自衛隊ニュース

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バレーボールでチームワークを養う

<佐世保教育隊>

 6月3日、佐世保教育隊(司令・吉田太郎1海佐)は、第17期一般海曹候補生課程、第24期自衛官候補生課程および第15期自衛官候補生課程(女性)の球技競技(バレーボール)を実施した=写真。

 各分隊から4チームを選出、男性分隊16チーム、女性分隊8チームによるトーナメント方式で試合に臨んだ。各分隊とも強靭な体力と強固なチームワークをもって1回戦から白熱した試合展開を見せ、試合会場は終始、熱気に包まれていた。

 男性分隊の決勝は、一般海曹候補生課程の第21分隊Dチームと第23分隊Bチームが対戦し、接戦を制した第21分隊が分隊優勝とチーム優勝の完全優勝を成し遂げた。また、女性分隊の決勝は自衛官候補生課程の第32分隊Bチームと第32分隊Dチームの同分隊での対戦となり、第32分隊の分隊優勝が確定して始まった対戦は、最後まで激戦を繰り広げた末、第32分隊Bチームがチーム優勝を決めた。

 今回は男性分隊および女性分隊ともに分隊優勝とチーム優勝を果たすという完全優勝を成し遂げた幕引きであったが、優勝に届かなかった分隊は「次は絶対に勝つ」をスローガンに掲げ、次の短艇競技に向け闘志を燃やしていた。

地域住民と共に「ゴミ0運動」に参加

<航空補給処>

 海上自衛隊航空補給処(処長・森真規1海佐=木更津)は、「ゴミ0の日」の5月30日、木更津市が主催する「ゴミ0運動」に参加した。この運動は、例年5月末に木更津市が「きれいなまちづくり」および「ゴミの散乱防止と再資源化促進」を目的に実施しており、航空補給処からは約40名の処員が参加した=写真。

 当日は晴天に恵まれ、参加者は基地周辺道路および最寄り駅である巌根駅周辺道路の、散乱ゴミや雑草および小枝の除去を行った。地域住民からの「お疲れ様」「ありがとう」などの激励の言葉も力となり、ごみ袋31袋分を収集した。海上自衛隊航空補給処はこのような活動を通じて「地域美化に貢献するとともに処員のボランティア精神を育みたい」としている。

CRMを学校の現場に

<徳島教育航空群>

 5月16日、海上自衛隊徳島教育航空群(群司令・町島敏幸1海佐)は、鳴門教育大学(徳島県)において、海上自衛隊の安全管理に関する講義(題‥CRM(クルー・リソース・マネージメント)とヒューマンファクター)を行った。本講義は、同大学校の阪根健司特命教授に10年来、徳島教育航空群所属隊員に対する「危機管理」をテーマとした講義を依頼している関係から実現したもので、当日は、同大学の学生、現教職員など50名が集まり聴講した=写真。

 講義は、町島1佐の経歴やCRMに関する経験、聴講者に対する質問を交えて行われ、海上自衛隊の紹介も行った。聴講者からは、CRMの活用法や若い世代との接し方(コミュニケーション)、海上自衛隊の活動に関する多くの質問が出され、終始、聴講者の関心・興味の高さがうかがえた。

 町島1佐は、「教育対象は違えど、同じ教育現場に立つ者同士、お互いの立場を理解し、問題認識を共有する交流の場を設けていきたい」と講義を締めくくり、聴講者からは「テーブルロフト(簡易的なCRM訓練)を学校の場でも取り入れたい」「教育現場でCRMの5スキルを活用する」「教職員として海上自衛隊に対する理解が深まり、視野の拡大につながった」等、多くの所見を得た。


日米共同でサイバー対処訓練
戦術技量の向上図る

<システム通信隊群>

 海上自衛隊システム通信隊群(群司令・近藤匡1海佐)は5月11日から12日の2日間、米海軍情報戦司令部ハワイ支部(NIOC-H)N3J部とともに、令和4年度第1回日米共同訓練(サイバー共同対処訓練)を米海軍横須賀基地内にて実施した。

 本訓練は、海上自衛隊においてサイバー事案対処を行うCPT(Cyber Protection Team)の戦術技量および米海軍CPTとの相互運用性の向上を図る目的で昨年度から実施しているものであり、これまで計4回の共同訓練が実施されている。昨今の国際情勢の大きな変化に伴い、新たな領域のひとつであるサイバー領域における日米の高度な連携がますます重要になっており、訓練に参加した日米CPTチームは、真剣な眼差しでサイバー空間防護の一連の対処を演練していた。

 訓練中、自衛艦隊司令部幕僚長の八木浩二海将補および海上幕僚監部指揮通信情報部長の吉岡猛海将補が視察を行い、日米CPTチームの能力を確認するとともに、訓練参加者を激励した。海自訓練部隊を指揮した保全監査隊司令の中野聡1海佐は、「厳しさが増している国際安全保障環境の中で、サイバー空間防護の重要性はますます高まっている。今回の日米共同訓練で培った高度なサイバー攻撃等対処能力を今後もさらに発展させ、いかなる事態にも対処できるよう、さらに技量向上に努める必要がある」と述べた。


読史随感

神田淳
<第105回>

昭和天皇の苦悩

 今年も8月15日「終戦の日」がやってくる。77年前(1945年)のこの日の正午、天皇(昭和天皇)のラジオ放送で戦争終結が発表された。国民は日本が大東亜戦争(太平洋戦争)に負けたことを知った。戦争は絶望的な負け戦になっていたが、軍部・政府の指導者は戦争をやめることができなかった。終戦は昭和天皇の指導力で行われた。

 1945年8月8日、天皇の内意を受けた鈴木貫太郎首相は、ポツダム宣言を受諾して戦争を終結させようと最高戦争指導会議を開いた。会議は紛糾し、ポツダム宣言の受諾に1条件付すか4条件付すかで議論がまとまらなかった。8月9日の御前会議でもまとまらず、鈴木首相は御前会議の慣例を破って天皇にその場で意見を求めた。天皇は腹の底から声を絞り出すように述べた。「私は外務大臣の意見に同意である(つまり、条件を付すなら1条件だけにして速やかに受諾すべきということ)。空襲は激化しており、これ以上国民を塗炭の苦しみに陥れ、文化を破壊し、世界人類の不幸を招くのを欲しない。私の任務は祖先から受け継いだ日本という国を子孫に伝えることである。今となっては一人でも多くの国民に生き残ってもらって、その人たちに将来ふたたび起ちあがってもらうほか道はないーーー」。

 こうして8月10日、「天皇の国家統治の大権を変更しないことの了解のもとにポツダム宣言を受諾する」と連合国に通知したが、12日アメリカから得られた回答は「日本国の最終的な政治形態は、日本国民の自由に表明する意志により決定される。天皇および日本国政府の国家統治の権限は連合国最高司令官の制限の下におかれる」であった。この回答をめぐって再び最高戦争指導会議及び閣議は紛糾した。陸軍は、「この回答ではわが国体は保証されておらず、受諾できない。戦争を継続すべき」と主張。かくて8月14日、再度御前会議が開かれたが、昭和天皇ははっきりと述べた。「自分の意見は先日申したのと変わりはない。先方の回答もあれで満足して受諾してよいと思う。ーーー私自身はいかになろうとも、私は国民の生命を助けたいと思う。このうえ戦争を続けては、わが国が全く焦土となり、国民にこれ以上苦痛をなめさせることは、忍びない。ーーー私のできることは何でもする。陸海軍将兵は特に動揺も大きく、陸海大臣は、その気持ちをなだめるのに、相当困難を感じるであろうが、必要があれば、私はどこへでも出かけて親しく説きさとしてもよいーーー」。こうして、昭和天皇の決断によって戦争を終結することができたのである。

 戦争、未曾有の敗戦という日本の最も苦しい時期に、昭和天皇がおられたことの意義と、日本における皇室の存在意義を私は深く感じている。昭和の時代、陸軍が国政を支配、陸軍の進める戦争が日本の国際的孤立を招き、ついに太平洋戦争に行き着いて敗れた。昭和天皇はこれを止めることができなかったことに苦しみ、戦後、戦争の道義的責任を深く自覚しながらも、退位はしなかった。私はそれがよかったと思う。日本は日本として立派に継続し、復興を遂げた。

 故渡部昇一氏は戦後まもなくドイツに留学したが、そのとき、日本の天皇が敗戦後もそのまま在位していることを知ったドイツ人が驚いたことを伝えている。ヨーロッパには戦争に負けた国の君主は廃されていった歴史があるが、日本はそうでないことを知って感動し、「日本人は重厚な民族だ」と評したという。

(令和4年7月15日)


神田 淳(かんだすなお)

 元高知工科大学客員教授。著作に『すばらしい昔の日本人』(文芸社)、『持続可能文明の創造』(エネルギーフォーラム社)、『美しい日本の倫理』などがある。

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