自衛隊ニュース

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令和4年度 師団戦車射撃競技大会

<第7師団>

 第7師団(師団長・中村裕亮陸将=東千歳)は、10月22日から28日までの間、北海道大演習場島松地区(第1戦車射場)において、令和4年度師団戦車射撃競技会を実施した。

 本競技会は、第7師団の第71・72・73戦車連隊及び第7偵察隊から31個小隊(1個小隊4両)と他師・旅団の第2戦車連隊及び第5戦車大隊から5個小隊がオープン参加し、陸自最大規模の実弾射撃の競技会となった。

 今年度は、10式戦車と90式戦車を初めて同様の実施要領で競わせ、移動する目標を狙う横行行進射撃や小高い丘から目標を狙う稜線射撃、4両が一斉に躍進して目標を狙う躍進射撃、戦車に搭載する機関銃による後退行進射撃及びハッチを閉鎖して行う行進射撃からなる最高難度の小隊戦闘射撃を実施した。

 競技の結果、各部隊は練成の成果を十分に発揮し、小隊対抗の部においては第72戦車連隊第5中隊第2小隊が優勝した。また、戦車直接支援部隊等の部は、部隊対抗の部で優勝した第72戦車連隊を整備支援した第7後方支援連隊第2整備大隊第2戦車直接支援中隊が表彰された。

 本競技会の間、多数の部外研修者を受け入れ、間近で戦車射撃の迫力を体感していただいた。

 第7師団は引き続き、「陸上自衛隊唯一の機甲師団」として目的意識と向上心を常に保持しつつ、更なる高みを目指して日々練成に邁進していく。

第72戦車連隊が3連覇

 第72戦車連隊(連隊長・梅田宗法1陸佐=北恵庭)は、10月22日から28日までの間、北海道大演習場島松地区(第1戦車射場)において実施された「令和4年度師団戦車射撃競技会」に参加した。

 白馬連隊は、一昨年の師団、昨年の方面隊の競技会完全優勝を果たし、今年度はそのプレッシャーを感じつつ着実に練成を積み重るとともに、中隊の団結力を高めて、自信と誇りをもって競技会に挑んだ。

 本競技会は、参加した36個小隊が凌ぎを削り、更に10式戦車が競技に加って、部隊対抗の優勝争いは激しいものとなった。

 各戦車中隊は、連隊長要望事項である「正射必中のその先へ」を合言葉に訓練成果を実力として思う存分に発揮することができた。

 特に、作本3尉率いる第5戦車中隊第2小隊は、参加小隊の中で唯一、全的命中を果たし、小隊の部「優勝」を獲得した。また、第5戦車中隊は2年連続の中隊優勝を掴み取った。

 白馬連隊は連隊、中隊及び小隊対抗の部において完全優勝の3連覇を成し遂げ、競技会の幕を閉じた。

知恩報恩<14>

東芝インフラシステムズ(株) 顧問 高田克樹
指揮の要訣 私が追い続けたもの


 私には、自衛官として勤務した35年余り終始一貫してその完成型を追い求めていたものがあります。それは、久留米の幹部候補生学校で初めて目にした「指揮の要訣」です。これは、陸上自衛官にとってのバイブルと呼ばれる「野外令」の一節に書かれており、その内容は、「指揮の要訣は、指揮下部隊を確実に掌握し、明確な企図の下に適時適切な命令を与えてその行動を律し、もって指揮下部隊をしてその任務達成に邁進させるにある。この際、指揮下部隊に対する統制を必要最小限にし、自主裁量の余地を与えることに留意しなければならない。」と記述されています。小隊長から陸上総隊司令官までの指揮官職で、率いる部隊の大小こそあれその根本はこの「指揮の要訣」にあると今でも思っています。「指揮下部隊の確実な掌握」は、部隊にあっては、その部隊の伝統や特性、練度、編成・装備、人員の充足状況等を、隊員にあっては、隊員本人はもとよりご家族の状況、日頃の勤務状況等を頭の中に叩き込むことが重要です。小・中部隊のリーダーたる班長、小隊長、中隊長等は日々隊員との会話を通じ、指揮官自体が輪に飛び込むことにより部隊を比較的容易に掌握することができます。一方、管理者の立場も併せ持つ連隊長、師団長、方面総監となりますと、直近下位の指揮官を通じそれを行うことになりますので、その掌握に長時間を要することとなりますし、直近下位の指揮官の主観や性格により一定の尺度で横串をいれた共通の評価になりにくいのが現状だと思います。私の勤務経験では、このような実感から努めて直近下位の更に下位、即ち連隊長であれば小隊長まで、師団長であれば、中隊長まで「確実に掌握」することに努力を傾注しました。しかし、これも自ら求めて足を運ばなければ実現できないことであり、大変難しいことでした。「明確な企図の下に適時適切な命令を与え」は、一見簡単そうに見えますが、実は大変難しいと感じています。計画に従った命令の付与、日々の隊務における比較的ルーティーンとなった仕事においては、簡単ですが、状況不明な場合や突発事態への初動等においては、実は命令ばかりを逐次切り取って大きな声で部隊に伝えるといった場面を散見したことがあります。「肉買ってこい!」「野菜買ってこい!」と隊員に叫んでも隊員は牛肉か豚肉か鶏肉か白菜かピーマンか判断はつきません。「俺は本日19時から家で小隊のみんなとすき焼きをやりたい。Aは肉買ってこい!Bは野菜買ってこい!」であれば、大概の隊員は牛肉や白菜、春菊等を買ってきますし、気の利いた隊員は、しらたきや焼き豆腐等をかってくるでしょう。この明確な企図があれば、少々命令があやふやでも部隊はしっかり任務を果たしてくれます。しかし、前述した緊迫した場面においては、この明確な企図を示さないまま、頭に浮かんだことを五月雨式に部隊や部下に命ずることがあると思います。これを解消する唯一の方法は「鞍数」であろうと考えます。大小構わずたくさんの失敗から学ぶしかありませんが、謙虚に自らの失敗を受け入れれば、必ず体得できるものと思います。最後に「自主裁量の余地」についてですが、これが私にとって永遠の課題でありましたし、未だに修得できていない部分だと感じています。自主裁量の余地を与えることは、言い換えれば部隊や部下を信じて「任せる」ことに他なりません。人偏に2画で思いやりの「仁」、3画でリーダーが仕切るの「仕」、4画で任せるの「任」となります。人が3人いれば誰かがリーダーになり組織を仕切るといった「仕」までは経験により比較的簡単にできるようになりますが、この「任せる」については退官のその日まで完成型はわかりませんでした。「本件は君に任せた」と言いながら、ついつい気になって、いらぬ催促をしてみたり、指導と称して部隊長の指揮権をオーバーライドするようなことをしたこともありました。また、「任せたぞ」と言われたことを良いことに、「これは俺が任されたんだ!」と気を吐き出来上がりを指揮官に報告したら、大目玉を食らったこともありました。「任す」「任される」双方ともが相互の信頼感に基づいて絶妙な塩梅で任務を達成することが重要です。任された方は、指揮官の企図に合致しているかを任務達成の各段階において逐次報告し、指揮官からの指導(指針)を受けることが大事だと考えます。現在、OBとして一般企業に勤務しておりますが、この「指揮の要訣」を35年余り追い続けた者として断言できますのは、自衛隊における教育や勤務経験は非常に有意義であったと同時に、そこで修得したものは一般社会においても重要な基礎をなすということです。これからも、自衛隊の皆様に育てて頂いた恩を忘れず日々精進していこうと思います。


(著者略歴)

 防大29期生・6戦車大隊・第72戦車連隊中隊長(北恵庭)・第71戦車連隊長(北千歳)・東京地方協力本部長・第2師団長(旭川)・陸上幕僚副長(市ヶ谷)・東部方面総監(朝霞)・陸上総隊司令官(朝霞)・統合任務部隊司令官(台風19号)等を歴任

読史随感

神田淳
<第114回>

自由の自覚


 平川祐弘(東大名誉教授、比較文化史)は、「東アジアの諸国の中で日本のように言論の自由が認められている国に生を享けたことは、例外的な幸福である」と言い、東大を去るときも、「学問や言論の自由がある日本に生きてよかった」と教授会で挨拶した。数カ国語に通じ、北米、中国、台湾などで教壇に立って、外国と日本を見てきた氏の心からの実感であろう。

 我々は、日本が言論、思想・良心、学問、および信教の自由のある国であることの意義をかみしめたいと思う。

 自由が人間の生存にとって重要であるという考えは古代からあったが、自由の意義が強く自覚され、主張されて自由権が重要な人権として確立したのは、絶対王政から革命を経て市民社会に脱皮した近代西欧においてであった。特にアメリカ独立革命においては自由が力強く宣揚され、アメリカは自由の国となった。近代における西欧(アメリカを含む)の顕著な発展と成長は、人々に自由な市民から成る民主主義社会が最も良いとの思いをもたらした。

 日本は古代から中世を経て江戸時代まで、まずまず自由のある社会だった。また明治以降も、法律の範囲内という条件はついているが、言論、著作、集会、結社の自由が憲法で認められた基本的に自由のある社会だった。信教の自由も、安寧秩序を妨げないといった条件のもとに認められていた。しかし、自由が一段と進んだのは日米戦争に敗れた戦後においてだった。憲法が改正され、基本的人権として、法律の範囲内といった条件なしで、信教、言論、集会、出版、結社の自由が保障され、新たに思想・良心の自由と学問の自由も明記された。現在の日本国憲法は、国防/安全保障条項に欠陥があり(第9条)、改正しなければならないと強く思うが、基本的人権に関する規定は変更することなく維持すればよい。日本は大きな戦争を経験して、自由と民主主義の方向に文明的に成熟したという歴史認識でよいのではなかろうか。

 ところで、あらためて「自由」の意味であるが、「自由」は英語freedom(あるいはliberty)の翻訳語である。明治の先覚者がfreedom、libertyを知ったとき、適当な日本語がなく、「自主任意」や「自由」を当てたが、「自由」で定着した。freedom(あるいはliberty)は「束縛されずに行動したり、思ったり、言ったりすることのできる」ことであり、日本語の「自由」は「自(みずか)らに由(よ)る」という意味である。西洋と日本で「自由」の意味に違いがあった。そして日本人は、人が基本的に自由であることは自然なことで、あえて自由を言挙げすることはなかったが、自由はわがまま勝手、やりたい放題、放縦となって道理から外れるおそれのあるものとして、自由を否定的にみる傾向があった。西洋の自由も勿論、他者を危害するような自由は明確に否定されているが、総じて西洋では個人の自由を最も重要な基本的人権としてこれに積極的な意義と価値を見いだしてきた。

 開国後160年、自由の意義と価値はその普遍性のゆえ(そう信じる)、日本に次第に定着した。現代日本は、言論、思想信条の自由などが十分確立した国となっている。

 我々は日本がこうした自由のある国であることの意義とありがたみをよく自覚し、誇りをもって世界で生きていく必要があると思う。世界にはなお言論の自由、思想信条の自由の確立されていない国が多い。

(令和4年12月1日)


神田 淳(かんだすなお)

 元高知工科大学客員教授。

 著作に『すばらしい昔の日本人』(文芸社)、『持続可能文明の創造』(エネルギーフォーラム社)、『美しい日本の倫理』などがある。


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