安全啓発センターで日航機事故の教訓学ぶ
立川駐屯地広報班 2陸曹 尾形 雄一 |
立川駐屯地広報班は、班長以下6名の班員により、羽田空港に所在する安全啓発センターを研修しました。
同センターは、昭和60年8月12日に群馬県多野郡上野村御巣鷹山に墜落した日航機123便の事故を風化させず、悲惨な事故から得た数々の教訓を今後に活かす目的で設立されたものです。
センターには、事故機から回収された数々の部品や遺族の方々から提供された遺品(墜落直前に家族へ宛てた手紙など)が展示されています。
また、事故当日の不具合発生から墜落までの状況をフライトレコーダーからの解析により、細部に至るまで再現しており、事故の恐ろしさを改めて感じることができます。
事故当時、私は高校生であり、報道などを見て覚えていますが、若年隊員にとってはまだ生まれる前の事故のため詳しく知らない人も多いと思います。同センターは、一般からの研修(要予約)も受け入れていますので、是非一度行ってみてはいかがでしょうか。安全管理に関する貴重な情報が得られると思います。 |
趣味について
第38普通科連隊(八戸)3陸曹 齊藤新一郎 |
最近、趣味を聞かれることが多く、そのたびに悩んでしまう事が多々あります。「自分の趣味は何です」と自信を持って答えられるほどの趣味を持っていないからです。
やっぱり、結婚をして子供ができると、自分だけの時間が少なくなり、趣味をあきらめてしまいました。
しかし、いま子供も小学2年になり、何にでも興味を持ってきたので、自分の趣味だった釣りやキャンプを教えて、休日、休暇を利用して、楽しさを伝えていきたいです。
趣味は、自分の意欲や知識の向上につながると思います。これからは、趣味に積極的に取り組んでいきたいです。 |
一年を振り返って
兵庫地方協力本部非常勤 牧嶋 志保 |
私は、22年4月に非常勤隊員として採用され、加古川地域事務所で勤務し、もうすぐ1年を終えようとしています。
この1年を通して、女性らしく、明るく元気な職場の雰囲気作りに心がけ、広報官の方が100パーセントの力で広報活動が出来るよう取り組んできました。
また、受験生一人一人との出会いを大切にし絆を深め、受験率向上を目指すことに力を入れてきました。初めて自分が担当し、そして入隊へとつながった喜びを一緒に感じることができ、とてもうれしく思っています。この経験が今の自分の支えとなっています。
所長をはじめ、所員の方々の厳しくも温かいご指導のもと募集業務を担当させていただき、あらためて広報活動の大変さや個人情報を取り扱うことの重大さを痛感しました。小さなミスが大きなミスへとならないよう過信せず、何度も見直す力も身に付きました。
加古川地域事務所の一員となり、募集業務に携わることができたことを誇りに思うとともに採用していただけたことに感謝の気持ちでいっぱいです。
また機会があれば何度でもチャレンジしたいと思っています。1年間ありがとうございました。 |
積雪地訓練
第304施設隊(出雲)陸士長 福岡 亮 |
私は小学生の頃に1回ほどスキーをした経験がありますがちゃんと滑れるか不安もありました。初日は基礎練習をやり、左右に曲がることも出来ず転ぶばかりでスキーは簡単に出来るものではないと感じました。
でも、指揮官の班長から滑り方のコツを教えて頂き、だんだんと転ばず滑れるようになり、さらに一つの滑り方ではなく、色んな滑り方を教えて頂き徐々に滑れるようになることが出来てとても嬉しくなりました。
短期間の訓練でしたが、とても充実していてスキーは楽しいなと凄く感じることが出来ました。私は、これから色々なことに挑戦しようと思い、一つでも二つでも良いので趣味を持ち私の特技に出来るものを探していこうと思います。
最終日には検定と6Km走があり、検定では苦手な滑りがあったのでリベンジ出来るよう来年度も参加し、少しでも技術が向上出来たら良いなと思います。6km走は思った以上に過酷で私自身、この訓練で初めての事ばかりだったので良い経験になりました。積雪地訓練で経験できた事が今後の訓練に活かす事が出来るよう一日一日を大切に過ごし頑張って行こうと思います。 |
隊員の皆様へ
小平駐屯地モニター諸江 公規(小平駐屯地投稿) |
未曾有の大災害といわれる「東日本大震災」の被災地にいち早く駆けつけ、不眠不休で命をかけて活動されている陸海空自衛隊の10万人を超える隊員の皆様に、心から敬意とお礼を申し上げさせていただきます。
福島第一原発の原子炉への放水に自らの命をかけている多くの隊員、また、困難な被災地での生存者捜索や全国から寄せられた救援物資の搬送路確保、大変多くの遺体収容など、連日の活躍をテレビや新聞で知るたびに、国を守る、国民を助けるという自衛隊の本務に自らの命をかけて使命達成に頑張っている隊員の勇気と力強さに感謝するとともに、深い感動の念を覚え心から敬意を表します。
自らの基地が津波により滑走路やヘリコプターが流されたため、機能不全になった松島基地の隊員の方が自分の家が流された被災者であるにも関わらず、優しいまなざしを浮かべながら「早く基地の機能を復旧させ、前線基地として救援に役立ちたい」と家にも帰らず24時間体制で頑張っている様子を見て、思わずテレビに向かって最敬礼をしておりました。隊員の皆様の命をかけた活動に対し友人や知人、そして日頃は自衛隊の存在意義に疑問を呈していた知り合いの市議会議員が、東日本大震災への自衛隊の災害派遣に感激し、差し入れでもしたいと応援している様子にうれしく思っております。
自衛隊は国を守るという基本的な役割のほか、災害派遣、国際平和協力など国民生活に必要な直接、間接活動を行っていることから、まさに国民の平和と安全を仕事にするということを実践していると思いました。現在の危機状況を脱却し復興に立ち向かっている自衛隊に対して多くの人が「国を守る自衛隊を支えるのは国民自身である」という信念のもと、お互いに手を携えて国難を乗り越えていく必要があると思います。隊員の皆様、どうか身体に気をつけて頑張ってください。よろしくお願い申し上げます。 |
新たな決意
第32普通科連隊(大宮)2陸曹 吉岡 大司 |
私は第92期一般幹部候補生(部内)を受験しましたが不合格でした。受験結果を知らされたときは次の受験はあきらめようと思いましたが、自分なりに考えた結果、次回も受験する決意をしました。
12月10日、中隊長から不合格の通知を受けました。結果が出るまでは、「不合格だったらまた来年も受ければよい」と思っていましたが、いざその状況になると「来年は受けたくない」と弱気になりました。受験に対しできる限りのことはしてきましたが、幹部としての人間性や教養、知識、その他にも足りないところ、変えなくてはいけない部分があったのだろうと痛感しました。不合格は残念ですが、自衛官として成長するためのチャンスを与えてくれたと前向きにとらえようと思いました。
試験の結果が出たとき上司にメールで報告すると「腐るなよ」との返信があり、中隊長からも同じことを言われました。私はその言葉の意味がわからず、「自分はそんなことはないだろう」と思いました。しかし、試験結果を知らされたときは来年の受験はあきらめ、「陸曹のままでいこう」と思ったことは確かです。私自身、これまで営内班長やレンジャー助教という立場で後輩を指導する機会がありましたが、そんな弱気な考えをしたことはありませんでした。今回、自分の弱い部分を垣間見て、後輩たちがどんな想いで指導を受けてきたか、どんな言葉をかけて欲しかったのか、少し理解できたような気がします。受験に際して指導していただいた上司や教官、助教、また、お世話になった方々の気持ちを無駄にしないためにも、また受験したいと決意しました。 |
2月7日喜びの日
第7普通科連隊(福知山)3陸曹 鈴木 有則 |
私は2月7日に実施された「平成22年度隊歌競技会」に本部管理中隊の隊歌総指揮者として参加し優勝しました。訓練当初は本部管理中隊の特性で各種の多忙な業務のために、中隊全員が揃っての編成が思うように実施できず不安でした。そこで、中隊の目標と概略の要領を示したところ、日々の練習に加え各演習先でも士気旺盛に練成を重ねてくれました。「第7普通科連隊歌」では日本海の波をイメージし、肩を寄せ合い左右に揺れ動く演出を行い、中隊の選曲の部では「雪の進軍」を歌う際には7連隊は、積雪地部隊であることから中隊全員が白色外被を装着し、足踏みを加え、雪中行進を意識した演出を行いました。これらの季節の要素と、創意工夫、そして中隊の団結が優勝を導いたと思います。私はこの競技会を通じて本部管理中隊は隊歌だけでなくその他の競技会においても隊員一人一人の目的意識とたゆまぬ練成、団結力があれば優勝できるものと確信しました。
また、私事ではありますが、優勝したこの日に子供が生まれるという2重の喜びがありました。私にとって、この日は生涯忘れられない記念日となり、中隊の仲間が、「私に幸福を運んでくれた1個中隊規模の大きな天使」に見えたこと。私は、この嬉しさと、感動を大切にして、訓練や服務指導にも活かしていきたいと思います。 |
任期満了を迎えて
第6戦車大隊(大和)陸士長 菊地 雄揮 |
私は2年前の春に仙台の第2特科群で新隊員前期教育を受け、第9戦車大隊での後期教育を経て第6戦車大隊に配置されました。
当初私は第2中隊を希望していましたが、第1中隊に配置されました。今は第1中隊で良かったと思っています。先輩隊士は皆良い人達で、配置当初から面倒見が良く、時には厳しかったりもしましたが、私が仕事で困ったときは親身になり一緒に悩んでくれました。陸曹の方々も、最初は慣れる事が出来ずまともに話す事も出来ませんでしたが、次第にユニークな人が多い事が分かりとても親しみやすかったです。
自衛隊での生活はこれまで働いた事の無かった自分にはとても貴重な経験です。
私は3月に1任期で任期満了退職しますが、この経験を活かし次の職場で頑張りたいと思います。 |
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「頑張っています」新しい職場
活躍するOBシリーズ
極東警備保障(株) 伊 田 豊
伊田氏は平成22年6月、館山航空基地隊を海曹長で定年退職。54歳 |
私は、昭和53年に練習員として海上自衛隊に入隊し、平成22年6月に館山航空基地隊を最後に定年退職しました。
定年を前にして再就職先をどうするか考えていましたが、これといった就職先の希望も無かったため館空基の就職援護室に行き援護依頼をしました。
すると、しばらくして援護室から館空基のボイラー関係のアウトソーシング業務で1名を補完することとなったが希望するかとの問合わせがありました。現在の勤務地である館山基地内ということと、元は機関科員であったことから直ぐに希望の旨を伝え、会社側からの業務内容の説明を受けました。その際2級ボイラー技師の免許が必要とのことでしたが、私は保有しておらず、これはだめかと思いましたが、会社側から「免許を取得したならば採用しますので必ず取得して下さい」と言われ、私は取得できなければ再就職はないと思い、必ず取るぞと決心しました。職場や援護室等の方々から親身にサポートしていただいたおかげで無事、免許を取得でき極東警備保障に採用が決まりました。
主な業務は社名が表すように警備業務が主体であり、設備業務は日が浅いですが何事にも積極的で、前向きな会社です。業務内容は、ボイラーの保守管理及び付属機器の整備補修です。
自衛隊生活の大半を潜水艦のディーゼル員で過ごしましたので、業務には比較的早く慣れることができ会社の人たちにも溶け込めました。これも自衛隊生活で学んだことが大いに役立ったのだと感じています。
私の場合は、色々な方のサポートにより、すんなりと再就職が決まりましたが、これから再就職する人たちに私なりのアドバイスを送るとしたら、明確な希望や目標を決めてそのために必要な資格等の情報を集めることです。そして何よりも一人で考え込むことなく周囲の人たちに相談しましょう。色々なアドバイスや思いがけない就職先があると思います。
最後に皆さん、明るい再就職を目指し頑張りましょう。 |
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