自衛隊ニュース

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読史随感

神田淳
<第102回>

日本精神(リップンチェンシン)

 台湾で「日本精神(リップンチェンシン)」という言葉は、一般に「約束を守る、礼節を重んじる、嘘を言わない、勤倹である、清廉潔白である」といった概念の言葉として使われる。台湾は日本が日清戦争に勝った1895年から大東亜戦争に負けた1945年までの50年間、日本の統治下にあった。「日本精神」が現在なおこうした肯定的な意味で使われる台湾の社会から、戦前の日本と日本人が台湾でどのように評価されていたかが伺える。

 日本人は大東亜戦争に負けて自信を喪失したが、さらに東京裁判で戦争が道義的にも誤った侵略戦争だったと断罪され、戦前の日本と日本人を否定的に見るようになった。日本はアジアを侵略した悪い国だとの歴史観が戦後の教育界を支配し、現在に至っている。これは偏向した史観で、正さなければならないと私は思っているが(これが「読史随感」を書き始めた動機の一つ)、そのため台湾の人々による戦前の日本人評価は参考になる。

 1999年(平成11年)台南市で後藤新平・新渡戸稲造の業績を称える国際シンポジウムが開かれた。後藤新平は1898~1906年台湾総督府民政長官として、上下水道、道路、鉄道等のインフラ整備、衛生環境と医療の改善などの事業を進め、台湾近代化の基礎を築いた。新渡戸稲造は後藤に招かれて総督府技師として台湾に赴任、サトウキビの品種改良を行うなどをして、後に台湾の主力産業に発展する製糖産業の礎を敷いた人である。

 シンポジウムの冒頭、日本側代表が「日本による戦前の台湾統治で、日本は善いこともしたが、悪いこともしたであろう。そのことについて謝罪したい。我々はただお詫びするしかありません」と述べた。これに対し、シンポジウムの総合司会を務めた台湾の実業家・蔡焜燦氏(故人1927-2017)は、「日本が台湾に謝罪する必要はありません。それより隣の大きな国と戦っている台湾を声援してください」と言い、また同じく台湾の実業家・許文龍氏は、「戦前の日本の台湾統治に対し謝罪する必要などありません。戦後の日本政府は、深い絆を持ちながら世界で一番の親日国家である台湾を見捨てました。謝罪すべきはむしろ戦後の日本の外交姿勢です」と述べた。

 この意見の違いは、戦前の日本に対する評価の日台での相違を象徴するが、私は台湾の人の評価が正しく、戦後の日本人の認識の方が偏向していると思う。

 蔡焜燦は著書『台湾人と日本精神』で述べる。ーー台湾でいまだに「日本精神」が勤勉で正直、そして約束を守るというもろもろの善いことを表現する言葉として使われている。ーー台湾を近代化に導き、人々から尊敬を集めた警官や医師、そして教師たち。ーーかつての日本人は立派だった、と。

 1988年から2000年まで台湾(中華民国)総統を務め、台湾の民主化を進めた李登輝(1923-2020)は言う。ーーまことに残念なことに1945年以降の日本で、このような替え難い「日本精神」の特有な指導理念や道徳規範が全否定され、日本の過去はすべて間違っていたという自己否定へと暴走して行きました。こんな否定傾向がいまだに日本社会の根底部分に渦巻き、日本及び日本人としての誇りを奪い、自信を喪失させていることに心を痛めております、と。

 私は戦前の日本と日本人の歴史を否定的にみる史観は、史実を知らず、事実を見て是は是とし非は非とする良識から外れた史観だと思う。

(令和4年6月1日)


神田 淳(かんだすなお)

 元高知工科大学客員教授。著作に『すばらしい昔の日本人』(文芸社)、『持続可能文明の創造』(エネルギーフォーラム社)、『美しい日本の倫理』などがある。

知恩報恩<8>

陸上自衛隊OB 鈴木直栄

企業における危機管理訓練の実践

 自衛隊を退職して、この春で早1年が経ちました。

 自衛官としての晩年は、平成初期の若年自衛官だった頃とは比べ物にならない数の災害派遣に従事してきました。災害派遣の対応正面は、地震・台風・豪雪などの自然災害はもちろんですが、鳥インフルエンザ・豚熱・コロナ対応に至るまで。派遣にあたりましては、近年更に増加傾向の都道府県や市町村など自治体の危機管理・防災職員として活躍されている多くの諸先輩方と連携して対応してきました。そこでは、平素の防災と災害時の対応において、自治体がどう考えどう動くかなど、たくさん勉強になりました。そして、私にとりましては、これらの経験が、今度は自衛官退官後に就職した民間企業で役立つことになりました。

 そこで、現役の頃に携わった当時の多くの方々に感謝しつつ、現在の私の仕事の一端を紹介し、現場レベルの話が少しでも現職の後輩自衛官の参考になればとの思いでいます。

 私が退官後の現在在籍している企業は、日本郵政株式会社です。多くの方がお分かりのように、日本郵政は、日本郵便、ゆうちょ銀行、かんぽ生命の3社とグループ形成する親会社で、日本郵政グループとして、全国津々浦々に約24万人の社員、約2万4千の郵便局・事業所を展開する大企業です。かつて、発足して間もない統合幕僚監部で勤務していた私が、ユニークにイメージするなら、日本郵政グループの日本郵政、日本郵便、ゆうちょ銀行、かんぽ生命の4社は、統幕、陸自、海自、空自とどこか似ているのかなと。向いている方向は同じでも、業務内容は言わずと知れて異なることが多いのです。郵便、金融、保険の分野ですので。

 入社後、私は、親会社の日本郵政において、いざという時のBCP(Business Continuity Planning‥事業継続計画)の実効性の確保、このための訓練の企画・実施に携わっています。これまでの経験を大いに活かし、新しい職域で活躍しているんだろうと格好よく響いているかもしれませんが、決してそうではありません。どうやってBCPに関わる談義をしてもらおうか、どうやって危機管理に関係する社員の人たちを訓練してスキルアップさせようかと考えていますが、社員の人たちにはこれまでに傾注してきた企業努力と自身のプライドがありますので、一筋縄にはいきません。ましてや、社会環境はコロナ禍、会社の環境はテレワーク推奨、残業回避等々、そして社員たちはネット情報、メディア情報に囲まれながら仕事をし、決められた定時で本業を行うのが精一杯であり時間的ゆとりがない。このように、現代社会に準えた環境の中ですので、調整からして結構厄介でした。

 このような環境に対して、如何に一石を投じていくか。社員の人たちは、実際に会話をしてみると、意外に遠慮なく率直にものを言ってくれます。自身の考えを持ち、思いをはっきり言ってくれます。これが一つのトリガーでした。これまで歩んできた環境の違う私にとって大事なことは、社員の人たちと問題認識や課題を共感することだと認識しました。自分の思う必要性を一方的に語りつくしても、相手が理解してくれても興味を持って受け入れてくれないといけません。そこで、説こうとするだけでなく、色々と聞きまくりましたし、とにかく会話をしました。

 そして、ようやく、ある時OBの先輩から聞いたことを実践に移しました。「社員が簡単についてきてくれないのは分かる。新しいことをやろうとすると周りは警戒するからなぁ。でも、いいんだよ、チャレンジだ!これまで自衛隊でやってきたみたいに、全体像をパーっと作って、プロビを示してしまえ。何回も何回も説明しているうちに、ちゃんと周りは乗っかってきてくれるようになるんじゃないかな」

 結果は、実にこの通りになりました。強要でなく共感が功を奏しました。現在進行形ですが、毎週、危機管理の勉強会を行いながら関係社員のスキルアップを図り、グループ4社合同の危機管理訓練を準備しています。社員の人たちに興味がわくように、そして時間をかけ過ぎないように工夫をしながら。懐かしい響きになりますが、コントローラー、プレーヤー、状況付与カード、研究会等々。まさか、退官後にこれらの用語を引っ張り出して民間企業で役立てるとは思ってもみませんでしたが、ある種、新鮮です。関係社員の人たちには、 "ゲーム感覚" で短時間訓練に乗ってきてもらおうとしています。訓練は、スキルアップのため、事前配布の台本を読み合わせることを主体に行うシナリオ訓練を卒業してもらい、関係者にはコントローラーとプレーヤーに分かれてもらって、プレーヤーは事前に何も知らされないままのブラインド状態の訓練を実施して、プレーヤー同士が連携して知恵を絞り合いながら対応能力を向上してもらいます。

 色々なことが現在進行形ですが、日進月歩ですので、タイムライン防災を取り入れたり、民間企業では珍しいと言われましたが、社員家族の防災についても、関係者に一石を投じて社員の人たちと一緒になって考え始めたところです。

 このように、社員の人たちを導きながら新しい世界において、自衛隊で経験したことを活かしています。

 民間企業においては、防衛省自衛隊との業務上の繋がりがあるなしにかかわらず、OBが自衛隊で培った沢山のノウハウを活かす場面が多々あると感じている次第です。


(著者略歴)

 防大30期生、第6特科連隊中隊長(郡山)、第7特科連隊大隊長(東千歳)、第4特科群長(上富良野)、陸幕監察官(市ヶ谷)、第13旅団長(海田市)、防衛研究所副所長(市ヶ谷)、第10師団長(守山)を歴任


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