永田喜代志さん(74)は沖縄県名護市在住。父兄会北部支部事務局長で、地区の募集相談員を務める。私有車に拡声器を取り付け高校生の登下校に合わせた広報活動を10年以上続けている。歴史的な背景もあり、活動を始めた当初は自衛隊に対し良い感情を持っていない一部市民もいたが、近年では「自衛隊に対する好感や関心が急激に高まっているのを肌で感じる」(永田)という。
—ご子息が自衛官でいらっしゃいますね。
永田 私は若い頃に愛知県で働いていたのですが、同僚に元自衛官の方が沢山いる職場でした。「自分も自衛官に!」と強く志望した時期もありました。しかし、年齢を理由に諦めざるを得ませんでした。息子は米軍のグッズを集めたり、幼い頃からそうした嗜好のある子でしたが、駅伝選手の息子を応援しに足を運んだ陸上競技場のスタンドで高校生をスカウトされていた広報官と出逢ったのが直接のきっかけです。昭和61年の夏でした。広報官からお話しを伺い、息子に自衛官になるよう薦めました。翌年海上自衛隊へ入隊して、もう四半世紀になります。
—平成10年からは地区の募集相談員に。
永田 息子の存在も含め、父兄会を通じ自衛隊の活動や現職の隊員と接するうち、「地域の子ども達が自衛官として活躍して欲しい」と強く思うようになりました。息子は運よく素晴らしい出逢いがありましたが私のように自衛隊を知らずに大人になる若者が多いことが勿体ないと感じていました。
相談員になってから、私有車に募集看板を取り付け、近所の4つの高校の登下校に合わせ拡声器を使った広報を始めました。「妨害や嫌がらせなどがあるかも」と不安でしたが案ずるより産むが易しで、懸念したほどではありませんでした。それでも当時は、「名護ファミリーコンサート」の会場に数十人で集まり「自衛隊反対」のシュプレヒコールを上げる団体もいました。その後、国内外の災害派遣やPKO活動など、また、周辺諸国との緊張の高まりで安全保障について関心が高まっているせいでしょうか、近年では目に見える否定的な活動は殆ど無くなりましたし、コンサートをはじめ駐屯地・基地の一般開放など各種イベントに足を運ぶ市民が年々増えています。
—最後に今後の抱負をお願いします。
永田 先の東日本大震災以降、「自衛隊は素晴らしい。自衛隊がいないとやはり駄目だね」という声をたくさん耳にします。広報車を運転していると、高校生本人や親御さん、教師の方から相談を何10件と受けます。今後も募集相談員として募集事務所、父兄会、隊友会、防衛協力会との連携を密に行い、積極的な活動を続けていきたいです。 |