〈空自派遣活動〉
航空自衛隊では隊員2万1300名が派遣され、輸送機やヘリを活用して援助物資・人員の輸送、人命救助のほか、給水や炊き出し等の生活支援など幅広く活動した。
震災当日は、直後にF-15を発進させ情報収集を行ったことに続き、岩手県陸前高田市で三沢ヘリが11人を救助した。空自が救助した人数は3471人に上っている。その後は、輸送活動が中心となり、陸路での物資供給が滞る中で、空自は被災地への救援物資輸送に重要な役割を果たすこととなる。被災地で唯一大型輸送機が着陸できる自衛隊輸送拠点として滑走路の復旧が急がれていた松島基地では、3月16日から次々と物資が到着し、避難所などに運ばれた。空自では食料や毛布、粉ミルクや簡易トイレ、灯油など約1330tの物資のほか、災害派遣医療チーム(DMAT)や海外からの援助隊などの人員も1000名以上運んだ。
生活支援では給水、食料や毛布の配布を行った。また、避難所での巡回診察なども被災者らの不安解消に役立ったようだ。その他、道路啓開としてクレーン車を使って瓦礫を除去したり、火事が起こった時には空中消火をしたりと復旧支援にも大きく貢献した。
福島原発に対処
地震と津波で被害を受けた東京電力福島第1、第2原子力発電所では、原子炉の冷却機能が失われる事態となり、政府は原子力緊急事態宣言を発令するとともに、同原発周辺住民に対して避難指示を出した。こうした状況を受け、北澤防衛大臣は自衛隊に原子力災害派遣命令を発出、中央即応集団(CRF)を主力とする原子力災害派遣部隊約500名が放水作業をはじめ住民の除染、避難輸送などの作業を実施した。
放射能拡散を防ぐためには原子炉や使用済み核燃料を冷却させる必要があるため、自衛隊は警察や東京電力などと共同で放水作業や炉心冷却装置などの電源復旧作業支援を行った。震災当日、CRFに所属する中央特殊武器防護隊の隊員と化学防護車が大宮駐屯地を出発、福島第一原発付近に置かれた緊急事態応急対策拠点施設「オフサイトセンター」に向かった。現地では住民に対する除染や給水作業を行った。3月17日からは、空からの海水投下と地上からの放水作業も開始された。大型輸送ヘリのCH-47×2機は午前8時56分、機体の下に海水を入れる「野火消火器材」を吊り下げ、霞目駐屯地を離陸。途中、仙台空港沖で器材に7・5tの海水を汲み上げたあと、福島第一原発3号機に投下した。また、地上からは陸空の消防車両5台が計約30tを放水した。その後も東京消防庁などと連携を取りながら、決死の放水作業は続けられた。
また、福島県の双葉町老人福祉会館と厚生年金病院の要介護老人ら約200人を川俣町農村広場に空輸したほか、原発周辺の住民に対する避難輸送も行うなど、自衛隊では原発対応を懸命に続けている。
初の予備自招集
北澤大臣は3月16日、東日本地震の救援活動を支援するため、予備自衛官と即応予備自衛官の災害招集命令を発出した。予備自衛官らが実際の任務に招集されるのは、1954年の自衛隊創設以来、初めてのこととなる。
招集に応じた予備自衛官らは、順次被災地に派遣され、給水や食事の提供など被災者への生活支援のほか、海外からの救援部隊の通訳などの任務に就く。
広がる支援の輪
東北地方太平洋沖地震の被災地で懸命の救出活動が続く中、被災者たちへの支援の輪が世界各国で広がっている。
外務省によると130ヶ国以上から緊急援助隊や緊急物資・義援金等の支援の申し出を受けた。支援物資は被災地のニーズを踏まえ、毛布や飲料水、非常食、マットレスなどが被災地に運ばれた。また、3月28日までにイタリア、インドネシア、英国、韓国、豪州、シンガポール、スイス、台湾、中国、ドイツ、トルコ、ニュージーランド、フランス、米国、南アフリカ、メキシコ、モンゴル、ロシアの18ヶ国・地域からの緊急援助隊等を受け入れた。
米軍の支援
特に、米軍は今回の震災に対する支援活動を「トモダチ作戦」と命名し、1万人以上を動員して大規模な救援活動を3月13日から開始した。西太平洋を航行中だった米空母「ロナルド・レーガン」など艦艇8隻が東北地方沖合で集結し、物資の輸送や捜索・救難活動を行った。また、北海道・苫小牧港に入港した米海軍第7艦隊の揚陸艦「トーテュガ」は、陸自5旅団の隊員約270名と車両約90両を海自大湊基地に輸送した。米艦艇が陸自部隊の輸送支援を行うのは初めて。
一方、在日米軍との共同活動を緊密に行うため「日米共同調整所」が統幕と東北方面総監部(=仙台)にそれぞれ設置され、日米の担当者らが参加して協議を重ねている。より効率的な支援をするための態勢を整え、米国との連携を一層深めるなど両国の協力関係は一層深まっている。 |