自衛隊ニュース

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陸自中央音楽隊
小平演奏会で1000人魅了

 陸上自衛隊中央音楽隊(隊長・志賀亨1陸佐)は、12月1日、ルネこだいら(東京都小平市)で開催された陸上自衛隊中央音楽隊小平演奏会(主催・小平文化振興財団)に協力し、平日の開催にも関わらず約1000名の来場を得た。

 第1部(指揮・山下顕3陸佐)は「吹奏楽のまちこだいら」をテーマにした吹奏楽曲を5曲演奏。吹奏楽作品として有名な「アルセナール」や東日本大震災の復興支援のために書かれた「陽はまた昇る」を演奏し陸上自衛隊の活動にも触れ、「打楽器協奏曲」ではソリストの小松幹陸士長がスネアドラムの超絶技巧を発揮し観客を沸かせた。

 第2部(指揮・守屋陽介3陸佐)では、映画音楽を中心に「ハリーポッター」「Always3丁目の夕日」などを演奏。鶫真衣3陸曹は透明感溢れるソプラノで「いのちの名前」を好演し、会場を魅了した。

 終盤はアンコールに応え「アメージング・グレース」と「そりすべり」の2曲で一足早いクリスマスを演出。演奏会を締めくくった。

防衛基盤整備協会賞 4件受賞

 11月29日、防衛装備庁が後援する「令和5年度防衛基盤整備協会賞贈呈式」が東京都新宿区のホテルグランドヒル市ヶ谷で開催された。防衛省から増田和夫防衛事務次官、防衛装備庁から市橋孝浩防衛技監(防衛装備庁長官代理)が陪席し、受賞者をはじめ来賓や多くの関係者が出席した盛大な式典であった。

 「防衛基盤整備協会賞」は今年度で45回目を数え、累積贈呈数も233件に上る伝統ある賞だ。民間で自主的に行われた防衛分野における研究開発活動により、防衛基盤の強化・発展に寄与した技術・研究者のグループまたは個人の功績を称えている。今年度は関係団体からの推薦を含む8件の応募の中から4件が選定された。防衛基盤整備協会の鎌田昭良理事長は、式辞で「伝統ある本賞贈呈事業を通じて防衛基盤のさらなる発展に貢献したい」と述べた。

 本協会は従来の事業に加え、本年度は新たに陸上自衛隊から外部に委託される業務隊や補給処等の各種役務を支援する事業を始めた。また防衛生産・技術基盤を強化し、防衛産業による装備品等の安定的な製造等を確保することを目的として10月1日に施行された、いわゆる「防衛生産基盤強化法」についても、鎌田理事長は「防衛省による防衛産業への新たな取組みに、協会として貢献できる分野があれば貢献させて頂きたい」と述べた。

 受賞した業績等は以下のとおり(敬称略)

●艦艇用主発電機ガスタービン(M7A-05)の開発(川崎重工業株式会社/天野誠、篠原善哉、山口伸介)

●AAM-5Bの開発(三菱重工業株式会社/佐藤昌宏、北野貴久、森田修至)

●UNICORN(複合通信空中線NORA-50)の開発(日本電気株式会社、三波工業株式会社、横浜ゴム株式会社/東谷智史、赤堀武史、宮崎輝規)

●低雑音型油圧管制弁の開発(川崎重工業株式会社、住友精密工業株式会社/渡部渓、香々美泰弘)

除雪隊編成完結<丘珠>

 丘珠駐屯地(司令・三笠展隆1陸佐)は、11月17日、除雪隊編成完結行事を実施した。

 除雪隊要員は、この日までに除雪車操縦手集合訓練を実施し、除雪作業に際して安全確実に実施し得るよう技量を高めてきた。札幌飛行場(丘珠空港)の降雪量は、青森空港に次ぐ日本で2番目の多さと言われており、朝2時から作業を開始することもある。除雪隊長の永島1陸尉は、所信表明で「総力を結集して昼夜問わず除雪作業に励み、北海道の空の玄関たる当空港の為、誠心誠意任務に邁進して参ります」と述べた。

 来賓委は、丘珠駐屯地協力会長をはじめ、丘珠空港関係者等が参列され、丘珠空港事務所長と北海道エアシステム社長より祝辞が贈られた。

 除雪隊は、駐屯地所在部隊と施設科部隊の隊員による臨時編成で、「オニオンスノーファイターズ」という愛称があり、令和6年3月31日まで24時間態勢で雪との闘いに臨む。


読史随感

神田淳
<第139回>

江戸時代の文化的成熟(2)

 日本ではカメラや携帯電話をレストランやカフェに置き忘れても盗まれずに保管されている、日本では夜道を女性が一人でも安心して歩ける、といった訪日外国人の驚きの体験談をネットで散見する。警視庁によると、ある年の携帯電話の落とし物26万件中の61%が、財布の落とし物40万件中の93%が落とし主に戻っている。海外ではこんなことは考えられないようだ。米ミシガン州立大学教授の行った社会実験によると、東京では携帯と財布を合わせて落とし物の約90%が拾得物として届けられたが、ニューヨークでは6%ほどに留まるという。

 落とし物が高い確率で戻ってくる理由として、文化的規範、仏教、神道の影響、日本では近所にお巡りさんのいる交番があることなどが挙げられる他、日本人は人々の視線が届く限りはモラルを守る、といった分析を散見する。

 落とし物が戻ってくるような社会の伝統は江戸時代に培われたと私は思うのだがどうだろうか。ここで、熊沢蕃山の逸話を思い出す。江戸時代のはじめ、蕃山が良師を求めて旅していたとき、旅先で出逢ったある飛脚から正直な馬子の話を聞いた。その話のなかに出る中江藤樹こそ探し求めていた師だと確信し、入門して藤樹に学んだ。藤樹は後世、近江聖人と呼ばれるようになる陽明学者である。

 加賀の飛脚が金子二百両を預かって京に上る途中、馬子を雇った。飛脚は宿に着いて金子二百両が失われているのに気づき、色を失った。馬子の名は知らず、探し出すこともかなわず、悶々として死を覚悟した。ところがその夜、宿の戸をたたく者があり、出てみると日中雇った馬子が金子を持って立っていた。馬子はその日自宅に帰り、馬のすそを洗おうとして鞍を解いたところ、鞍の下から二百両の金子が出てきてびっくりし、返しにきたという。飛脚は思いもかけないことに狂喜。お礼にと、十五両を渡そうとしたが、馬子は受け取らない。飛脚は自分の気がすまないのでどうか受け取ってくれと懇願。馬子はそれでは手間賃だけいただきますといって二百文だけ受け取ると、その金で酒を買い、宿の人たちと一緒に飲み、よい機嫌になって帰ろうとした。飛脚はつくづく感心して、あなたはいかなる人ですかと問うたところ、馬子は「名を名乗るほどの者ではありません。だだ、近所の小川村で中江藤樹先生の教えを聴いている者です」と答えたという。

 この逸話は勿論当時の人々が皆馬子のように正直だったわけではなく、珍しかったので逸話として残ったのだろう。しかし、この頃戦国時代が終わり、平和な江戸時代になって社会が安定し、正直の倫理規範が広がりつつあったのではないかと思う。

 また、「三方一両損」という江戸時代の有名な古典落語がある。左官の金太郎が三両の入った財布を拾い、持ち主は大工の吉五郎だとわかったので、吉五郎に届けたが、吉五郎は受け取らない。互いに金を受け取らない喧嘩となり、奉行所で大岡越前の裁きとなる。大岡は自分のポケットから一両出して合わせて四両とし、二人に二両ずつ与え、これで三人とも一両ずつ損をして平等だとまるくおさめた。この話はあくまで作り話であるが、庶民の心に触れるものがあった。金は受け取れないと言って喧嘩までする倫理感覚を江戸市民は肯定した。

 江戸時代、あらゆる職業で最も重視された道徳は正直だった。子どもを嘘つきにしないのが教育の最重点となっていた。これも現代日本につながる江戸の文化的成熟の一つだと私は思っている。

(令和5年12月15日)


神田 淳(かんだすなお)

 元高知工科大学客員教授。

 著作に『すばらしい昔の日本人』(文芸社)、『持続可能文明の創造』(エネルギーフォーラム社)、『美しい日本の倫理』などがある。

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