自衛隊ニュース

フェアプレーで目標達成、職場に感謝
国際防衛ラグビー競技会に参加して
船岡駐屯地ラグビー部監督、安藤貴樹2尉(第10施設群)は8月14日から9月12日の間、フランスのブルターニュ地方で開催された「国際防衛ラグビー競技会2023」に自衛隊チームの監督として参加しました。
国際防衛ラグビー競技会とは、ラグビーワールドカップと同年に開催され、各国の軍隊(日本は自衛隊)のラグビーチームが参加する大会であり、今回で4大会目、日本チームは第2回大会から参加しています。
日本チームは陸、海、空自衛隊から選手を選考して指導部8名、選手30名、船岡駐屯地からは指導部4名、選手18名が参加しました。第2、第3回大会では、どちらも1勝しかできず、今回は「2勝以上」を目標に大会に臨みました。
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大会前半はリーグ戦が開催され、日本チームはフランス、オーストラリア、オランダの4個チームで戦いました。初戦のオランダ戦=写真=では相手チームのほとんどは身長2メートル超えの大型チームでしたが、日本チームの素早い出足と低いタックルで相手を止め、機動力と運動量を駆使した立体的なアタックにより、35対5で勝利することができました。
続くフランス、オーストラリア戦は、素早い出足と低いタックルで応戦はするものの、間隙を突く突破力や有効なパス回しで得点を重ねられ、フィジカルの違いに圧倒され敗戦し、1勝2敗でリーグ3位となりました。
後半のトーナメント戦で、日本チームはチャレンジリーグに振分けられ、初戦はスペインと対戦しました。スペインはフィジカルの強いチームでしたが、日本チームの得意な立体的なアタックでトライを重ね、44対12で勝利しました。続くチャレンジトーナメント決勝戦では、ウズベキスタンと対戦し、フィジカルが強く、また闘争心の強いチームでしたが、日本チームの得意な戦略に持ち込み、45対8で勝利し、「優勝」することができました。
結果は、12チーム中9位、チャレンジトーナメント優勝、当初の目標の2勝を1勝上回り、3勝することができました。これは、選手一人一人が身体を張り、勝利を目指しチームが一丸となった成果と思っています。また、12チーム中、日本チームだけが「フェアプレイ賞」を受賞しました。これは、ルールや規則をしっかり守る日本人だからこそ受賞できたものであり、誇りに思っています。
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フランスの方々のラグビーへの熱い思い、滞在していた海軍基地の方々、そして試合の応援に来てくれる日本人や海外の方々から日本チームへの温かいご支援・ご声援をいただき本当にうれしく思いました。このような大会に参加し、とても貴重な経験ができたことを光栄に思います。
これも、大会参加中の不在間、勤務してくださった駐屯地隊員の皆様、大会参加にご理解いただいた皆様のおかげだと感謝申し上げます。船岡駐屯地ラグビー部は、引き続きトップイーストリーグ、全自衛隊ラグビー大会に参加しますので、引き続きご理解・ご声援をよろしくお願いします。
パリ五輪に向け決意新たに
中国・杭州で行われた「第19回アジア競技大会」(9月23日~10月8日)の成果報告会を兼ねた自衛隊体育学校(朝霞)の創立62周年記念行事が10月21日、同校で行われた。
アジア大会には歴代五輪で計25個のメダルを獲得している同校第2教育課から8種目に21人が挑み、7種目で8人が8個(銀4・銅4)のメダルを獲得した。
記念行事には来賓、職員ら約140人が出席。高木勝也学校長がアジア大会の成果と応援への謝意を述べるとともに、来夏のバリ五輪に向け「学校一丸となってより多くのメダリスト、オリンピアンを輩出すべく精進していく所存です」と決意を語った。
杭州アジア大会体校メダリスト 成果報告
プレーバックア大会
近代五種班の佐藤大宗3海曹は男子団体戦(3人制)で銅メダルを獲得。個人戦でも健闘して6位入賞を果たし、パリ五輪出場権を得た。大会後、「さらなる高みを目指す」と語った。
同班の内田美咲3陸曹と梅村華苗3海曹は女子団体戦(同)で銀メダルを獲得。また、個人戦で内田3曹が4位に入賞し、出場権を獲得した。梅村3曹も6位に入った。
レスリング班選手も健闘を見せ、角雅人3陸曹はグレコローマンスタイル87キロ級で、鶴田峻大3陸曹は同97キロ級でそれぞれ銅メダルを獲得した。
陸上班の石田昴2陸曹は混合男女団体競歩35キロに出場。男子1位の好成績を収め、日本チーム(男女各2人)の銀メダル獲得に寄与し、「気を引き締め直し、これから始まるパリ五輪の代表選考に臨みたい」と次を見据えた。
7人制女子ラグビー日本代表の一員として挑んだ女子ラグビー班の梶木真凜3陸曹は銀メダル獲得に貢献。「中国語の『加油(ジャーヨー、頑張れ)』の言葉がジャパンに送られアウェー感を感じず決勝まで進めた」と振り返った。決勝ではその中国に21-22で惜敗。「課題を修正し五輪出場権を獲得したい」と語った。
ボクシング班の坪井智也3陸尉は男子51キロ級で銅メダルを獲得。しかし、五輪出場枠獲得には届かず、「応援してくださる皆様に申し訳なく、自分自身にもがっかりしている」と雪辱を期した。
(「体育学校ニュース」より)
メダリスト「コメント」
石田昴2陸曹(混合男女団体競歩35キロ銀メダル)
「大会の一カ月ほど前に内蔵疲労を起こし、満足のいく練習ができなかったが、最後まで歩き切れたことは大きな。持久力はあるがスピードが(世界に)追い付いていない。パリ五輪では35キロ種目はなく20キロで争われる。スピードをより磨いていきたい」
内田美咲3陸曹(近代五種・女子団体戦銀メダル)
「団体銀メダルとパリオリンピック出場権を獲得できたことはうれしいけど、個人でメダルを獲得できず悔しさもある。(これから)フェンシングの技術を上げ、戦い方がみんな違う世界の選手に1勝でも多く勝てるようにしたい。ランニングも強化したい」
梶木真凜3陸曹(女子ラグビー銀メダル)
「決勝はチャンスがなく思ったようなアタックができなかったが、ディフェンスでは自分の強みのフィジカルの強さを出せた。東京(五輪)では思い描いていたことができなかった。11月のアジア予選で優勝し出場権を獲得する。全力を出し切りメダルを取りたい」
角雅人3陸曹(レスリング・グレコローマン87キロ級銅メダル)
「優勝を狙っていたので満足できる結果ではなかったが、優勝した選手と(準決勝で)一番五分五分に戦えたと思う。日本人選手は重量級は厳しい(勝てない)と思われていることが悔しい。オリンピックで活躍し、日本人でもやれる(勝てる)ことを見せたい」
鶴田峻大3陸曹(同・同97キロ級銅メダル)
「大会前に聞いた(元横綱の)白鵬さんの講演の『運』という漢字の由来は軍が走る、ということで行動しないと運は巡ってこない、という言葉が大きなきっかけになった。気合、根性、忍耐が自分の取りえ。がむしゃらに走り続けて結果を出すことができた」
坪井智也3陸尉(ボクシング・男子51キロ級銅メダル)
「準決勝の選手(五輪金メダリストのウズベキスタン人強豪)にはしっかりと対策し、問題ないだろうと思っていたが、ミスもあり判定負けした。決勝進出者に与えられる出場枠を取れなかったことより、その選手に勝たなかったことが悔しい」
読史随感
神田淳
<第136回>
戦前の日本を否定することに関し
昭和の時代、評論家・劇作家福田恆存(1912ー1994)は戦後次のことばを残している。「真の日本の崩壊は、敗ける戦争を起こしたことにあったのではなく、また敗けた事にあったのではなく、その後で間違った過去を自ら否定することによって今や新しい曙が来ると思った事に始まったといへます」と。福田恆存は戦後の左傾化した進歩派全盛の論壇にあって、保守反動の論客と言われていたが、恆存のこの言葉には、戦前戦後を生きた知識人の貴重な認識が含まれていると私は思う。
戦前の日本をすべて悪かったと否定する意識は、戦後の日本人を特に覚醒させず、むしろ独立自尊の精神を劣化させる方向に働いた。以下、二、三の事例を挙げる。1982年大手新聞各紙は、「文部省が教科書検定において、高校の日本史教科書の記述を、中国華北に対する "侵略" から "進出" に改めさせた」と一斉に報じた。この報に接した中国、韓国が日本を激しく非難し、外交問題となった。宮澤喜一官房長官は外交的決着をはかるため、検定基準を改めるとの談話を発表した。これが教科書検定の「近隣諸国条項」となり、近隣アジア諸国との間の近現代史の扱いに国際協調の見地から必要な配慮をすることとなった。日本の教科書に中韓の内政干渉を認めるような条項で、独立国日本の学校教育に禍根を残したと私は考えている。
あとで判明したが、1982年の一斉報道はマスコミの虚報だった。中国華北地域への "侵略" が検定によって "進出" と書き換えさせられた教科書の事例は無かったのである。なぜ各社全紙の虚報が起きたか。この年文部省記者クラブで、実教出版の「世界史」を担当した記者が、「『日本軍が華北を侵略すると』という記述が、検定で『日本軍が華北に進出すると』に変った」と報告した。実際には検定前から「進出」と書かれていたが、各社は自社で確認もせずに報道してしまった。
事実を確認もせずに各社がそのまま大きく報道する背景に、戦前の日本を強く否定する歴史認識が横たわっていたと思わざるをえない。否定されるべき戦前の日本を正当化するような「右傾化」する政府は厳しく非難されるべしとのマスコミの思い込みがあった。
戦前を否定する戦後の日本は、中国に位負けする日本人を多数生み出した。台湾の李登輝は、戦後の日本が戦前の日本人の立派さを忘れ、霞ヶ関のエリートが卑屈に中国の言うことを何でも聞くようになったと嘆いていた。中国の周恩来も、戦後の日本人が卑屈になったと言っていた。1972年日中国交回復がなされた後、多くの日本の経済人が中国を訪れた。周恩来首相を表敬した経済人のほとんどすべてが戦前の日本の行為を謝罪した。度重なる謝罪に周恩来は「謝罪しないでほしい」と言った。周恩来は日本人の(安易な)謝罪に軽薄さと卑屈をみたのではないだろうか。
極めつきは2009年の小沢訪中団である。当時政権の座にあった民主党の小沢一郎幹事長が、民主党議員143名を含む438名を連れて訪中。随行した民主党議員の一人ひとりが胡錦濤主席の前に列をなして握手し写真撮影を行った。まさに宗主国中国に恭順する日本の朝貢外交であった。
戦前の日本を否定するのはやはり偏向した歴史認識だと私は思う。先祖の営為に対する深い理解をもって、是は是とし、非は非とする虚心坦懐の精神で歴史の事実を考察すれば、もっと肯定的な歴史認識となるだろう。
令和5年11月1日
神田 淳(かんだすなお)
元高知工科大学客員教授。
著作に『すばらしい昔の日本人』(文芸社)、『持続可能文明の創造』(エネルギーフォーラム社)、『美しい日本の倫理』などがある。