑で慣れるまでに時間がかかったが、丁寧に教育がなされた事もあり良く理解することができた。
 今回の教育を通じて、最も強い印象を受けたのが、通信は指揮の命脈ということである。通信の途絶は部隊の組織的行動を困難にするわけであるが、その一方で、通信の構成・維持・運営は非常に大変である。このことに着意した上で「必通」という言葉を考えると大きな意義を感じる。
 私の所属する情報小隊は、獲得した敵情を通信で報告するので、まさに「必通」の精神が重要となる。
 今回学んだことを小隊での訓練に活かすとともに、任務達成に貢献していきたい。

募集広報を経験して
第3輸送航空隊(美保)空士長 和田濱明香(宮崎地本投稿)

 2ヵ月間、新田原分駐所での臨時勤務をさせて頂きました。
 募集広報という普段できない勤務をさせて頂き、本当に良い経験になりました。部隊ではしない事務の仕事内容に不慣れで大変な事もありましたが、所長をはじめ広報官の方々のサポートもあり、無事に臨時勤務を終える事ができました。地域の方々との繋がりを大切にしている広報官を見て、広報という職務の素晴らしさを感じ、私もいつかは広報官になってみたいと思いました。新田原分駐所をはじめ宮崎地本の方々にも大変お世話になりました。原隊に復帰しても、この2ヵ月間の臨時勤務で学んだことを活かして頑張りたいと思います。2ヵ月間ありがとうございました。


「頑張っています」新しい職場
活躍するOB シリーズ
日本大学本部学生支援部就職課 諏訪 猛
諏訪氏は平成21年12月、小平学校を3陸尉で定年退職。55歳

 防衛ホームには、平成4年3月から「防衛ホーム英会話」を連載させていただいていますが、本人の近影がでるのは面映ゆい感じがします。陸上自衛隊では、普通科10年、陸幕勤務10年、情報部隊勤務で10年、学校教育3年とバランスよく自衛隊生活を充実させることができたと思っています。平成21年12月4日に定年を迎え、約1年間の長い就職活動の結果、援護センターの紹介で、日本大学本部に再就職させていただきました。
 就活を始めたのが定年の5年前、キャリアアップのため大学編入、大学院への進学、TOEICへの挑戦、小平学校英語教官への配置希望と自衛隊生活の中で考えられる最大(自己判断)の就活をしましたが、応募した機関、団体からは、丁寧な不採用通知を幾度となくいただきました。5年前の状況判断はそれなりに良かったと思いますが、リーマンショック等による就職状況の劇的変化に翻弄された感があります。定年まで2か月という時点でも面接さえ受けられないという苦しい状況でした。
 そんな折、東京地本から「非常呼集」がかかり、急遽、休暇を取り出頭したところ、「1700に日本大学から求人票のFAXが届くので待て!」とのこと。FAXを受信し、担当官が読み上げる条件を聞いた後、「お願いします。」の一言で決まりました。翌々週から週3日の研修となり、定年退官日翌日に採用となりました。動き自体は非常に劇的でしたが、援護室の事前の細部にわたる調整により、非常に好条件で採用していただき深く感謝しております。再就職の要は、1年前には具体的な企業や職種が口にできるほど、多くの求人票を読んで研究しておくことだと思います。援護担当官とのコミュニケーションも大切ですね。
 日本大学は12学部(12キャンパス)を有する総合大学であり、日本大学本部は司令塔にあたります。所属する学生支援部は、就職課、キャリア支援室、学生課があり、学生生活の支援と就職を支援する部です。職務は、庶務、文書、管理業務であり、業務内容は多岐にわたります。企業から送付されてくる求人資料、官公庁の文書受付・配布、企業のインターンシップ関連、企業説明会などのイベント情報を各学部へ送付、来訪企業の記録、新聞、ビジネス誌からの就職関連情報の収集等の恒常業務の他、合同就職セミナー、公務員セミナー、企業懇談会等のイベントの支援等、大変やりがいのある仕事です。
 弊学は、「自主創造」の精神と150周年へ向けての飛躍の熱意にあふれた職場です。法規、規則がしっかりと整備されているところは自衛隊と似ており、遵法精神をもって行動すれば、大きな間違いはありません。しかし、学生の就職援護として企業と連携していく業務は、まさに異文化です。企業名はほとんどがカタカナ、丁寧な言葉使い、ささやくような話し方、最新の電子機器の運用、複雑な業務システム等、自衛隊生活とは大きく異なります。就職率が、学生獲得の要素ともなり、大学経営に直接影響する緊張感もあります。毎日、新しいことに挑戦し、それに慣熟していく必要があります。
 誰でも再就職1年目には経験することだと思いますが、なかなか思い通りに力をだすことはできません。職場のやり方を良く研究し、「オノレヲムナシク」し、すべてを素直に受け入れていく心が一番大切だと思います。また、健康管理には、特に留意する必要があります。本採用となるまでは、休暇が数か月間付与されません。一日の疲れをその日にとり、環境の変化によるストレスは溜め込まず解消する方法を考えることです。私は、帰宅までの電車での読書、自宅でゆっくりと湯船につかることでストレス解消を試みました。家族を大切にし、調和を家庭に維持することで明日への活力が沸いてきます。
 ゆったりとした心で、きびきびと行動すれば、新しい職場でも受け入れていただけると思います。自信を持って、羽ばたいてみてください。
 ※(現在は、長年の夢が叶って、東京大学大学院で研究を継続しています)


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