防衛ホーム新聞社・自衛隊ニュース
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自衛隊ニュース   938号 (2016年9月1日発行)
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美ら島レスキュー2016 
〈15旅団〉
 第15旅団(旅団長・上尾秀樹陸将補(当時))は、7月20日から21日の2日間、沖縄本島南東沖地震(琉球海溝型)とそれに伴う津波被害を想定した図上訓練・実動訓練「美ら島レスキュー2016」を実施した。本訓練は、旅団主催のもと沖縄県庁をはじめ、県内の行政・公共機関等を招致し、発災直後の情報収集や活動調整に関する認識の共有、各機関の現状の問題点の明確化に加え、県を主体とした各種活動に関する方針の確立と活動調整の具体化を狙いとし、平成25年度から開始し今年度で4回目となった。
 本訓練の特徴は、自衛隊側が詳細な状況付与を含む統裁を一元的に担い、県庁を中心とする参加機関が情報を収集し、調整、意思決定をしていくという極めて実際的なものであるとともに、状況に連動して関係機関が共同して対処するものであり、全国でも類をみない訓練となっている。
 訓練を開始した平成25年度は、参加機関22機関80名足らずだったが、訓練の有用性が伝えられて逐次規模が拡大し、今回は、訓練開始当初の6倍を超える参加機関89機関526名と県内のほぼ全ての防災関係機関が参加する、沖縄県になくてはならないとまで言われる防災事業となった。
 訓練に参加した沖縄県防災危機管理課は「常日頃からの任務と連携先を十分に理解していないと、後手に回る事をあらためて痛感し、美ら島レスキュー2016の教訓を元に、更なる防災機能を飛躍させていきたい」と力強く述べた。
 また、21日、那覇駐屯地において、熊田裕通防衛大臣政務官(当時)の視察を受けた。旅団顕彰室における殉職隊員への顕花、旅団長による状況報告の後、美ら島レスキュー2016、不発弾処理展示及び中SAM等の装備品について視察受けし、南西防衛における第15旅団の活動について認識してもらった。

日米親善盆踊り大会
〈座間駐屯地〉
 8月6日、座間駐屯地(駐屯地司令、中央即応集団司令部幕僚長・豊田真1陸佐)は「第57回日米親善盆踊り大会」を米軍との共催で実施した。
 自衛隊は、準備段階からやぐらの飾り付けや、メイン会場の構築等を実施したほか、当日は手荷物検査や落し物受付等を支援し、行事の運営に貢献した。
 盆踊り会場では、主催者である駐屯地司令と、在日米陸軍基地管理本部司令官ウイリアム・ジョンソン大佐の挨拶に引き続き、米軍、自衛隊そして地元地域から参加した多数のチームが盆踊りを披露し、大いに会場を盛り上げた。
 また、駐屯地各会場においては、協力団体や地元関係者等と懇親を深めたほか、家族支援も実施し、楽しい夜を過ごした。
 当日は猛暑にも関わらず約2万2,000人が訪れ、駐屯地司令要望事項である、 "駐屯地一丸、地域とともに、米軍とともに" を具現した一日となった。

第27代連隊長 淺田1陸佐着任
〈40普連〉
 8月1日、第40普通科連隊第27代連隊長兼ねて第32代小倉駐屯地司令として淺田健1陸佐が就任し、小倉駐屯地において着任式を挙行した。
 着任の辞では、連隊長要望事項として「指針の明示」「確認と報告」「成果の蓄積」を掲げ、北九州市を始め地域住民百万人以上の住民の期待に応えることを誓った。
 また、駐屯地司令要望事項として「即応態勢・規律の維持」「地域・関係機関との連携」を掲げ、平素の段階から、地方自治体・警察・消防・その他関係機関と連携を図って、速やかに派遣できる体制を確立し、地域に安心を提供できる小倉駐屯地でありたいと述べた。
 連隊は、淺田新連隊長を核心として更なる精強化を目指す。

恒例の港見送り
〈対馬駐屯地〉
 対馬駐屯地(司令・三塚克也一陸佐)は、8月1日対馬の海の玄関口である厳原港で、港見送り行事を実施した。
 この行事は8月と3月の2回、定期異動により転出する隊員に対し駐屯地司令以下全隊員が厳原港フェリーターミナルに集合して実施している対馬駐屯地特有かつ恒例の行事であり、まず、転出者を代表して須賀3陸佐が「対馬と駐屯地の隊員間の強い繋がりを常に胸において次の部隊でも勤務します」と挨拶した後、全隊員での万歳三唱により、国境離島の対馬で防人として任務を完遂した功績に感謝するとともに、新任地での活躍とご家族共々のご健勝を祈念し、「蛍の光」が流れる中、たくさんの紙テープと止むことのない激励と感謝の言葉で船が見えなくなるまで見送った。

放送局の取材協力
〜戦後71年、苦竹製造所だった駐屯地で当時を振り返る〜
〈仙台駐屯地
 仙台駐屯地(司令・權藤三千蔵陸将補)は、TBC東北放送(番組名『Nスタミヤギ』)が企画する、『戦後71年 女子挺身隊の女性 戦争を語る』というテーマの取材に協力した。
 本企画の趣旨は、当時石巻の実業女学校から女子挺身隊に入隊し、苦竹にあった東京第一陸軍造兵廠仙台製造所(通称「苦竹製造所」と呼ばれ現在の仙台駐屯地)で働いていた、石巻に住む佐々木ひさをさん(88歳)に、現在の仙台駐屯地内を歩いてもらいながら当時の記憶や思いをお聞きし、戦争について考えるもの。
 当初、防衛館の『駐屯地歴史・米軍駐留コーナー』において、苦竹製造所のジオラマを見ながら当時を振り返り、工場や学徒寮、病院等を指差し「3ヶ月の教育を受けた後にここへ来たが、短い教育期間で実際に製造することはとても難しかった。芸能人の慰問が何より楽しかった」など当時の様子を話していた。次に防衛館の外に展示している『空襲警報サイレン』を見たり、現在東北補給処の保管回収倉庫となっている、製造所時代から残る建物及びプラットホーム跡を歩きながら、当時を振り返り懐かしむとともに平和を切に願っていた。
 駐屯地では、今後も各種取材等に積極的に協力し、自衛隊をアピールするとともに、自衛隊及び駐屯地への信頼と理解を得るように努めていく。

前人未到の3連覇達成
〜第10回全自拳法富士山大会〜
〈20普連〉
 第20普通科連隊(連隊長・西村修一陸佐=神町)の連隊拳法訓練隊(教官・第1中隊 赤平裕司曹長)は、7月18日、ウェルピアながいずみ(静岡県沼津市)で行われた「第10回全自衛隊拳法富士山大会」に教官以下18名が参加し、見事優勝、前人未到の3連覇を達成した。
 全自衛隊拳法富士山大会は、28歳未満の隊員が、三人一組(登録選手5名中、3名が対戦)の団体戦で勝敗を競い合うもので、今年は全国より93個チームが参加。連隊からはA、Bの2個チームが本大会に臨んだ。
 20連隊チームは、各種大会優勝や本大会2連覇中の最強チームとして、全国各チームからマークされ研究されており、各チームは対20連隊用の戦法で我が20連隊チームを苦しめた。しかし、地力に勝る20連隊Aチームは並み居る強敵と「追われる重圧」をはね退け、堂々と栄冠を勝ち取り、さらに20連隊の名を全国に轟かせた。7月19日、大会3連覇の偉業を達成した訓練隊を、連隊全隊員が2号隊舎前で出迎えた。堂々と凱旋した訓練隊を代表し、Aチームで活躍した高橋直也3陸曹が、「優勝出来たのは、連隊の皆様のご協力とご声援のおかげです。本当に有難うございました。今後も各種大会が予定されていますが、この結果に満足することなく更に精進して行きます」と力強く語った。
 連隊拳法訓練隊は、12月に実施される「東北自衛隊拳法選手権大会7連覇」と、3月に実施される「全自衛隊拳法選手権大会王者奪還」に向け、山形特有の酷暑の中、今日も訓練に励んでいる。
【教官:赤平曹長のコメント】
 「選手には追われる立場で研究されているため、厳しい戦いになることを伝え戦いに挑みました。しかし、選手はそのプレッシャーを力に変え戦ってくれた結果です」

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