自衛隊ニュース

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腕に覚えあり!光る職人技

技能の継承「九匠塾」

<九州補給処>

 九州補給処(処長・竹内綱太郎陸将補=目達原)は、「九匠塾」※「きゅうしょじゅく」九州補給処の略「九処(きゅうしょ)に由来)」を紹介。「九匠塾」とは平成22年から始まり、補給処として保有すべき必要な専門知識及び技能の継承を目的としているものだ。

 その具体的な要領は、職場(班以下)単位で構成し、塾長(専門知識・技術等習熟者)による実務を通じた塾生(若手職員等)に対して行う専門技術教育である。特に、西部方面隊の火器、車両、誘導武器、需品、通信電子器材、化学器材及び衛生器材の高段階整備を担任している九州補給処整備部は更なる技量向上を目指し、腕を磨いている。また、補給部、電計課、健軍支処、富野弾薬支処、大分弾薬支処及び鳥栖燃料支処においても同様に九匠塾があり、それぞれの技量の向上を図っている。

 九州補給処は、引き続き西部方面隊の兵站の中核として隊員の特技に関する技術向上を図り、多様化する各種任務に即応していく。

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なんでも屋さん「需品工場」

<久居駐屯地>

 久居駐屯地(司令・向田俊之1陸佐)には「なんでも屋さん(自称)」と呼ばれる部署がある。そこでは、駐屯地内で生活する隊員や、交代で駐屯地警備等に勤務する隊員が使用するシーツ等の洗濯とプレスを行う他、訓練で破れた戦闘服等の修繕、さらには故障したアイロンや洗濯機の修理からリヤカー等タイヤのパンク修理までこなす。まさに「駐屯地のなんでも屋さん」として八面六臂の活躍をする。

 これら支援業務をこなす部署は駐屯地業務隊補給科に所属し「需品整備工場」と称する。この工場を切り盛りするのは和田2陸曹。工場長兼作業員として大部分の業務を1人で行う。

 業務の概要を紹介すると、シーツ・毛布の洗濯及びプレスは月平均で約1200枚、戦闘服等の修繕は約30着、アイロン修理が約2~3台、その他、洗濯機、ポリッシャーの修理やタイヤのパンク修理が舞い込んでくる。また、第10師団統制マスク本体の縫製を支援し、約1200枚を作製した。大変な業務であるが、和田2陸曹自身は元々、裁縫や機械いじりに興味があり、苦にはならないと言う。ただ夏真の中で行う洗濯物の乾燥やプレスの暑さには閉口する。空調の利かない洗濯室の中で、乾燥機やプレス機からの放射熱と相まって室内気温が40度以上になる。そんな状況下でも、今日も黙々と業務を行う姿がそこにある。

知恩報恩<7>

海上自衛隊OB 山下万喜

 海上自衛隊での最終配置である自衛艦隊司令官を退き早くも3年が過ぎた。世間では新型コロナの影響から多くの方々が厳しい生活を強いられている状況において、幸いにも現在の防衛関連の職に就き今のところ老後の不安もなく普段の生活を送っている。会社員と言う雇われの身でありながら、実際には自衛隊OBが組織する様々な学会や団体等にも籍を置き、会社の仕事の傍らとは言えないほど多くの課題を与えられ、日々頭を抱えているのが現状である。ただ、その様な環境にあっても、これまで培ってきた経験や知識を還元することで、多少なりとも安全保障に寄与できているという実感があり有難いと感じている。実際には多くのOBが長年の自衛隊生活とは関わりのない分野で、知識も経験もない世界に飛び込み、悪戦苦闘しながらも立派に職務を果たしている。その中には、必要な知識の習得のため老いた頭に鞭打つ方や、新たに起業される方、あるいは海外に新天地を求めて移住される方も多いと聞いている。

 退職して先ず気付かされることは、自衛官であったことが一般の社会においては何の免罪符にもならないと言うことである。もちろん、軍人が制服で闊歩し退役してもなお尊敬され、国の財産としての地位が与えられるような国との比較はできないにしても、下手をすれば、自衛隊と言う温室で育ったことを悔いることさえ迫られるのが我が国の現実である。現在、隊友会をはじめとする防衛4団体により「憲法改正」や「自衛隊員の処遇改善」等に関する政策提言がなされており、世間一般にも憲法や自衛隊への関心の高まりが見られる。将来的に憲法が改正され、我が国における自衛隊の位置づけが憲法上確たるものとなり、自衛隊員の身分とその処遇が改善されることが期待される。このことに加え、重要な提言が「元自衛隊員の有効活用」である。その中でも特に注目すべきは、退職後の自衛隊員がその経験や知識を発揮するために必要となる適格性の継続保有に関する手続きなど退職自衛隊員の情報管理に関する課題である。

 現役の自衛隊員である当時には、秘密の取り扱いに関して厳格に管理されていた。もちろん、そのための教育も充実したものであり、常に秘密保全の重要性を意識する機会を与えられていた。また、秘密物件の保管に関しても厳しくチェックされ、さらに、監察の際の重点項目として秘密保全が取り上げられ、組織としても襟を正すための努力が繰り返されている。このように、現役自衛隊員である限りにおいては常に秘密保全の重要性を認識し、取り扱う秘密のレベルに応じた関係者や、秘密を保管あるいは閲覧する環境を常に意識して勤務に従事している。また、秘密事項の漏洩について、関連する規則の趣旨を真摯に受け止め、その取扱いに関し自らを律する努力を重ねてきた。しかしながら、退職して現役を離れた途端、これまでの知識は そのままであるにも関わらず、形式的に秘密を取り扱う条件を解除され、元自衛隊員として現役当時に取り扱っていた情報の特殊性や重要性への配慮は見られない。

 現代社会において安全保障の鍵を握るのは情報である。今日の国際社会では、国家間の相互依存関係を一層拡大・深化し、共に成長することに価値を見出している。他方、そのような価値観を共有できない国家との間においては、最先端の技術を駆使した目に見えない環境において、情報を巡る国家間の争いが激化している。平素から情報を適切に管理し活用することこそ安全保障の基本であるにも関わらず、我が国における情報への関心の低さは所謂「平和ボケ」の象徴である。この点に関して特に敏感であるべき防衛省においてさえ、現役自衛隊員に対する情報の取り扱いには熱心なものの、退職後の自衛隊員への関心は必ずしも高いとは言えない。そのため、国家の知的財産である退職自衛隊員が有する情報を有効に活用し、これを適切に管理しようとする動きは見られない。

 軍事に限らず技術の進歩は日進月歩ではあるが、その全ては知識と経験の上に成り立っている。特に、軍事分野に関する特殊な知識や経験は、その機会に恵まれた者だけが有し得るものであり、一般的な媒体を介して入手できるようなものではない。情報戦やサイバー戦など平素からの戦いが重視される現状において、防衛省は貴重な退職自衛隊員の知識や経験を国家の知的財産として有効に活用するため、現役自衛隊員から継続した条件の下で対応できる保全措置を早急に講ずる必要がある。自衛隊は創立から70年を迎えようとしており、退職自衛隊員の数はこれからも増え続ける。如何なる状況においても情報に関する失態は、国益を害する重大な問題である。退職自衛隊員の有する豊富な知識と経験を活用することなく、国家の財産である貴重な情報を無駄に滞留させ、これが無益に漏洩する可能性を傍観している余裕はない。今こそ、退職自衛隊員の保有する貴重な情報を有効に活用し、これを適切に管理するための検討に着手すべきである。


(著者略歴)

 防大27期生、護衛艦「まつゆき」艦長、第3護衛隊司令、海幕装備体系課長、海幕補任課長、第1護衛隊群司令、潜水艦隊司令部幕僚長、防衛大学校訓練部長、海幕防衛部長、海上自衛隊幹部学校長、佐世保地方総監等、自衛艦隊司令官を歴任

読史随感

神田淳
<第98回>

ファシズム国家中国

 2015年9月中国が北京で開催した「抗日戦争勝利70周年記念式典」で習近平は次のように述べた。「ーーー70年前の今日、中国人民は14年の長きに及ぶ非常に困難な闘争を経て、中国人民抗日戦争の偉大な勝利を収めたことで、世界反ファシズム戦争の完全な勝利を宣言し、平和の光が再び大地をあまねく照らしました。ーー中国人民抗日戦争と世界反ファシズム戦争は正義と邪悪、光と闇、進歩と反動の大決戦でした。ーーあの戦争において、中華人民は大きな民族的犠牲によって世界反ファシズム戦争のアジアの主戦場を支え、世界反ファシズム戦争に重大な貢献を果たしました。ーーー中華民族は一貫して平和を愛してきました。発展がどこまで至ろうとも、中国は永遠に覇権を唱えません。永遠に領土を拡張しようとはしません。」

 習近平のこの談話に歴史的真実はほとんどないと言ってよい。あるのは、中国史によく見られる、目的に合わせた事実の捏造と誇大化、歪曲、そしてプロパガンダである。「中国は永遠に覇権を唱えない」などには、苦笑してしまう。

 第二次世界大戦は連合国(米、英、ソ、中)と枢軸国(日、独、伊)との戦争であるが、枢軸国がファシズムとみなされたので、大戦は反ファシズム戦争だったという歴史観が存在する。習近平はこの歴史観を極限まで誇大化する。しかし、日中戦争で日本と戦ったのは、蒋介石の中華民国であり、現在の中国ではなかった。そして蒋介石には、日中戦争が世界反ファシズム戦争のアジア主戦場などという意識は全くなかった。1941年日本が真珠湾を攻撃して日米間の太平洋戦争が始まり、日中戦争は世界大戦の一部のようになった。しかし、通常「反ファシズム戦争」といえば、ヨーロッパ戦線における対ナチスドイツ戦争を意味する。ヨーロッパ戦線で中国人民が戦うことはなかったし、中国とも中国共産党とも何の関係もない。

 日本がファシズム国家と見なされるようになった最大の理由は、日独伊三国同盟にある。イタリアは最初にファシズム政権ができた国であるし、ナチスドイツはファシズム国家の典型とされる。日本を天皇制ファシズムだったとするのが戦後の史学会の主流のようであるが、これを否定する歴史家も多い。

 そもそもファシズムとは何か。広辞苑によると、「(1)狭義では、イタリアのファシスト党の運動並びに同党が権力を握っていた時期の政治的理念及びその体制。(2)広義では、イタリア・ファシズムと共通の本質をもつ傾向・運動・支配体制。第一次大戦後、世界の資本主義体制が危機に陥ってから、多くの資本主義国に出現。全体主義的あるいは権威主義的で、議会政治の否認、一党独裁、市民的・政治的自由の極度の抑圧、対外的には侵略戦争をとることを特色とし、合理的な思想体系を持たず、もっぱら感情に訴えて国粋的思想を宣伝する」とある。

 この定義を読むと、実に習近平の中国がこれにぴったり当てはまることがわかる。習近平は中国が70年前世界反ファシズム戦争を戦ったと言うが、実は現代中国が21世紀に遅れて来たファシズムの大国である。

 こうした中国が日本に「歴史を鏡とせよ」、「歴史を改竄するいかなる企てにも断固として反対する」などと叫ぶ。笑止であるが、日本はこうした中国の歴史宣伝戦略に、正しい、事実本位の歴史観をもって臨む必要がある。(令和4年4月1日)


神田 淳(かんだすなお)

 元高知工科大学客員教授。著作に『すばらしい昔の日本人』(文芸社)、『持続可能文明の創造』(エネルギーフォーラム社)、『美しい日本の倫理』などがある。

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