自衛隊ニュース
ノーサイド
北原巖男
油断
「コロナですね!」
「エッ・・・・・」
主治医の言葉は、僕を奈落の底へ突き落しました。
思えばコロナまん延時、本紙・本欄でも、隊員の皆さんやご家族、本紙読者の皆さんに、感染防止を何度も呼びかけて来ました。それでも感染者は激増。亡くなる方も多く、怖かったです。
30歳から寺小屋的予備校の名物講師を務め、身体を壊すことなど全く考えず全魂投入で授業や生徒対応、全国の高校を飛び回っていた高校時代の級友。「教え子たちの多くは、無名でも真に気高い人間に育ってくれた」と嬉しそうに語っていた彼がコロナに感染。あっという間に命を落としてしまいました。(2021年8月15日付け本欄「心に火を点けた教師」)あれだけ元気だった彼、教え子たちに心から慕われていた彼の、あまりにもあっけない最期に愕然としました。
ところが、その後2023年5月8日から、「法律に基づき行政が様々な要請・関与をしていく仕組みから、個人の選択を尊重し、国民の皆様の自主的取組をベースとした対応に変わります。」(厚生労働省HP)として、恐怖の新型コロナウイルス感染症は、これまでの「新型インフルエンザ等感染症(いわゆる2類相当)」から「5類感染症」になりました。
2類から5類になった理由や背景等は僕には良く分かりませんが、5類になってからは、気のせいかテレビでもコロナの感染状況についてはほとんど報じられなくなりました。大騒ぎして何度も受けて来たワクチン接種やその後開発された薬の効果もあるのでしょうか。僕の緊張の糸は解き放たれました。
僕は思いました。「あれだけ言われて来た三密回避や手洗い・マスク着用も、これからは国民各自の判断に任せるということは、コロナはもはや怖い病気ではない。そもそも、コロナまん延の真っ只中でもかからなかった。大丈夫だ。」
・・・甘く見ていました。・・・全く油断していました。思い上がっていました。
猛烈な喉の痛みに襲われたのです。そんな状況にかぎって唾がどこからこんなに湧いて出てくるのか。外に出すだけでは収まらない。唾をのみこまざるを得ない。その時の痛さといったらない。無情にも真っ赤な焼き火箸で突き刺され、焼きただれる激痛が走る。もうだめだ。せき込む。息が出来なくなるほど。閉じた目からは無念の涙。両方の耳の奥までが痛くなる。後悔。少しでも眠らなければ・・・
これまで、風邪や体調の悪い時の僕の訴えは、いつも大げさに過ぎるとして家人から疎んぜられ、常に斜めに見られて来ました。しかし今回は、これまでかかった風邪とは明らかに異なります。決して大げさではないのです・・・この苦しみを少しでも分かってもらいたい、でも適切な語彙を見出すことが出来ない、もどかしさに痛みが更に勢いづく・・・
少なからず入れていた予定はキャンセル。「さくらサイエンスプログラム」で来日中の東ティモールの高校生達と日本の工業高等専門学校の生徒達とのフォーラムも、急遽参加を辞退。どうしてもキャンセルが難しい事案は、家人が単独代行。(東奔西走のため、玄関を飛び出して行く後ろ姿には、頭が下がりました。)
主治医が勧める「ラゲブリオ」という特効薬を始め処方して頂いた沢山の薬を、すがる思いで飲み続け、ようやく回復しました。
あまり表には出ていないかもしれませんが、今もコロナ感染者は確実に拡大しているのです。ウイルスは、あなたを狙っています。
同じ頃、僕とそっくりな症状を体験された日本経済新聞の編集子が書いています。
「油断していた。・・・つばをのみこもうとするだけでガラス片が突き刺さったかのような激しい痛みが走る。咽頭が血まみれになった絵が頭に浮かぶ。・・・苦しくて眠れない夜の朦朧とした意識にコロナ禍に流行した言葉たちが浮かんでは消える。・・・我々はコロナに克つことを諦め、共に歩む道を選んだのだ。感染者数や死者数の発表を減らし病の広がりは見えにくくなった。だが、消えたわけではない。ウイルスの脅威と強(したた)かさを身をもって思い知った。自然を侮ってはいけない。」(2024年2月12日付け同紙「春秋」欄)
3月を迎えました。ウクライナ、ガザ、能登半島等、世の中は激しく動いています。5日は、大注目の米大統領選予備選スーパーチューズデー。11日は、あの東日本大震災・東京電力福島第一原子力発電所事故から13年。そして極北の刑務所に収監されていた反体制派指導者ナワリヌイ氏(47歳)が突然不審死したロシアの大統領選は、17日。
自衛隊員・ご家族の皆さん、本紙読者の皆さんも、公私ともに慌ただしく忙しい年度末と思います。
コロナによる安易な奇襲攻撃を許さない緊張感と抑止力を以て、国内外の動きを注視し、新年度から始まる任務や生活等への覚悟・準備に油断のない取り組みを続けて行ってください。
北原 巖男(きたはらいわお) 元防衛施設庁長官。元東ティモール大使。現日本東ティモール協会会長。(公社)隊友会理事
読史随感
神田淳
<第144回>地球温暖化問題について思う(2)
温暖化による地球環境への深刻な影響を防ぐために、今世紀半ばにCO2排出実質ゼロ(カーボンニュートラル)とすることが国際的に合意されている。しかし、その達成は容易でない。
すべての人間の活動にはエネルギーが必要である。食料もエネルギーである。エネルギーなくして人間は生存できず、社会、文明、文化も維持できない。現在、世界のエネルギー使用量は毎年604エクサジュール(石油換算144億トン)という膨大な量に達し、その82%が化石燃料である。この化石燃料が年314億トンのCO2を排出し、温暖化をもたらしている。CO2排出を実質ゼロにすることは、現代社会の基盤のエネルギーを根本的に変えることで、短期間で容易にできることではない。
産業革命によって工業社会となり、現代に至っているが、産業革命の本質はエネルギー革命である。木材が枯渇し、化石燃料が使われ始めた。石炭からコークスをつくり、製鉄にコークスを使う技術が開発された。ワットが蒸気機関を発明し、熱エネルギーを動力に変える技術を得た。紡織に蒸気機関が導入され、織物の大量生産が可能となった。ファラデーによる電磁誘導原理の発見は、発電機とモーターの発明をもたらし、電気の利用の道を開いた。電気は動力として、照明として、また熱としても使える非常に優れたエネルギーで、現代社会のエネルギー基盤となっている。しかし電気は二次エネルギーで自然界には存在せず、一次エネルギーからつくらなければならない。現在、世界の発電量の60%が化石燃料を燃やす火力発電によっている。
現代社会のエネルギー基盤は、化石燃料利用の多くの技術的イノベーションを経てできたものである。今後さらに活発な技術的イノベーションによって、CO2排出実質ゼロのエネルギー基盤を構築することができるだろうか。
発電部門、産業部門、運輸部門、民生部門別にみると、まず発電部門ではCO2無排出の技術は存在する。原子力と再エネである。再エネは出力不安定のため、大量導入するには調整電力のイノベーションが必要である。調整電力として水素利用技術と蓄電池は存在する。再エネ、水素利用、蓄電池に一層のコストダウンを得て、原子力、再エネ、揚水発電、水素、蓄電池の組み合わせでCO2無排出の電力供給基盤を実現できるかもしれない。
産業部門では、製鉄にコークスを使う鉄鋼業からのCO2排出が大きい。水素還元の原理を導入し、高炉に水素を吹き込んで20%ほどCO2を削減する技術は実証されたが、全面的な水素製鉄はできていない。
運輸部門は、搭載電池のコストダウンによってEVが普及し始めている。EVはCO2無排出であるが、EVに充電する電気を火力発電に依存するかぎり、乗用車のEV化は脱炭素を意味しない。運輸部門の脱炭素は多くが発電部門の脱炭素に依存する。
民生部門はオール電化によってCO2無排出となる。民生部門の脱炭素も発電部門の脱炭素に帰着する。
CO2排出実質ゼロの実現性を概観すると、発電部門における脱炭素が最も重要であることがわかる。発電における脱炭素は原子力利用をベースとし、再エネと各種調整電力の技術的イノベーションを得て達成できるように思われる。多くの技術がすでに存在している。実用技術となるには、大きなコストダウンを含むイノベーションが必要である。カーボンニュートラルが今世紀末までには達成できると思いたい。
(令和6年3月1日)
神田 淳(かんだすなお)
元高知工科大学客員教授。
著作に『すばらしい昔の日本人』(文芸社)、『持続可能文明の創造』(エネルギーフォーラム社)、『美しい日本の倫理』などがある。
優秀空曹を北空司令官が招待
2月19日、北部航空方面隊司令官の亀岡弘空将は、三沢基地において「令和5年度優秀空曹北部航空方面隊司令官招待行事」を実施した。
本行事は、北空の任務遂行に特に貢献している優秀空曹を顕彰し、隊員の士気高揚に資することを目的として、昭和62年から毎年実施している北空伝統の行事である。
今回受賞した3名は、いずれも各職域のスペシャリストであるとともに、積極的に後進の育成及び地域社会との交流を行い、自衛隊に対する理解促進や広報・募集に寄与する等、自衛隊内外の功績が他隊員の模範であると認められた隊員である。
授与式では司令官が労いの言葉とともに褒賞状を授与し、三沢つばさ会から記念品が贈られた。その後、懇談、会食とつつがなく行事は進行し、終始和やかな雰囲気の中、本行事は終了した。
北部航空方面隊は、引き続き優秀な隊員の育成に努める。
つばさ会が激励品を贈呈
航空自衛隊退職者等で構成される「つばさ会」の齊藤治和会長は1月30日、入間基地の門間政仁中部航空方面隊司令官を訪問し、能登半島地震に対する災害派遣活動に対し敬意を表するとともに、被災地で活動する隊員への激励品として、蒸気温熱シートを贈呈した。
同会は平素から航空自衛隊の活動等に対する支援を実施し、航空防衛力の発展に寄与している。
懇談において門間司令官は、つばさ会からの激励に対し謝意を述べるとともに、未だ復旧途上にある輪島周辺の状況について説明した。また、齊藤会長は今後の活動の参考として、東日本大震災時の北空司令官としての体験及び教訓を門間司令官に語った。
入校学生を総出で歓迎
<第1術科学校>
1月26日、航空自衛隊第1術科学校(学校長・岩城公隆空将補=浜松)は、航空教育隊での新隊員教育を終え、第1術科学校に配属された一般空曹候補生14名を学校職員全員で出迎えた。彼らは航空教育隊を卒業後、部隊配属前に入校するため、職場の先輩や内務班長といった相談相手がいないことから、少しでも不安を解消してもらおうと計画したもの。
防府から新幹線で移動し浜松駅から基地までの移動間、案内係の隊員が地元のお役立ち情報をユーモアも交えて紹介。基地に入ると正門から学生隊舎までの約2キロに渡るルート上の7カ所において、学校長を筆頭に全学校職員が自作の歓迎パネルを掲げたり、航空機や教材等を展示するなど趣向を凝らし、熱烈な歓迎ムードで出迎えた。入校学生たちはバスの車内から笑顔で手を振り歓迎に応えていた。
学生からは「到着までは不安だったが出迎えてくれて緊張が解れた。出迎えをしてもらえて嬉しかった。これから頑張っていこうと思えた」との意見があり、また、出迎えた学校職員からは「自分たちも同じように不安な気持ちで着校したのを思い出した。少しでも不安を解消できたのであれば嬉しい」との声があった。